第51話 失くしたもの -ライラ-


 ライラはフェリクスによって自宅監禁に近い処遇を与えられていた。自分を溺愛している父に言って解放して欲しいのに、兄の差し金か全く会わせて貰えない。

 それでもライラは何とか人目を掻い潜り、皇城のアーサーの私室へと乗り込んだ。


「アーサー!」


 子どもの頃とは違う。仕事部屋のような私室。ここに入れるのもずっと自分だけだった。


「ライラ……?一人か?っ何をやってるんだ君は!」


 アーサーは目を丸くした後、動揺に声を荒げた。


「アーサー会いたかったの。お兄様が貴方ともう結婚出来ないと言うのよ。酷いでしょう。皇城内での噂なんて貴方が払拭してくれるわよね?貴方の妻は昔からわたくしがなると決まっているでしょう?」


 アーサーは眉間に皺を寄せて、人を呼ぼうと口を開いた瞬間、それを自らの腕で遮った。ライラがアーサーの胸に飛び込み、口づけようとしたのを手で防いだのだ。


「……何をしているんだライラ」


「あなたがわたくしを抱けばいいのよ。子どもが出来れば誰も文句を言えないわ」


 デヴィッドはライラが初めてだと知って驚いていた。既にアーサーと関係を持っていると思っていたようだ。ライラはむくれた。真剣だと言っているのに。


 けれどその後可哀想にと頭を撫でられた。殿下はひと欠片の情けも授けなかったのかと。そしてライラが男の体を知る事は良い事だとも教えてくれた。きっとアーサーも喜ぶに違いないと。


「……」


「大丈夫よ。デヴィッドの子はわたくしに宿っていないわ。彼はそれだけは気をつけるようにしていたもの」


 ライラははにかむように笑い、アーサーの腕をなぞるように掴んだ。アーサーはこの顔が好きだった。だから大丈夫。


「真剣な恋だったけれど、彼と結婚するつもりはなかったのよ、ねえ信じてくれるでしょう?アーサー。わたくしきっとあなたを満足させ────」


 ダンッ!!


 大きな音に身を竦め、ライラの言葉は遮られた。


「誰か!今すぐ来い!!」


 途端に部屋のドアが開き、近衛が部屋に駆け込んで来た。

 アーサーの拳が執務机にめり込んでいる。こんな力で殴られでもしたら、その痛みは兄に受けたものとは比べ物にはならないだろう。ライラはさっと顔を青ざめさせた。


「婚約者のいる女性を、私の部屋に勝手に入れるとは何事だ」


 アーサーの静かな怒りに近衛が息を呑んだ。


「は……しかし……」


 彼らはアーサーとライラを交互に見てから言葉を区切る。


「婚約って……」


 しかしそう呟いたのはライラだった。


「今日デヴィッドと君の婚約が発表された。おめでとうライラ」


 ライラは目を見開いた。兄の仕業だ。


「っ!待って!違うわ誤解なの!わたくしずっと屋敷に閉じ込められていて……!」


「……フェリクスから聞いている。皇城内での君の不名誉な噂は私の方で対処しよう」


 アーサーはこちらを見もせずに近衛に手振りだけで連れて行くように指示した。


「アーサー!」


 どうしてわたくしを見てくれないの?寂しいわ。寂しかったの。それだけだったのよ────!


「……それでも君を好きだと言えたなら、私は幸せだったのだろうな」


 ポツリと呟いたアーサーの横顔に、今までデヴィッドに抱いていた恋心が溶けるように霧散していく。アーサーがこちらを向いてくれない。たったそれだけの事で。


 ライラが何かを口に出そうとする前に、肩を掴んだ近衛に引きずられるように部屋から出される。


 そのまま扉は大きな音を立て勢いよく閉まった。ライラは壁のようなそれを呆然と見つめた。

 アーサーはもうライラを見ない。遠くを見つめていたあの海色の瞳もいつだって見ていたのは未来だった。


 それでもあの時は、まだいつかどこかで交わる未来があったのに────


 ライラはその場にくずおれるように座り込みポロポロと涙を流した。いつの間に間違えてしまったのか。何故、どうして────そうしてうずくまり、誰にもはばからずにわあわあ泣いた。


 やがて迎えに来たフェリクスが抱きかかえて家路に着いても涙は止まらなかった。アーサーが描く未来の中に、ライラを写す事はもうきっと無いだろうから。


 ◇ ◇ ◇


 正真正銘の貴族令嬢たる自分があれ程辛い日々を送っていたのに……その役目を放棄せん振る舞いのリヴィアは毎日楽しそうに、皇族にも認められて過ごしていた。


 ずるいと思った。


 だから話したのだ、イリスに。


 ────あなたは知らないうちに婚約させられているのです。それも……


 貴族令嬢らしからぬ、奇天烈な女性。


 イリスの恋人のアンジェラは豪商の娘だが、この地に利益をもたらすお互いに利のある関係でもある。

 貴族ではない彼女はイリスにとっては気安く付き合える間柄でもあるようで、豊満な胸を惜しみなく晒して腕を絡める様子は、婚約者というより愛人にしか見えなかった。


 それでもそんな女性を平気で連れ歩くイリスは、少なからず彼女に溺れているのだろう。驚いて目を見開くイリスにライラは囁いた。


 ────あなたが知らないならば勝手に結ばれている婚約。どう対処するにしてもご注意ください。


 暗に家族は味方ではないと仄めかす。


 それだけで彼は辺境の地から皇都のリヴィアの情報も、婚約破棄の手順も自分で調べ達成してしまった。

 最もイリスが雇った人間にはライラが金を握らせ、リヴィアの情報は改めさせて貰ったが。


 このくらい構わないだろう。いつも自分ばかり。自分だけ────


 ただ結婚してこんなに離れた領地に来てまで、またあの名前が出てきた事が許せなかっただけだ。


 ◇ ◇ ◇


 ライラはこんなことなら皇都の方がマシだと父を頼って魔術院に通わせて貰う事にした。


 けれど父もまた以前のように優しくライラを受け入れない。

 好きにしなさいと、突き放したような物言いでライラに接する。

 自分が悪い訳でないのに。もどかしく思ったが、それでももう嫁したあの地にはいたくなかった。


 ◇ ◇ ◇


 ライラには母がいない。産まれてすぐに亡くなった。その為父からは沢山の愛情を注がれ育ったが、教育係として選ばれた侍女頭が厳しかった事もあり、あの年頃の女性が苦手になってしまった。


 義母と離れられる事に心底ほっとして、デヴィッドの事まで気が回らなかった。

 皇都に発つとデヴィッドに告げれば、咎めるような目を向けられ、ライラは益々苛立った。自分の努力も疲労も何も見ずに、放っていた夫。顔を見るのも嫌になって、そのまま領地を飛び出した。


 結局そこでまたあの女に会う。


 どうして────


 咆哮のような悲鳴が頭の中に響く。


 今まで自分のものだったその場所に、自分がなれなかったその座に────


 どうしてあなたがなっているのよ!


 ライラは痛いほど唇を噛み締めた。




 × × ×



この話の一部は36話とリンクしています。

分かりにくくて済みませんヽ(´o`;

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