1章 「気」は「ベクトル」

1-1.「気」とは何か

 武術において、必ずと言っていいほど触れる事になる「気」という概念。それについて誰にでもわかるように説明しろと言われて、出来る人がどれほどいるだろうか。

 「相手が放つ”やる気”や”殺気”、”気迫”」だとか、「声を出すことで出る」だとか・・・学ぶ武道、武術によっての差異はあれど、ともかく体からあふれ出る何かしらの力である事に違いは無い。ただ、それ自体がどんなものなのか、キチンとした説明は基本的にされることはほぼ無い。少なくとも私の記憶には。

 学生時代は「とりあえず、やってりゃ何とかなるだろう」くらいの考えでで済ませていたが、武術の実践から離れ研究に没頭する中で、はたと気が付いた。

 それが、正にこの章の名前。「気」は「ベクトル」である。



1-2.ベクトルとは

 ベクトルは、数学や物理学の分野で使われる概念である。数学には触れなくなって久しいため厳密な定義は忘れたが、ざっくり言うと「方向と大きさを同時に示す概念」であると記憶している。

 例えば、地面に刺さっている棒に対して、ある方向から地面と水平方向の力がかかっているとする。棒を基準に南北をy軸、東西をx軸とすると、その力をy軸方向とx軸方向に分解して求める事が出来る。逆に、棒に2方向から力が加えられた場合、その二つの力を足し合わせる事で、1つの力として求める事が出来る・・・といった感じの概念である。

 もし、これを読んでいるそこのあなたが高校1年生以下であるなら、頭の片隅に置いておいてもいいかもしれない。その内数学で習う事になる。

 


1-3.「気」は「ベクトル」

 武道に限らず、何かと戦うだとか襲われるという状況になったとき、相手から自分に対して向けられるもの。それは「こちらを攻撃しようとする”意志”と”動き”」だ。私は、これこそ「気」の正体であると思い至った。

 攻撃前であれば1-1で述べた通り殺気や気迫、攻撃中ならその動作そのものに「気」が乗る。そしてそれらはすべて”相手”から攻撃対象である”自分”に向かって”向けられている”ものだ。そして、それらは物理的にせよ精神的にせよ”力”が伴っている。

 すなわち、「気」=『指向性を伴う力』=「ベクトル」なのだ。


1-3-1.物理的なベクトル

 物理的なベクトルの例えとして、一般的なパンチについて考えてみる。

 パンチを正面から受ける場合、ミットで受けるにせよ、嫌ではあるが体で受けるにせよ、その衝撃は受ける部分にほぼ真っすぐにガツンと入って来る。まともに喰らえば、重いし痛いだろう。

 だが、このパンチを受けるのではなく、”逸らして”みるとどうだろう。上や左右に払ってもいい。下に向かって叩き落としてもいい。体に来る衝撃は、正面から受けるよりも圧倒的に軽いはずだ。寧ろ、タイミングが合えば、パンチをしてきた相手の方が、体に想定外な力が加えられたことにより、体勢を崩すこともある。

 ベクトルを用いて解釈してみよう。パンチのベクトルは拳が付きこまれる方向に対して1方向の大きなベクトルを持つ。これを正面から受け止める場合、そのベクトルと同等以上の力を要する事となる。しかしこれを逸らす場合。パンチのベクトルは多方向に広がるベクトルの集合ではなく純粋な”1方向”のベクトル。払うという横からのベクトルを加えてやれば、パンチと払い、二つのベクトルの複合によって思いの外簡単に攻撃を逸らすことが出来るのだ。

 私の経験したもので例えるなら、合気道の「正面突き入り身投げ」がこの考察の通りだ。突いてきた相手の背中側に自分が入り、相手と同じ方向を向くように体を裁く。そして、相手の突いてきた手に自分の手を引っ掛け、相手の胸を開かせるような形で回す。この瞬間、前述した「体に想定外の力が加えられ、体勢が崩れる」という現象が実際に起こる。崩れてしまえば、後はこちらの物。二の腕で相手の顎を釣り上げてやれば、相手は勝手に後ろ向きに倒れるという訳だ。

 細かい動きについては、動画投稿サイトで検索すると技の動画が出てくるので、興味のある方は是非見てみてほしい。


1-3-2.精神的ベクトル

 本来であれば、「気」というベクトルが発生する順番はこちらの「精神的ベクトル」が先で、「物理的ベクトル」はそれに追従する形で発生する。しかし、説明するとなると精神的ベクトルは見えない力である為、説明が難しくなる可能性があった。その為、見て分かりやすく、体感して尚分かりやすい物理的ベクトルを先に説明した。

 精神的ベクトルという言い方をすると若干仰々しく聞こえるかもしれないが、要は「お前の腹を殴る」とか「お前の頭を剣でかち割る」という相手が自分を攻撃してこようとする意識が向いている方向と、その意識の強さである。この精神的ベクトルが強いほど、攻撃側は強気な攻撃に出る。よく言われる言い回しであれば「迷いのない攻撃」と呼ばれるものが、この精神的ベクトルの強い攻撃と言えるのではないだろうか。

 可視化しづらく説明はし辛いかもと前述したが、相手と向き合い1対1で戦う試合がある格闘技や武道では、この精神的ベクトルの駆け引きが当たり前のように行われている。

 自分が体験したものであれば、剣道がいい例だ。正眼に剣を構え、互いの剣先が触れ合う間合い(この間合いを「一足一刀の間合い」という)で互いに睨みを利かせあう。そして、どちらかが隙を見せた瞬間、有効部位に向かって一瞬で竹刀が振り下ろされる。剣道で一本を取るまでの流れはおおよそこんな感じだ。

 これを精神的ベクトルで解釈する。まず、「互いに睨みを利かせている状態」。これは、互い精神的ベクトルが正面からぶつかり合い、相殺しあっている状態。従って、互いに動けない。そして、「隙を見せた瞬間」。この時、精神的ベクトルの均衡は崩れ、攻め側の意識が隙に向かって吸い込まれていく。さながら、排水口に吸い込まれる水の様な状態だ。

 これを逆に考えれば、隙を”あえて作る”事で相手の意識=精神的ベクトルを操作することも出来る。意識を操作すれば行動が予測できる。予測が出来れば対処が出来る。例えば、自分が剣先を少し下げ、あえて面に隙を作る。その隙を相手が捉え、面を打ってくる事が予測できれば、面を打つために剣を上げる事でがら空きになった胴を狙える。このように、相手の精神的ベクトルを如何に操るかが、試合において優位に立てるかどうかの分かれ目になるのではないかと思う。最も、自身と同じく相手も考えるため、容易な事ではないのは間違いない。



1-4.総括

 以上が、私の頭の中における「気」の解釈である。まとめると、繰り返しにはなるが、

 「気」=『指向性を伴う力』=「ベクトル」

 という事だ。

 武道や武術において「気」が重要視される理由。それは、「相手から向けられる力と意識を如何に操り、利用し、相手よりも優位に立つか」という事が共通の課題だからなのかもしれない。

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ほぼ自己流・武術研究殴り書き 樟人 @Kusto

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