18 彼女たちはみな、若くして死んだ

「こいつがむかい夢路ゆめじ。八〇年前に心臓を抜き取られた女学生の怨霊――いわゆるりんご様だ」


 始業式の放課後、カナは作法室でそう言い放った。


「それはつまり」知佳は言った。「その夢路って人の魂が小太刀さんの肉体に同居してるってこと?」


 狐憑き、という言葉をどこかで聞いたことがある。いわゆる神懸かりの状態となり、霊魂や神をその身に降ろす存在のことだ。

 狐憑きは女性に多いという。彼女たちはときに神の代弁者として重宝され、またあるときは狂人として蔑まれ、虐げられてきた。

 もちろん、それは前近代までの話だ。いまなら、彼女たちの多くに精神医学的、あるいは脳医学的な診断が下るだろう。統合失調症、演技性パーソナリティ障害、解離性同一性障害、癲癇てんかん、エトセトラ。


「理解が早いな」カナは言いながら、腰を下ろした。炬燵に足を突っ込む。「そういうと考えてもらっていい」

「設定?」

「そ。こんな話、いくらなんでも無理があるだろ」

「無理とは何よ」夢路が不機嫌そうに言った。「現に夢路がこうして話してるのに、無理も何もないでしょ」


 もはや何が何だかわからない。知佳は助けを求めるようにして、蒼衣に視線を移した。目が合うと、蒼衣は困ったように笑った。


「長い話になるし、市川さんも腰を下ろしたら?」蒼衣は言った。「よかったら、お茶、淹れるわよ。ティーバッグだけど、いいものを貰ったの」


 回れ右する選択肢もあった。例によって、脳内では知佳ソフィ知佳ソフィの大合唱だ。しかし、知佳は腰を下ろした。


「つまりだな」カナは炬燵の上に置いてあった草加煎餅の袋を開けながら言った。「これはいわゆるあれだ。なあ、蒼衣」

「そうね」蒼衣は電気ケトルのスイッチを入れながら言った。「ロールプレイングというのが適切かしら」

「そう、それだ」カナは煎餅を咥えたまま、バリっと半分に折った。「まあ、身も蓋もない言い方をすれば、演技だ」

「ちょっとカナ!」夢路が声を荒らげた。

「瑞月のままの方が静かだったかもな」カナは言った。「まあ、でも実際に見てもらわないことにははじまらないか」


 頭を抱えたくなる。


「えーっと」知佳は言葉を選びながら言った。「つまり

「まあ、そういうことだ」

「いい加減怒るわよ」

「うるさいけど、我慢してくれ」カナはどこ吹く風で言う。「これも演技の一貫でな。やらざるを得ないんだ」

「あのね――」

「夢路さん」蒼衣が声をかけた。「いまは抑えて。ね? いきなり信じろって言っても無理な話だわ。だから、いまはそういう設定として説明することを許してあげて」

「わかってるわよ。慣例だもの。夢路はただこの子がカナの言うことを真に受けすぎないよう釘を刺しただけ」夢路は引き下がった。そして、指を二本立てる。「その代わりわかってるでしょうね」

「ええ」蒼衣は頷いて、戸棚に向かった。「砂糖二本ね」

「サンキューな、蒼衣。これで話しやすくなった」カナは言った。「面食らってるだろうけど、これがうちの伝統なんだ。巫女のうち一人がりんご様――夢路を演じ、それを他の巫女が歓待することで擬似的に神をもてなすっていう、な。その巫女のことをうちでは依代よりしろと呼んでる」

「小太刀さんがその依代なんだ」

「そういうことだな」


 夢路は説得されてか沈黙を守っている。目が合うも、逸らさない。すっかり人格が切り替わっているらしい。


「今朝、夢路と話したんだろ」

「うん。あれってどういうこと? なんで小太刀さんじゃなくて夢路さんだったの?」

「あのときはみーちゃんもパニックだったから」蒼衣は言った。「見知らぬ人とぶつかっちゃったんだもの。さっきのみーちゃんの様子を見たでしょ。で対応できると思う?」

「それで夢路さんの人格に代理させたの?」


 わかるような、わからない話だ。けっきょく、自分が対応することには変わらない。


「そう説明すると、なんだか自動車保険の事故対応サービスみたいだけど」

「まあ、その辺は瑞月本人じゃないとわからないだろうな」カナは言った。「いちおう、物理的な刺激を引き金に人格が入れ替わることもあるって設定もあるんだ。それにとっさに従った可能性もある」

「……そういう決まりごとって誰から教わるの?」

「だいたいは先輩の巫女からって形だな」カナが答えた。「夢路のキャラも基本的に先代の依代からコピーすることになってる」

「真似るってこと?」

「まあ、そうだ。基本的には見て聞いて覚えるものらしい。技術は盗めってやつだな」

「あんまり直接的に指導すると神秘性が失われるしね」蒼衣が補足した。「建前としてはいちおう夢路さん本人ってことだから」

「そう。だから、新しい巫女に説明するとき以外にこの設定に触れるのはタブーとされてる。最初の打ち合わせ以外はずっとってことだな」


 蒼衣が人数分のカップにお茶を注ぎはじめる。順番に、少しずつ。陶器のカップが琥珀色の液体で満たされていく。


「でも、どうしてそんな伝統が?」知佳は言った。「ただ神様として祀るだけじゃダメなの?」


 カップとスティックシュガーが回される。知佳は自分の分を受け取った。香気高い湯気が立っている。まだ熱くて飲めそうにない。カップを持ち上げ、息を吹きかける。


「夢路は満十五歳のときに死んだ」カナは何度か息を吹きかけるとカップを口につけ、傾けた。「まだ人生これからって年だ。もちろん当時は戦時中だったし、空襲や飢餓、病気で子供もたくさん死んだ。だけど、長生きできる可能性だって十分あった。もしかしたらいまだって生きてたかもしれない」カナはそこで夢路に向き直り、「なあ、だとしたらいくつになるんだっけ」

