59 雪空密室
連休明けの金曜日は、朝から曇り空だった。予報によれば、昼から雪が降る可能性があるという。
知佳は終日、窓の外を気にしていた。一方のカナは相変わらずぐでっとした様子で頬杖を突いていたり、机に突っ伏していた。
――アヤちゃんはどう? 試験は。
今朝、カナに尋ねた。
今日の朝刊に試験問題が載るはずだった。朝の段階ではまだ自己採点する暇はないだろうけど。
――まあ、それなりに手応えはあったらしい。知恵熱っていうのか? 試験の後にちょっと熱が出てすぐ寝ちまったんだけど起きたらピンピンしてたな。
――そう。
――まあ、大丈夫だと思うぞ。それだけ集中できたってことなんだから。きっと一人じゃあんな風にはがんばれなかったと思う。知佳がいたから、いい意味で退路を絶てたんだ。
――だと、いいんだけど。
――本当に、世話になったな。改めて礼を言っとく。ありがとう。本来なら――、こういうのは姉の仕事なんだけどな。
数刻、沈黙が流れた後、カナは言った。
――……一週間って言ったよな。
貯水地での約束のことだ。心臓がとくんと跳ねる。
――うん、そうだね。
それ以上は何も言えなかった。カナはそんな知佳を見て、付け加える。
――……いちおう、そんなすぐに何かしようって気はないから。
――そう。
――でも、ユキが消えて明日でちょうど一年なんだ。だから――こういうのに遅いとか早いとかがあるのかはわかんないけど――急がないと手遅れになるかもしれないって、思ったりする。
――逆に諦めるタイミングだとは思わないの?
――……そうだな。こんなこといつまでも続けるわけにもいかないっていうのも、わかる。はっきりわかればいいのにな。
――神様がいないならいないって?
――ああ。
貯水池でのことは、蒼衣や瑞月にも話していない。秘密にすると約束したわけではないが、二人に話すべきかどうかわからなかった。カナも話していないらしい。
明日で約束の一週間が過ぎる。それに六花の失踪からも一年。
だからって何かが起こるわけでもないとは思う。しかし、このままカナのことを放っておけるものでもない。放っておけば、どうなるかわからない。逮捕。退学。そんな言葉が頭の中をぐるぐると回る。女子高生の心の闇。女吸血鬼。
きっと大丈夫だ。
何も起こらない。
そう思えればどれだけいいだろう。
リスクに目を瞑るのは簡単だ。何も起こらないうちは楽でいられる。
だけどきっと、いざそれが起こったとき後悔することになるのだろう。それまで無視し続けてきたツケを支払わされることに。
かといって、自分に何ができるだろう。
どうすればいいのだろう。
いや、こんなのは形式な問いかけだ。君はもうわかっている。そうだろう。六花のことを諦めさせればいいんだ。ただ、それだけでいい。
そうとも、望みを絶ってやればいい。それで、あの子は解放される。前に進める。
もちろん、簡単なことじゃない。うまくいく保証はない。しかし、それ以外に何ができる? 代案があるなら言ってみるといい。
なのに、
知佳は煩悶を続ける。窓の外は相変わらず曇り空だ。勿体ぶるように沈黙を守っている。雪はまだ降らない。
カナちゃん見なかった?
放課後、蒼衣からメッセージを受け取った。図書室に寄ったときのことだ。知佳は「宗教」の棚の前にいた。荼枳尼天について書かれた本がないか探していたのだ。
いないの?
ええ
どこ行ったのかしら
何か用?
そうじゃないんだけど
最近思い詰めてるように見えたから
そうだね
見つけたら連絡する
知佳はそれから何冊かの本を抜き出しては目次を確認し、ぱらぱらとめくってみた。目ぼしい情報はなさそうだ。次第に上の空になってくる。
やがて見切りをつけ、何も借りずに図書室を出た。二号館三階の南端から、作法室を目指す。
そういえば、空はどうなっているだろう。
図書室の窓はいつも分厚い遮光カーテンがかかっていて、外の様子は窺えなかった。
廊下の窓から外を見やる。
すると、三号館の屋上に人影を見つけた。
カナだ。
遠目でもわかる。栗色の髪に、セーラー服の襟――
とくん
知佳はスマートフォンを取り出した。歩きながらロックを解除する。
見つけた
屋上にいる
渡り廊下を目指した。やがて渡り廊下の入り口にたどり着く。三号館の屋上にはまだカナの姿があった。
本当?
なんでだろ
瑞月から返信があった。
用事なんてないはずなのに
渡り廊下を進むと、中ほどを過ぎたあたりでカナの姿が確認できない角度になった。そのまま三号館四階に入る。HR教室がないため人通りが少なく静かだ。
いま屋上に向かってるから直接訊くね
廊下を北上し屋上に出る階段を目指す。静まり返った廊下に靴音を響かせながら、一直線に進む。
お願い
階段が見えてきた。足をかけ、屋上へ――
「LADIES ONLY」のマットを踏みしめる。
ノブを掴んだ。静電気が走る。反射的に手を離すも、握り直し、右に回した。
ドアを開く。
瞬間、強い風が吹きつけた。白いものが舞っている。
粉雪だ。
いつから降っていたのだろう。けっこうな勢いだ。
顔に着いた雪を払い、屋上に踏み出す。
――誰だ?
屋上には手すりが巡らされている。始業式の朝、カナが腰かけていた手すりだ。そして、地図アプリの空撮でも確認できないほど小さな木祠。
それが、三号館の屋上にあるすべてだった。
カナの姿はない。
――見つかっちゃった。
ドアの裏、祠の陰、どこにも。
「カナちゃん……?」
胸騒ぎがする。
知佳は走るようにして屋内に戻った。途中で躓き、スリッパが脱げる。もどかしい思いで履き直して四階まで降りた。廊下を見渡す。
一直線の廊下だ。何人か生徒がいるが、カナの姿はない。背格好からして明らかに違う。それに女子も男子もみんなブレザーだ。三年生はこの時期もう学校には来ない。
知佳は歩を早めながら、カナを探した。北端のトイレ。教室。中を窺いながら通りすぎるが、カナの姿はない。
とくん、とくんと心臓が叫ぶ。
やがて廊下の南端までたどり着く。残された部屋は、トイレだけだ。
ドアを開く。
すると、洗面台で手を洗う小柄な影と出くわした。
「市川先輩?」
アヤだ。驚いたように目を丸めている。
「何でここに?」知佳は尋ねた。
「昨日、受験したときお守りを落として――」そう言って、赤いお守りを示す。「それで入れてもらったんですけど」
手元にあるということは遺失物として届けられていたのだろう。
「カナちゃん見なかった?」
「お姉ちゃんですか? いえ」アヤは怪訝そうに言った。「どうしたんですか」
「アヤちゃん、屋上に出てないよね?」
「どういう意味ですか?」アヤは要領を得ない様子で言った。
「……あり得ない」
「市川先輩?」
「そんなこと起こるわけ……」
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