53 スリーピング・マーダー

 その日は早くに目覚めた。

 土曜日の朝だっていうのに、なぜだろう。妙に目が冴えていた。自分が誰か、ここがどこなのかを問うこともなかった。

 そして、何をすべきなのかも。

 二度寝をしてもよかった。しかし、知佳はすぐに洗面台へと向かい、パジャマから着替え、出かける準備をはじめた。

 クリーム色のミニベロに跨がり、薄暗い街へと繰り出す。


   *** ***


「夢路さんはりんご様じゃないんでしょ」


 保健室で、知佳は言った。


「どうして、わかったの?」


 蒼衣が尋ねる。


「どうしてかな。自分でもよくわかんないんだ。でも、そう考えるといろんなことに説明がつくなって」


 そう話している間にも、頭の中では自分でも戸惑うほどの速さで思考が展開されていた。バラバラだったピースが組み上がり、パズルの絵柄が姿を表しつつあった。考えるより早く結論がわかった。論理はその跳躍の隙間を埋めるようにして導き出された。


 ずっと違和感はあった。たとえば、屋上の祠だ。なぜ、あんなものが必要なのだろう。なぜ、りんごを捧げる必要があるのだろう。

 りんごは心臓の代替だ。しかし、夢路は再三、心臓そのものに未練はないと述べている。そこがどうにもちぐはぐなのだ。


「始業式の朝、森野さんは言った。夢路さんの死体には外傷はおろか抵抗の痕すらなかったって」

「え、カナはそこまで言っちゃったの?」

「……カナちゃんからは聞いてなかったわね。口が滑ったのかしら。いちおう、その情報は歴代の巫女も知らないことなんだけど」

「でも、《KK文書》には書いてあるんでしょ?」

「ええ。ゆーさんが当時の記事と事件を知る人を見つけてて――だから、当然カナちゃんもそのことを知ってはいた」

「やっぱり、そうだったんだね。そうだよね。不自然だもん」

「うん、姉さんの夢路さんも詳しい死の状況はぼかしてた」

「最初は、怪談ならではの誇張だと思った。事件の不気味さを強調するための虚飾だって。だけど、それを語ったのはりんご様の事情に通じる巫女だった。だったら、本当のことを話したのかもしれないって思ったの」

「知佳ちゃんが気にしているのは……夢路さんの死因?」

「うん。心臓を取り出せるだけの傷はあったらしいけど――具体的にはどういう死に方をしたのかなって。心臓を奪われたのが直接の死因とは考えづらいでしょ? 夢路さんも抵抗するだろうし、他に傷を残さないようないような形で、そんなにうまくいくことが進むとは思えない。拘束したとしたら、手首や足首なんかにそういう痕が残るでしょ?」


 それに心臓が動いた状態で抜き出せば、血が噴水みたいに噴き出す。まずは止めを刺すはずだ。


「心臓だけをきれいに取り出す方法があるんでしょ?」


 知佳は指を二本立てて刃物に見立てた。それを鳩尾の下に突き立てる。


「鳩尾の下から、肋骨の流れに沿うようにしてVの字を逆さにしたようなスリットを入れる。そして、そこから手を突っ込んで心臓を引っ張り出して血管から切り離す。胸の上で飛び跳ねて飛び出させるって方法もあるみたいだけど、これは肋骨が折れたり、明らかな外傷が残るから、夢路さんのときは使われなかったんだと思う」

「そうね、わたしたちも調べたし、《KK文書》にもそう書かれてる」

「となると、夢路さんの死因は何なのか。この方法が使われたとして――考えられるのは、肝臓や横隔膜の損傷によるショック死、呼吸困難による窒息死だろうね。だから、たしかに致命傷として用は足りる。心臓を奪う前に命を絶つことはできる。でしょ?」

「ええ。それはミステリ作家の娘として保証する」

「だけど、問題は、。心臓を取り出すための傷をそこまで正確につけられると思う? 他に何の傷もつけずに。抵抗もされずに」


 夢路の不意を突けたとしても、服の上から正確な位置を狙うのはむずかしいだろう。慎重になりすぎれば、今度は奇襲を気取られ避けられる可能性が高くなる。


「通り魔的に襲ったら、たまたまそういう傷がついたという可能性は?」

「心臓だけをきれいに取り出す方法なんて普通は知らないでしょ? その知識を持つ人間が夢路さんを襲ったらたまたまそれができるような傷をつけることができた、というのはちょっと偶然が過ぎると思う。通り魔的なやり方でつくような傷じゃないと思うしね」


