32 狼少女はもういない
ゆーさんとはじめて会ったのは、小学三年生の頃だったわ。
わたし、こんな見た目でしょ。子供の頃は髪も瞳もいまよりもっと明るくて、それでなのか、うまくクラスに馴染めなくて、いつも本ばかり読んでいたの。
そしたらある日、上級生が教室に乗り込んできてね。
おかっぱでこけしみたいな女の子だった。
どこで聞きつけたのか、父が作家だってことを知ってて、そのことについて話しに来たの。
もちろん、そんな人はじめてだったわ。だから、びっくりしたし怖かったけど、嬉しくて、父の作品のこととか、本のこととかいろんなことを話して、そしたら休み時間のチャイムが鳴って、あの人は大慌てで自分の教室に戻っていった。
嵐みたいだったわ。てっきりそれっきりだと思ったんだけど、次の休み時間にまた教室に来たの。サインをお願いするのを忘れてたって、父の本を持ってきてね。それが、ゆーさんとの出会いだった。
その頃はまだみーちゃんとも話したことがなかった。三年で同じクラスになったんだけど、当時はまだ日本に来たばかりで特別学級にいた時期だったから。でもゆーさんを通してお話するようになって、みーちゃんとも友達になった。だから、わたしも多少はみーちゃんに日本語を教えてるのよ。
ゆーさんはね、小さい頃からずっと作家志望だったの。
何も、小説に限ったことじゃなくてね。絵本とか紙芝居とか人形劇とか、いろんな形式で物語を作ってはわたしたちに語り聞かせた。
冗談が好きで、サプライズを仕掛けるのも得意だった。次はどんな嘘でわたしたちを楽しませてくれるんだろうっていつもワクワクしてたわ。
だけど――、それがあの人の不幸だったのかもしれない。
ゆーさんが神様の依代に選ばれたって言い出したとき――何かの冗談だと思った。あの人はそういう手の込んだ冗談を言ってもおかしくない人だったから。
そうね、しょうがないといえばしょうがないわ。あの人はそういう人だったんだもの。それは夢路さんを宿す前からそうだった。
だけど、カナちゃんは違ったのよ。
あの子だけは最初からゆーさんの言うことを信じてた。
最初に夢路さんと会った後、カナちゃんは言ったわ。
世の中には不思議なこともあるんだなって。
みーちゃんと二人で、あれはあの人の冗談だって説明したんだけど、嘘をついてるようには見えなかったって譲らなかった。
そして、実際カナちゃんが正しかった。
わたしたちはゆーさんが消えるまで信じられなかった。
何もね、自分を責めてるわけじゃないの。そうしたくなることもあるけど。
ゆーさんはいつも飄々としてて、わたしやみーちゃんが信じてなくてもまるで気にしていないように見えた。
少なくとも、積極的に信じてもらおうとしているようには見えなかった。
でも、あれは素直に助けが求められなかっただけだったのかもしれない。
本当はそういう不器用な人だったのかもしれない。
なんて、いまになって思うの。
自分たちがこっち側になってみると、信じてもらうのがむずかしいのもわかるしね。
ええ、わたしたちも詳しくは知らないの。
ゆーさんの代に何が起こったのか。なぜ空中分解に至ったのか。
先輩たちはみんな気まずそうに口をつぐむばかりで、何も教えてくれなかったから。
倉多先輩をはじめ、巫女以外の友達もいたけど――彼女たちは何も知らなかったみたいだしね。
ただ、巫女の間で何かごたつきがあったんだって察せられるだけ。
ゆーさんもきっと、わたしたちには見えないところで悩んでたんでしょうね。
ゆーさんだってまだ十七歳の女の子だったんだから。
飄々として、なんでも知ってるように振る舞ってはいたけど、それでもままならないことはたくさんあったんでしょうね。
わたしたちはそれを察してあげることができなかった。
そういう意味では、まんまと騙されたと言えるんでしょうね。
あの人が作った、《ユキ》というキャラクターに。
*** ***
「ゆーさんとカナちゃんにはどこか通じ合うものがあったのかもしれないわね。二人が直接話すところはあまり見たことがないけど――」
蒼衣は言った。手すりにもたれ、遠くの空を眺めるようにして。
視線の先には曇り空のスクリーンが広がるばかりだ。彼女はそこに何を投影しているのだろう。どんな思い出を映しているのだろう。
「一度見たことがあるの。ゆーさんがカナちゃんの手を引くようにして駅前の小劇場に入っていくところを。二人ともそのことをわたしたちには話さなかった」蒼衣は続ける。「きっとわたしたちにはわからない話をしていたんでしょうね。あの二人だけの世界があったんでしょうね」
それ以降も、六花とカナが二人で会っていたのではないかと感じることが度々あったのだという。それは瑞月も同様だったそうだ。それとなく鎌をかけても、ポーカーフェイスの二人は動じることなく受け流したという。
秘密にする理由があったのか。それとも蒼衣が目撃した状況はあくまで特別な例であり、二人の間には何もなかったのか。
それは蒼衣にもわからない。六花のことだから特に意味もなく秘密にしていた可能性もあるが、彼女が消えて一年が経とうとしているいまでも、カナは六花との関係を語ろうとしないという。
