63 竹の揺り籠

 知佳が生まれ育った街はそのむかし、広大な竹林だった。

 ニュータウンが造成されるまでは時代劇のロケ地としても知られていたという。

 地下水が涌き出る名水の地としても知られ、夏になると水辺は蛍の光で彩られたと聞く。

 いまやその全域が都心のベッドタウンと化したが、そこかしこに竹林が残っており、春になれば、タケノコ掘りのイベントも催される。

 実理が見つかった場所もそうした竹林のひとつだった。

 それに、いつか実理と訪れた神社の裏山も。

 高台のふもとにある神社。

 かつては地下水が湧き出たという神社。

 背後に竹林を抱える神社。




 ――二人の行方は――知らない。


 作法室で集まったとき、アヤ夢路は言った。


 ――戦後になってから夢路も依代の体で婚約者の家を訪ねた。だけど、そこはもう空家になってたし、引っ越した先を知る人もいなかった。あの人の両親がすでに亡くなったと知れただけ。婚約者あの人親友あの子の消息は――わからなかった。


 夢路は片腕をぎゅっと握りしめた。


 ――戦後の闇市では、戸籍だって簡単に売り買いできた。あの人もそうして新しい身分を手に入れたのかもしれない。

 ――どうしてわざわざそんなことを?

 ――わからない。けど、もしかしたら――あの子と結ばれるために、そうしたかもしれない。。二人して新しい戸籍を手に入れて、血のつながらない他人として結ばれて穏やかに暮らしたのかもしれない。もちろん、あの子が戻って来れたならの話だけどね。

 ――なら、


 蒼衣の言葉を受けて、夢路はきっとして言った。


 ――馬鹿なことを考えるのはやめなさい。そんなのは望みとは言えない。マッチ売りの少女が見た幻みたいなもの。ただの妄想よ。

 ――でも夢路さんはその妄想に賭けたんでしょ?

 ――夢路はあの人の特別になりたかっただけ。どうせ叶わない想いなら、別の形で心に残りたかった。爪痕を残したかった。決して癒えない傷をつけたかった。心臓と引き換えにあの人の永遠になりたかった。ただ、それだけよ。今回とは状況が違う。

 ――でも、夢路さん――

 ――しつこい! 年長者の言うことは大人しく聞きなさい!


 夢路は怒鳴った。そして、肩を震わしながら続ける。


 ――若いうちは簡単に肚が坐ったようなことを言える。でもね、後になって勘定が甘かったと悔やむのよ。十五年やそこら生きたくらいで軽々しく覚悟なんてするものじゃないわ。そんなのはまやかしだから。きっと後悔するから。


 夢路は絞り出すように言った。


 ――いまのあなたたちに正常な判断なんてできやしない。だから、おとなしく夢路の言うことを聞くの。いいわね?




 知佳は雪化粧の鳥居を潜った。初詣のシーズンも過ぎて久しい、平日の昼下がりだ。雪ということもあり、境内は閑散としている。

 知佳は神社の前で自転車を止めた。コートのフードを被る。

 拝殿にはぽつぽつと人影が窺えるが、知佳はそれらには目を留めず、境内の裏手を目指した。処女雪を踏みしめながら、ゆっくりと。


 竹林へとつながる道を。


 ――知佳ソフィ知佳ソフィ


 夢で何度も見た場所を。


 ――君はいったいどうしてこんなところにいる?


 自分が逃げ出した場所を。


 ――何を求めている?


 あるかもしれないし、ないかもしれないもの。まだ誰も見つけていないもの。


 わたしはそれを探しに来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る