 これがもし全身が滅多刺しにされていたり、胴体が切り開かれているような状態なら、話は簡単だった。あらゆる死因が考えられる。通り魔的な犯行でも納得がいった。しかし、夢路の死体に外傷らしい外傷は一ヶ所しか残されていなかった。


「なら、傷はどうやってつけられたのか。あらかじめ麻酔で眠らせでもした? でも、それならそれであらかじめ拘束でもしないと投与するのがむずかしい。注射の痕だって残る。睡眠薬ならうまく飲ませる方法があるのかも知れないけど、外傷を与えた時点で覚醒するだろうし、意味がない。その間に拘束すれば――やっぱりもがいた痕が残る。そもそも、いったんは眠らせるにしても、すぐに止めを刺した方が作業はやりやすい。そうしない理由がない」


 しかし、犯人はそのいずれの手段も取っていない。


「だから、わたしは思った。夢路さんは外傷を受ける以前、すでに死んでたんだって。それなら、犯人も焦らず正確に作業を進められる」

「でも、だとすると――死因は?」

「病気による自然死――となると、犯人に都合がよすぎるよね。絞殺でも痕が残るし、溺死だって人為的なものなら何かしら痕が残る。となると――」


「毒」と知佳は言った。


「夢路さんは何らかの形で摂取した毒物によって死んだ。そして、犯人が心臓を取り出す――となると、はどこかの室内で行われた可能性が高いね。毒を盛るのも、心臓を取り出すのも、その方がやりやすい。死体はその後、学校の敷地まで移動させられた」

「となると、犯人は夢路さんの知り合いという可能性が高いわね」

「そうだね。実際そうだったんだと思う。死体損壊の犯人は」

「どういうこと?」

「毒殺なら――夢路さんの知ってる人が犯人なら、夢路さんにだって見当がつくでしょ? 死ぬ前の記憶があやふやになってたとしても、その前の状況から察しがつくだろうし――少なくとも普段の交遊関係から容疑者はだいぶ絞れる。戦後間もない頃なら、事件を調べ直して犯人を見つけられたかもしれない。なのに、夢路さんはそのことに触れない。でしょ? それどころか死の状況を隠そうとした。まるで犯人を庇うみたいに」


 矛盾するのだ。祟り神として振る舞う夢路が自分の命を奪った相手を庇うなんて。


「もちろん、すべてが出鱈目で依代やりんご様が存在しないのだとしたら、こんなこと考えるだけ無駄なんだけどね。作り話なら矛盾があってもおかしくないし。だけど、そうじゃない可能性もいちおうは考えてみようと思う。これまで話してきた推理が正しいっていう可能性も。夢路さんが犯人を庇っているという可能性も」

「知佳はきっと、ボクたちと同じ結論に辿り着いてると思うよ」

「そうね。ここまで来たらいったん最後まで話して。知佳ちゃんがどう考えているのか」


 知佳は続ける。


「《KK文書》にも書いてあるんでしょ。心臓を捧げようとした少女の話」

「うん。ボクたちも可能な限り裏を取ってるんだけど、その話はそのOGから直接聞いた。音声の記録も録った。《KK文書》にデータをあげたクラウドのURLも載せてる」


 山梨の老人ホームにいるというOGに会いに行ったらしい。


「あの話で少女は最終的に毒を呷ろうとした。そこで話は終わってるけど、もしそれが本当に起こったことなら――それはいつの話なのかな。そのOGよりさらに前の世代でしょ? となると、五〇年代以前になってくるよね。それで、思ったんだ。


 夢路は自ら毒を呷った。そして、婚約者に自分の心臓を提供した。りんご様への供物とするために。親友を取り戻すために。


「だけど、そうだとすると、ひとつ大きな矛盾が生まれるわね」

「そうだね」


 


「だから、それが夢路さんの嘘なんだと思う。夢路さんはりんご様じゃない。ううん、りんご様と呼ばれる存在は夢路さんなのかもしれないけど、


 その神様は少なくとも夢路の生前には存在し、何らかの形で伝承が残っていたのだろう。

 それが戦後になって、どういうわけか、夢路がその神様と同じ存在として祀られるようになった。


「それがどうしてなのかまではわからない。だから、わたしの考えはここまで」

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