「カナちゃんもあれで色々と抱え込むタイプだから」蒼衣は言った。「制服のこと、五條さんあたりから聞いてたりする?」
「え、ううん」知佳は反射的に否定した。なぜだろう。自分でもわからない。
しかし、蒼衣はそれをあっさりと見抜いたように、
「市川さんは嘘があんまり上手じゃないわね」ドキッとするような笑みを浮かべる。「いいのよ、そんな気を遣わなくても。噂されるのは慣れっこだから。わたしもカナちゃんも」
「ごめん」知佳は言った。気まずさをごまかすようにして訊く。「もしかしてだけど、森野さんが制服を借りてる先輩って――」
「そう、ゆーさん」蒼衣は認めた。「あれはゆーさんのセーラー服。幸いにも――と言っていいかわからないけど、ゆーさんも比較的小柄だったの。それになぜか制服の予備を持っていた。セーラー服は自分たちの代で最後だからっていうよくわからない理由でね。それこそなくしでもしたら自分だけブレザーになりかねないって変な心配をして、一年生の二学期に慌てて仕立てたの」
蒼衣は可笑しそうに言った。しかし、そこで少し声のトーンを落とし、
「でも、もしかしたら、こうなることがわかってたのかもしれないわね。カナちゃんが代わりの制服を必要とするかもしれないって」
どこまで本気で言っているのだろう。蒼衣は蒼衣でどこまでが冗談なのかわからないことを言う。
「そういえば、冨士野先生に聞いたんだけど、森野さんもベテルギウスの爆発を予言したって――」
「ああ、それね」蒼衣は苦笑するように言った。「ベテルギウスが爆発したのっていつか覚えてる?」
「八年前でしょ」
「そう。それで、カナちゃんの末の妹が今年八歳。超新星爆発が起こる数日前に生まれたそうよ」
「それが?」
「その子がお母さんのお腹の中にいたとき、カナちゃんは親御さんに妹の名前について意見を求められたんですって。それが採用された」蒼衣はそこでいたずらっぽく微笑み、「さて、ここで問題です。その末っ子ちゃんの名前は何でしょう」
「そんな唐突に」
言いながら、カナから聞いた名前を並べる。アヤ、ニコ、ハル、ノン――
「あ、ちなみにカナちゃんは下の子はみんなあだ名で呼んでるわよ」
「……さいですか」
ともあれ、そこまで本名からかけ離れたものではないはずだ。
「ブッブー、時間切――」
「
蒼衣は目を丸めた。
「大正解。聞いてた?」
「いや、なんとなく――森野さんも本名キラキラしてるし、当時、子供にそう名付ける親が多かったって」
それだけ超新星爆発のインパクトがあったのだ。
「そういえばそうだったわね」蒼衣は言った。「そう。新星を意味するノヴァ。それがカナちゃんの提案だった」
「それが予言?」
「ちょうどノヴァちゃんが生まれた三日後に爆発が起こったらしいの。それで《ノヴァ》に本決まりになったんだって」蒼衣は弁解するように続ける。「あのときはそういう人がたくさんいたでしょ。それがある種のブームだった。だから、カナちゃんの親御さんも後になって振り返ってみて、うちの子もそうなのかもって思ったそうよ。カナちゃんは当時のことをあまり覚えていないらしいけど」
「天羽先輩もそうだったんだよね」
「そう。ゆーさんの場合、自分から言ってるんだけどね。超新星爆発の当時はまだ話したこともなかったから、詳細はわからないけど――みーちゃんとも同居する前だったそうだし」
それではいずれも微妙な話なのだ。カナにしろ六花にしろ超新星爆発を予知したという証拠はない。
「依代の――霊媒のような資質があるとして――」知佳は言った。「先輩がそれを持っていたなら、森野さんもそれを持ってるってことになるのかな。二人が似たような力を持ってたっていうなら」
「それは考えたことがなかったわね」蒼衣は目を丸めた。「ゆーさんが消える前は半信半疑で真に受けてなかったし――その後も、カナちゃんに夢路さんが宿ることはなかったから。もしもゆーさんの夢路さんが本物で、かつ、カナちゃんにその資質があったなら、ゆーさんが消えたことで夢路さんの憑依先にカナちゃんが選ばれる可能性はあるでしょう? だけど、そういうことは起こってない。起こってたら、もうちょっとわかりやすかったんだけどね」
「でも、夢路さんが宿ってるかどうかなんて本人じゃなきゃわからないんじゃない?」
蒼衣は虚を突かれたように押し黙った。
「……それはカナちゃんが自分の中に夢路さんが宿ってることに気づきながら黙ってるんじゃないかってこと?」
「あくまで可能性の話だけど」
「そうね。もしカナちゃんが隠そうとしてるなら、知りようがないわ。だけど、そんなことはないと思う」
「友達だから?」
「それもあるし、そもそも隠す理由がないでしょう?」
「それはそうだね」知佳は認めた。「ごめん、変なこと言って」
「いいのよ」蒼衣は微笑んだ。「そろそろ戻りましょうか。一雨来そうだし」
その瞬間、蝶番が軋む音がした。噂をすればなんとやらだ。塔屋のドアが開き、セーラー服の小柄な少女が出てくる。
「さっきまた生徒会が来たんだけど」カナは淡々と言った。「ちょっとまずいことになったぞ」
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