6 冬の怪談
*
察しがいいんだな。
やっと怖がってくれた。
*
「あー、あれか。あれな」少女は頭をかいた。「それってどうしても知りたいこと?」
「殴られたからって拗ねてない?」
「アヤみたいな突っかかり方をするんだな」少女は特に気にした風もなく言った。「いや、別に話してもいいんだけど、冬にするような話じゃないんだよな」
「それってどういう……」
「ホラー映画とか見る方?」
「別に」知佳は反射的に答えてから、「ちょっとこれ何の質問?」
「心霊特番は欠かさず見る方だ」少女は畳みかける。
「別に」
「夜、一人ではトイレに行けない」
「別に」
「アポロは月面に着陸してないと思う」
「別に」
「オーケー。行けるクチらしいな」
「どういう基準? いまのアンケートみたいなの何?」
少女はかまわず続けた。
「吸血鬼事件。去年の梅雨入りするかしないかって時期に、そういう事件があったよな」
心臓がとくんと跳ねた。
なぜここでその事件の名前が出てくる?
「大阪の竹林で少女のバラバラ死体が発見された事件」
――十日午後七時半ごろ、大阪府S市の竹林で、散歩中の男性が人体の一部らしきものを発見し、依頼された通行人がS署に通報した。
「警察がいくら探しても、身体の一部が見つからなかった事件」
――駆けつけた警察官らが周囲を捜索したところ、他にも遺体の一部が発見され、大阪府警は死体遺棄事件とみて捜査を始めた。
「心臓だけが見つからなかった事件」
――府警は新たに発見された遺留品などから遺体をS市の女子中学生、
「犯人が心臓から血をすすって、「絞りかす」は食べたと供述している事件」
――二四日午後五時ごろ、大阪府警はS市の高校に通う一年生の少年(十六)を澪瀬実理さん殺害ならびに死体遺棄と死体損壊の容疑で逮捕した。
「いわゆる快楽殺人ってやつだ」
――逮捕された少年が遺体の一部を食べたと供述していることが分かった。
「殺したいから殺す。そうするのが気持ちいいから殺す。そういう衝動を持った奴の犯行ってことだな」
――捜査本部は、少年の供述を基に残りの遺体を捜索するとともに、供述の真偽について慎重に調べているという。
「そういう奴はいつの時代にもいる。どんな場所にもいる。たとえば、八〇年前のこの街にも」
――
「八〇年前――といってもだいたいなんだけどな――とにかく、この国が戦争をやってた頃の話だ」少女は思い出すように言った。「むかしは戦争なんてなくても、いまよりずっと物騒だったんだ。いわゆる猟奇事件ってやつも多かった」
――みんな人殺しだった。殺すのが好きだった。神様はたまにそういういたずらをする。同胞を殺すことで性的興奮を覚える人間を作る。
「この学校でも、事件があった」少女は言う。「まあ、学校といっても当時はすでに工場として徴用されてたんだけどな。授業は止まり、女学生たちは工場での労働に従事させられていた。そして、ある秋の早朝、そんな女学生の一人が学校の塀にもたれかかった状態で発見されたんだ」
――でもこの子、知佳りんに似てへん?
「ここが吸血鬼事件と違うところでな。眠ってるようにきれいだったらしい」
――本当に何の関係もないん?
「だけど、犯人はやっぱり吸血鬼だった。心臓だけがきれいに抜き取られていたんだ」
――民間伝承において、吸血鬼は元々、心臓に直接牙を立てて血をすするとされていた。首筋に噛みつくイメージは、見映えの問題で後世になって作られたものだ。
「心臓を抜き取られていたんだ。まさか自然死なわけがないよな。誰かがやったんだ」
――わたし、たまに思うんだ。いつか彼に殺されるんじゃないかって。
「快楽殺人ってのは一件だけで終わるようなもんじゃない。戦時中だからまともに捜査も行われなかったはずだし、犯人は思うままに少女の心臓をコレクションできたはずだ」
――これがほしいんでしょ?
