48 ナイト・ストーカー
知佳はたまに夢を見る。
――いつか殺されるんじゃないかって。
自分とそっくり同じ顔をした少女と神社に参る夢だ。
――お姉ちゃんはどうしたらいいと思う?
実際の記憶に基づく夢。
――まるで双子みたいだ。
操緒は青白い肌の少年だった。腺病質で、よろけるような歩き方をする。まるでメトロノームのように、左右に揺れながら、竹林の坂道を降りてくる。
記憶にはない光景だ。なのに、なぜだろう。操はいつも同じように降りてくる。
こっちにおいで。
いつも同じ言葉。いつも同じ声。いつも同じだ。だから、この後どうなるかもわかる。
行ってはならない、と知佳は思う。
わかっているはずなのに、なぜだろう。
あなたは一歩踏み出す。震える手を握りしめ、強ばった笑みを作り、駆け寄るようにして彼の元へ向かう。
彼はあなたを受け止める。血の匂い。強く強く抱き締める。血の匂い。骨が折れてしまいそうなほど強く。血の匂い。
いつからだろう、鉄臭い匂いが漂ってくる。血の匂い。腹の底から酸っぱいものが込み上げてくる。血の匂い。
彼の舌が入ってくる。血の匂い。蛇のように長い長い舌があなたの口内をまさぐるようにして舐め回す。血の匂い。あなたの舌と絡み合い、じゅるじゅると湿った音を立てる。血の匂い。あなたはつま先立ちになりながら、彼と舌を絡める。血の匂い。
しかし、あなたはわかっている。血の匂い。彼が本当に欲しいのはそれじゃない。血の匂い。あなたの唇ではない。血の匂い。舌ではない。血の匂い。あなたのもっと大事なものだ。血の匂い。一度失ったら最後、二度と元には戻らないもの。血の匂い。
あなたはそれを奪うように言う。血の匂い。彼は少し戸惑ったように押し黙る。血の匂い。しかし、あなたは彼の手を取る。血の匂い。自分の左胸に押しつける。血の匂い。彼はとくんとくんと脈打つ鼓動をその手に感じる。血の匂い。骨ばった手、静脈が浮いた手に。血の匂い。その手にすっぽりと収まる生命を感じる。血の匂い。自分が彼女の生殺与奪の権利を握っていると知る。血の匂い。原罪の証たる喉仏を上下させる。血の匂い。
これがほしいんでしょ? 血の匂い。いいよ、あげる。血の匂い。それがあなたの本当に欲しいものなら。血の匂い。だって、不平等じゃない? 血の匂い。わたしばっかり満たされて。血の匂い。あなたにはずっと我慢させて。血の匂い。だから、いいよ。血の匂い。わたしから奪って。血の匂い。
彼はもう一度恋人を抱き締める。血の匂い。すがるように。血の匂い。溺れるように。血の匂い。耳にかぶりつく。血の匂い。首にかぶりつく。血の匂い。自分の中から沸き上がる衝動と戦うように。血の匂い。押さえつけるように。血の匂い。
しかし、火照りは収まらず、股間の猛りは収まらず、彼は飢えた獣となってあなたに襲いかかり、コートを剥ぎ取り、ボタンが飛び、ニットを下からめくりあげ、インナーをめくりあげ、ブラジャーをめくりあげ、寒そうに縮こまった桃色の乳頭にかぶりつく。血の匂い。噛みつく。血の匂い。
ぽた、ぽた、ぽた、と赤黒い何かが零れはじめる。
血の匂い。
二人の足元にぽたぽたと。
血の匂い。
続いて、何か重いものが落ちる音。
血の匂い。
ぬめぬめとした何か。
血の匂い。
腸。
血の匂い。
腎臓。
血の匂い。
胃袋。
血の匂い。
肺。
血の匂い。
胆嚢。
血の匂い。
肝臓。
血の匂い。
脾臓。
血の匂い。
膀胱。
血の匂い。
膵臓。
血の匂い。
子宮。
血の匂い。
ぼとり、ぼとりと、落ちてくる。
血の匂い。
あなたの体から零れ落ちていく。
血の匂い。
そして最後に落ちてくる。
血の匂い。
最も大事なものが落ちてくる。
血の匂い。
彼はあなたから身を離した。
血の匂い。
片手だけで抱き抱えるようにする。
血の匂い。
口の回りを真っ赤に汚し、長い長い牙を覗かせ、もう片手に最後の臓器をぶらさげて。
血の匂い。
心臓だ。
血の匂い。
彼はそれを頭高くかざし、口を開け、滴る血を飲む。
血の匂い。
じれったくなったのか、心臓に直接口づけ、むせ返りながら血を吸いはじめる。
血の匂い。
あなたの目は虚ろを彷徨っている。
血の匂い。
瞳孔が開ききっている。
血の匂い。
赤い涙を流している。
血の匂い。
だが、どこか幸福そうでもある。
血の匂い。
まるで前世で叶わなかった恋が実ったかのように。
血の匂い。
感極まって涙したように。
血の匂い。
君は逃げられない。
血の匂い。
彼は言った。血の匂い。口の周りについた血を舐めとりながら。血の匂い。萎みきった心臓を片手にぶら下げながら。血の匂い。
君が欲しい。だから早く帰ってくるんだ。
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