「レディに年を訊くものじゃないわ」夢路は不機嫌そうに言った。「夢路は永遠の十五歳。それでいいでしょ」

「じゃあ、そういうことにしとくとして――」カナは続けた。「夢路が死んだのは一九四四年の晩秋だった。当時は知るよしもないことだけど、終戦まで一年もない。夢路は戦争で死んだわけじゃないけど――その、なんだ。間接的には被害者みたいなもんだろ。警察がまともに機能してたら、事件は起こらなかったかもしれないんだから。後一年生き延びていれば――少しずつ秩序を取り戻し平和になっていくこの国で生を謳歌できたかもしれない」


 夢路はなんとも言えない表情でカップに口をつけた。しかし、猫舌なのかすぐに顔をしかめて、口から離す。


「夢路には青春なんてあってないようなもんだった。もちろん、当時は小学校すらろくに通わず働く子供だって珍しくなかったけど――せっかく入学した学校は軍に接収されて、軍需工場化。そこでやらされることと言ったら――なんだっけ、ほら」

「チョコレートの包装ね」蒼衣が補足する。


 意外に可愛い仕事だ。そう思っていると、


「特攻隊員が出撃前に食べる用のものだったそうよ。気分を高揚させ、恐怖心を麻痺させるためのものでね」

「それって……」


 当時、チョコレートがどれほど貴重だったかは知らない。しかし、ただのお菓子にそこまでの効果があるはずがない。命と釣り合うはずがない。


「そう、覚醒剤ヒロポンが入ってるやつな」カナは何でもないことのように言った。「そりゃあ、死んでも死にきれないよな。お国のためにと奉仕させられて、戦争に加担させられて――しかも後になってそれが全部間違いでしたってんだから。自分の犠牲はなんだったのか、とも思いたくなるだろ。何のために学生生活を奪われて、何のために殺されたのかってな。戻らない命を、青春の日々を思ってやりきれない気持ちにもなる」

「だから、その青春を疑似的に体験させてあげる?」

「そう。とはいっても、そこまで気を遣う必要はないぞ。永遠の十五歳ってことは、もうほとんど後輩みたいなもんだし。普通の友達として接してやればいい」

「そうね。それが、夢路さんが焦がれた日常なんだから」

「ちょっと、それは拡大解釈よ。夢路はあなたたちみたいな小娘と仲良くする気なんてないの。話だって合わないし。夢路は神様。あなたたちは巫女。わかる? 王様と召使いみたいなものよ」

「気にするな。いつものツンデレだから」

「勝手に解釈しないで」

「何か質問あるか?」


 知佳はカップを揺らした。ようやっと一口つける。


「夢路さんのキャラって最初に考えた人がいるんだよね」

「それがな。実は夢路本人だそうだ」

「どういうこと」

「つまりね、っていうの」

「設定じゃなくて本当にってこと?」

「そういうことになってる」カナは言った。「真偽はわからないけどな。そのいわばオリジナルの夢路が、当時の巫女たちにを下し、伝統の基礎が出来上がったらしい」

「それ以降も時折、本物の夢路さんが現れることがあったらしいわ」蒼衣が付け加える。「本物の夢路さんを宿した本物の依代が現れることが」

「それ以外はコピーなんだよね? オリジナルからズレてこないの?」

「夢路も死んでるとはいえ、長いことこの世に留まってるわけだからな。性格や考え方も変わってくるだろ。肉体の影響を受けたって説明もつく。食べ物の好み、趣味、語彙。その程度のズレはむしろ自然なものとして容認されてる」


 手が込んでいるのか、投げやりなのか、わからなくなってくる。


「このお茶、OGの寄進なのよ。巫女のOGの。このティーカップも」


 言われて、手元のカップに目を落とす。もしかして、高いものなのだろうか。


「巫女は学校側にも黙認された存在なの」蒼衣は言った。「代々、屋上と作法室の鍵を預かってる。まあ、あんまりおおっぴらにはできないけど」


 たしかにそれは気になっていた。


「学校側が何でそこまでするのかって聞きたそうな顔だな」カナは強引にまとめた。「何も最初からこうだったわけじゃないんだ。ここを根城にするようになったのも――なあ、蒼衣いつごろだっけ」

「UFO事件の後だからちょうど半世紀くらいね」


 また訳のわからない単語が出てくる。


「なんだと。まあ、とにかくいろいろ歴史があっていまに至るわけだな」カナは言った。「巫女って言ってもたいした仕事があるわけじゃない。こうやって神様のご機嫌取って、始業式とかの節目節目で屋上の祠にりんごを供えて年度末に屋上の掃除をするくらいのもんだ。あとは男とどうこうなりさえしなけりゃいい」

「夢路の寛大さに感謝しなさい」夢路は優雅にカップを傾け、「こんなホワイト待遇よそではないわよ」

「まあ、そのをめったに見かけないんだけどな」

「もしも――」知佳は言った。「巫女がいなくなったり、男の子とどうこうなったらどうなるの」


 沈黙が流れる。


「去年のことだ。まさにそういうことが起こったらしい」カナは言った。「巫女の間でちょっとごたついてな。実質、空中分解みたいな形になった」


 ――ただ、その先輩方はもう出入りしていないようです。


「それでも、一人の先輩がここを守ってたんだが――」


 カナは言葉を切った。


「どうなったの」


 ――というのも、わたしたちが入学する少し前――


「消されたのよ」夢路は言った。「誰であろう、このりんご様にね」

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