「尤も、戦後になって似たような事件が起きたって記録はない。犯人が徴兵されたのか、空爆で死んだのか、神託を受けて改心したのか。真相は藪の中。神のみぞ知るってやつだ」
――いいよ、あげる。
「だけど、だから、この話にはまだ続きがある」
――それがあなたの本当に欲しいものなら。
「戦後、女子高として生まれ変わったこの学校で、ある噂が立ちはじめた。例の少女の怨霊が自分の心臓を求めて学校の敷地内を彷徨ってる――ってな。何か実害があったわけじゃない。そういう記録はない。事件のことを知った誰かが広めた、他愛ない噂話みたいなものだった」
――だから、いいよ。
「だから、そう――それは恐怖じゃなく、憐れみからはじまったんだ」少女は続ける。「事件のことを知ったある心優しい生徒がその怨霊を哀れに思い、鎮めることを考えたんだ」
――わたしから奪って。
「そうしてはじまったのが、りんご様の信仰だ」少女は淡々と続ける。「怨霊を神として祀り、心臓に似た別の供物――りんごを供えるってわけだな」
いつからだろう。雨は止んでいた。風も弱まっている。相変わらずの曇り空だが、ずいぶんと明るくなった。
「そうなんだ」知佳はなんとか声を絞り出した。
少女はどのくらいの間話していたのだろう。知佳は曖昧な相槌を打つばかりだった。
疑問がないわけではない。
怨霊を祟り神として祀ることでその怒りを鎮めようとする発想はむかしからあった。
それこそ天神様だって元は菅原道真の怨霊だ。生前の恨みから都に災いをもたらす存在が手厚く祀られ、神になった。逆に御利益をもたらす存在になった。
しかし、りんご様はどうだろう。
少女は言った。はじまりは恐怖ではなく憐れみだったと。それがなぜ祟り神として祀られる? ただの噂だけで祠が建つまでの存在になる?
「あんまり驚いたようには見えないな」少女は手すりに背中を預けながら言った。「いや、驚いてはいるのか。でもどこか冷静だな。どうやら本当にこの手の話に強いタイプらしいな」
まるでこちらの心を覗き見るかのように言う。
「でも、なんで偽物のりんごなの?」
「貯蔵技術の問題で、むかしはりんごが出回る時期も限られてたからな。その頃の名残りだろ」少女はあくびを漏らした。「ちなみにこのりんご毎回手作りな。本物のりんごなんてスーパーで買ってくれば終いだ。それよりは手間がかかってるだろ?
少女は言葉を区切った。天を仰ぐようにして押し黙る。細い首筋に、雨粒が伝った。
「どうしたの」
「いや」少女は頭を下げた。前髪が垂れて、目を覆う。「ただ、そう――なんにしても、ふざけた話だと思ってな」
「どういう意味?」
少女は前髪を横に払った。どこか焦点の合わない目が知佳に向けられる。
「だってそうだろ」少女は言った。薄い唇が笑むように歪み、八重歯が覗く。「こっちは心臓を取られてるんだ。それをこんなガラクタで代用しようだなんてムシが良すぎると思わないか?」
「え」
「察しがいいんだな」少女が手すりから身体を離した。「やっと怖がってくれた」
少女はゆっくりと知佳の方に歩いてきた。
風でポンチョがはためく。
何かの弾みで首元のボタンが外れたらしい。いまや、少女の鎖骨までが見える。そして、セーラー服の白い襟――
知佳は息を飲んだ。
なんで気づかなかったのだろう。
少女の首が露わになっていることに。
ブラウスの襟が見えないことに。
この学校の制服を着ていないことに。
この学校の生徒じゃないなら、彼女はいったい――
考える間に、少女はすぐ間近に迫っていた。
少女は知佳の左胸に手を添えた。もう片手にはいつの間にか折り畳み式のナイフが握られている。
「さっきからずっとこの音が気になってたんだ」少女は知佳の胸に視線を落としたまま言った。「おもしろいよな。音の強弱、リズムで何を考えてるのか手に取るようにわかる」
そんなことがあるだろうか。
目の前の少女が――
この少女こそが――
「なあ、知ってるか」囁くように問う。「心臓の取り出し方」
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