43 神は沈黙せず

 室温が下がってきたのだろう、エアコンが音を立てはじめた。暖かい風が知佳の頬を撫でる。


「あなたとは話す機会を設けようと思っていたの。アヤのおかげで都合がついたわ」


 夢路はアヤの声で言った。アヤの顔で。アヤの体で。知佳の対面に座り、ココアを飲みながら。


 とくん、とくん、と心臓が早鐘を打つ。


「何を言ってるの?」

「知らないふりをしなくてもいいのよ」夢路はカップを置いた。「夢路は正真正銘本物のむかい夢路ゆめじ。演技ではなく、本物の迎夢路」

「アヤちゃんが依代だっていうの?」

「そう。本物の霊媒ってことね」


 つまり瑞月のように演技ではなく、本物の夢路が彼女の体と同調して言葉を発しているということだ。


「あり得ない……」

「そうかしら。まあ、いきなりで驚くのもわかるけどね、あり得ないと言い切れるだけの根拠があなたにある? 瑞月の夢路は偽物なんだから、どこかに本物がいたっておかしくないでしょ」


 たしかにそうだ。しかし、逆に言えば、この夢路が本物だという証拠も――いや、演技だとしたらアヤがこんなことをする理由はなんだ。


「やっぱり何も聞いてないのね」

「何が」

「アヤのこと。あの子たちは知ってるはずなのに。アヤが依代だって」


 理解が追いつかない。カナたちがこのことを知っていた? ならなぜ知佳に伝えない? そもそも、この話はどこまで信用できる?


「混乱するのも無理はないわ」夢路は余裕のある態度で言った。「質問を許可してあげる。なんでも訊きなさい。夢路が本物だって証明するから」


 知佳はココアを口に含んだ。味がわからない。甘くてあったかいということは知覚できるのに、その情報がそれ以上の意味を持たない。頭に浮かんだ「幸福」の二文字が字としてのまとまりを失い、迷路のように見えてくる。


 世界がバラバラになりつつある。混沌とした世界の中心で、心臓の音が大きく大きくなっていく。


 とくん、とくん


「じゃあ――」知佳はなんとか言葉を絞り出した。「りんご様って知ってる?」

「八〇年前、心臓を抜き取られた女学生の無念を鎮めるため祀られるようになった神様。夢路のことね」

「先代の依代の人っていまどうしてるの」

「六花のことでしょう。消えたわよ。このりんご様が消した」


 鎌をかけるような質問にも引っかからない。


 それからも、知佳は自分が知る情報をもとに質問を続けた。


 夢路の答えは知佳が知る情報といずれも一致する。


「アヤちゃんに宿ったのはいつ」


 今度は自分が知らないことを訊く。


「六花が消えて少し経ってから」夢路は淀みなく答えた。「五月くらいかしらね」

「森野さんたちがこのことを知ってるっていうのは?」

「カナとは何度か話してるもの。廃部騒動の顛末だって聞いてるわ。あなたが瑞月を説得したってことや、楓――《楓の乙女メイプル・メイデン》が城ヶ崎って子を撃退したこととかね。ふーって、やったんでしょ」


 思考が追いついてくる。この夢路が本物かどうかはわからない。しかし、少なくとも巫女の内情を知っているのはたしかだ。


 とくん、とくん


 単にりんご様のことを知っているだけなら、歴代の巫女の関与で説明できた。誰かがアヤに夢路をコピーさせたのだと。


 とくん、とくん


 しかし、この夢路はOGも知らないような、巫女の近況さえ知っていた。


 とくん、とくん


 つまり、現役の誰かが話した。この夢路を信用するなら、カナが。


 とくん、とくん


 この夢路が本物であれアヤの演技であれ、そう考えるのが自然だ。カナとアヤは姉妹で、同じ家に住んでいるのだから。


 とくん、とくん


 でも、カナはなぜそんなことを?


 とくん、とくん


 そして、なぜ知佳に黙っていた?


 とくん、とくん


 蒼衣と瑞月はこのことを知っているのか?


 とくん、とくん


「森野さん以外の巫女とは会ったことないの」知佳は言った。

「ええ、いまのところは」夢路は答えた。「でも、カナは話したって言ってたわよ」


 嘘をついているのは誰だろう。


 とくん、とくん


 アヤか夢路か、カナか、蒼衣、瑞月、あるいは全員……


「まあ、尤もそれが怪しかったからこうやってあなたに接触することにしたんだけど。ただ、これは偶然よ。アヤがあなたに勉強を教わることになったのは完全に予想外だった。夢路はその機会を利用しただけ」夢路は知佳の表情を窺いながら言った。「少なくとも、あなたは何も聞いてなかったみたいね」

「だとしたら、なんで誰も教えてくれなかったの」

「さあ。でも、そうね。考えられる可能性はある」夢路は言った。「ところで、このクッキーおいしいわね。食べないんなら貰ってあげてもいいわよ?」


 クッキーどころではない。知佳は無言でクッキーを皿ごと差し出した。


「アヤはまだ夢路に気づいてないわ。カナとは、アヤがいったん眠ってから話してるし」夢路はカップを傾けた。「でもそろそろ頃合いでしょう。アヤには夢路のことを知ってもらう。そうすればあとは簡単。あなたは複雑でしょうけど、高校の入試なんて夢路にはお茶の子さいさい。赤子の手を捻るようなもの。アヤは何の苦もなく、中高に入れる。そしたら、お姉ちゃんっ子のアヤはどうすると思う? 巫女の存在を知ったアヤは?」


 巫女になるだろう。カナたちがそれを受け入れるなら。


「カナも当然そのことはわかってる。つまり、巫女の後継にも、茶楽部の人数合わせ要員にもあてがあったのよ」夢路は続ける。「わかる? アヤがいればあなたは必要なかった。そのことをわかってた」

「だけど――」

「そうね、楓の見積もりが甘かったせいで急遽茶楽部の部員が必要になったというアクシデントはあったけれど――でもそれだって、来年度にアヤが入れば自然に解決する予定だった。将来を考えれば、同級生より後輩の巫女がいてくれた方がありがたいしね」夢路は問う。「あなたもあまり積極的には勧誘されなかったでしょう?」


 そうだ。それがずっと疑問だった。入部のときだって言い出したのは知佳で――


「でも、おかしいよ。それじゃそもそもわたしを勧誘する理由がない。やってることがちぐはぐすぎる」


 夢路は押し黙った。クッキーを味わうようにして間を置く。


「それは、あなたに別の役割があったからかもしれない」

「役割?」

「そう。あの子たちから聞いたことはないかしら。六花の最後のあがき、《KK文書》のことを」

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