33 月を盗む少女
氷雨が降っていた。
小さい氷の粒が傘を叩く。地面に落ちて砕け散る。
こちらに来てからまだ雪を見ていないな、と知佳は思った。十二月に初雪が降ったらしいが、知佳はその頃まだ大阪にいた。
地元でも雪は降ったが、積もるのは見たことがない。
まったく何を期待してるんだか。知佳は自嘲する。雪が積もったところでなんだというんだろう。ただでさえこちらは寒い。積雪するような寒さなど勘弁願いたいものだ。足場も悪くなるし。そういうのはレジャーで十分だ。
「着いたな」カナが言った。
住宅街を抜けて、喫茶レムリアへとたどり着いた。煉瓦タイルの壁、鉢植えのオリーブ。
「じゃあ、頼んだぞ」
「がんばって」
カナと蒼衣は親指を立てながら、知佳を送り出した。
知佳はため息をつき、ドアの取っ手を握る。
――学校側が思いのほか本気らしくてな。
屋上に来たカナは言った。
――いわゆるデッドラインを提示された。今月中に顧問と部員を揃えて、今年度中に活動実績をあげろってさ。あと、知佳が部員じゃないこともばれてる。
――それは困ったわね。でも、なんで急に?
――さあな。《魔女》にでも聞くしかないだろ。
――巫女のOGの教員だっけ。
――ああ。
そのとき、鼻先に冷たいものが触れた。雨だ。小雨がぱらぱらと降りはじめる。
――そもそも、なんでいままでは見過ごされてたの?
塔屋に向かいながら、訊く。
――事なかれ主義ってやつだな。
カナは祠を指差す。
――やっぱり祠の存在感が効いてるんだ。こんなのがあるのを知ったら、下手に手は出しづらいだろ。日本人的に。
――平将門の首塚みたいなこともあるものね。あれは、かのGHQさえ恐れて移転を諦めた。下手に動かそうとしたら、何が起こるかわかったものじゃないし――たとえ偶然でも何か悪いことが起こったら、因果関係を疑うものでしょう? 誰だってそんな思いはしたくないし、自分より古株の教員たちが知らぬ存ぜぬを決め込んでたらそれに倣うわ。ちなみに、巫女に関することは申し送りがされててね。まあ、つまり黙認しなさいってことが歴代の教員に通達されてきたの。
――じゃあ、なんでいまになって。
――言っても、公立だからな。私立みたいに理事が強権を振るえるわけじゃないし、校長や教頭だって十年もすれば変わる。それがこれまではたまたまうまい具合に働いてた――ってことなんだろうな。
――いまの校長先生は今年度から赴任してきた人でね。会ったことない?
――うん。挨拶はした。
初老の女性だった。握手したときの力がやけに強かったのをよく覚えている。
――それが堅物でな。祠を撤去するかどうかはさておき、生徒が管理を担う現状を快く思ってないらしい。祟りも怖いけど、屋上で生徒が事故を起こすのも怖いだろ、現実的に。
――それ森野さんが言う?
屋上から転落しかけたのを忘れたのだろうか。
――そういう意味では尤もな主張なのよ。
――とは言っても、《魔女》とかOGの働きかけもあるからな。それを不気味に思ってか、無条件に取り上げるようなこともしづらいらしい。だから、顧問を据えて部活として体裁を整えろってことだな。ひとまず、それが向こうが妥協できるラインってことだ。
――《魔女》って人に顧問をやってもらうわけにはいかないの?
――そうだな。そういう必要がないように働きかけてもらってたんだけど――こうなったら、ノーとは言えないだろ。表舞台に出てきてもらうしかない。蒼衣、《魔女》への連絡頼んだ。
――アイアイマム。
蒼衣は景気よく返事をした。
――とうとう《魔女》の正体がわかるのね。ワクワクするわ。
――まあ、だいたい見当はついてるけど。
――そうなの?
――まあな。確証はないけど――顧問はそれでいいとして、とにかく瑞月だ。なんとしても戻ってきてもらわないと。
――考えはあるの?
――そうだな。思いつきなんだけど、知佳に行ってもらうのはどうだ。
――わたし?
――ああ、ちょっと一人でレムリアまで行ってくれるか。途中まで送るから。
――それはたしかに妙手かもしれないわね。
――わたし、小太刀さんと話したことないんだけど。
――だからこそよ。
――どういうこと?
――みーちゃんは信頼した相手にはとことんまで甘えるタイプなの。つまりそれだけめんどくさくなる。だからまだちゃんと話したことがない市川さんの方がスムーズに話が進むと思うの。
――そう。押してダメなら引いてみろだ。瑞月のことは諦めたことにする。夢路も蒼衣が依代ってことにして適当に真似するから瑞月はもう必要ないってな。知佳はその話を聞いて瑞月を気遣ってこっそり会いに来たことにしてくれ。
カナはそう言って、財布から小銭を取り出して数えはじめる。
――何してるの?
――ただでってわけにもいかないだろ。タルトタタンでもなんでも食べてくるといい。
――……わかった。行くよ。だから、それしまって。
それから、こう付け加える。
――でも、うまくいかなくても知らないからね。
からんからんと、カウベルが鳴る。コーヒーの香ばしい匂いと、聞き覚えのあるピアノ曲、そしてテーブルを拭くウェイター。
目を丸めている。しかしすぐに営業用の笑みに切り替わり、向かってきた。
「いらっしゃいませ。お一人ですか」
――とにかくまずは話し合う場面を作ること。ガツンとかますの。
「いえ、二人です」知佳は言う。「店員さんの時間をください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます