第50話 突きつけられたもの

 ライラの行動に、それまで彼女と親しくしていた既婚女性たちは眉をひそめるようになった。


 ────あなたはアーサー殿下の婚約者候補なのですよ。


 ────これは誤解されても仕方ない振る舞いですわ。


 次第に離れていく自分を取り巻く者たちに、ライラは執着しなかった。

 何が気に入らないのか。彼女たちの夫や、或いは自分たちにも恋人という存在が寄り添っている事をライラは知っている。それだって貴婦人として知っていた方が良いと、彼女たちから教わった事だというのに。


 そもそも皇族の侍従と仲良くする事の何が悪いのか。自分もやがて皇族になるのだ。何も問題は無いと思ったし、むしろ自分に後ろ足で砂を掛けるような愚か者たちを哀れに思った。


 それなのに、デヴィッドはアーサーの前ではライラを一切見ようとしない。彼女たちの戯言を間に受けているのだろうか。ライラは何も心配していないというのに。


 何故ならアーサーはライラの事しか見えていない。ただ微笑むだけで、ライラの存在に満足して手放せないのだ。自分はアーサーの望む事しかしていない。


「まるで秘密の関係のようですね」


 デヴィッドが揶揄からかうように口にした。


「まあ、そういうのも楽しそうね」


 ライラは背伸びをし、デヴィッドの顔を覗き込んだ。


「遊びならいいですよ」


 デヴィッドはどこか茫洋とした目でライラを見つめ返す。


「わたくしは死んでもいいわ」


 だってきっともう止まれない。もう同志なんかじゃない。


 自分がそう思っているようにデヴィッドも自分に触れたいと思っている。ライラは口元に綺麗な笑みを作ってデヴィッドに微笑みかけ、その唇をデヴィッドのそれに押し付けた。


 ああでも……


 ライラはふと思う。アーサーは自分にこんな想いを向けた事は無かったなと。だがすぐにどうでも良くなり、そのままその背に腕を回して、抱きしめてくる胸にすり寄った。


 ◇ ◇ ◇


 兄に殴られた。


 誰もが褒めてくれる自慢の美貌を。


 拳では無かったものの、淑女の顔に何てことをするのだ。

 ライラは発狂せんばかりに怒り、罵詈雑言を浴びせかけた。

 兄は拳を握り未だ止まぬ怒りに肩を震わせている。


 普段は冷静な兄が……

 ライラは呼吸を整え兄を睨んだ。


「そこまで愚かだとは思っていなかった」


 何を言い出すかと思ったら。ライラは鼻で笑った。兄まで社交会での他の令嬢たちがこぼひがみのような事を言い出すのか。


「未通じゃ無い女性は皇族に嫁げない」


 だがその言葉にライラは口元を歪ませた。


 だって負けたく無かったのだ。デヴィッドには他にも言い寄る女が何人もいる。既婚だろうと未婚だろうとみんなお構いなしなのだから。


 既婚女性たちが嗜めたのも、きっとそれをライラがデヴィッドに許したから。でも……


 例え本気の者がいくらいようと、その中で一番は自分だ。デヴィッドの唯一は自分なのだ。婚前交渉している恋人など沢山いる。それに結婚後の遊びは許容されるのに、婚前の真剣な恋愛を否定されるなど、おかしいではないか。


 ライラの中でデヴィッドに対する恋は真剣で、それがアーサーに対する不義理とは結びつかなかった。


 アーサーが自分に好意を向けている以上、二人の結婚は揺るがない。何よりアーサーは何も言わなかった。自分がデヴィッドをどれ程見つめていても……


「アーサーはわたくしを愛しているもの!」


「この馬鹿!」


 大声にドアの外に控えている使用人がさざめくのが聞こえる。


「お前のしている行為は殿下への裏切り以外の何者でもない!恥ずかしいとは思わないのか!長年婚約者として振る舞ってきた男性を裏切り、違う男に貞操を捧げたんだぞ!しかも愛し合っている?皇城内で人目も憚らずお前たちが好き勝手やっている行為の事か?!」


 ライラは顔を赤くした。そんな事……誰も知らない筈だ。

片手で頭を掻きむしるフェリクスを呆然と見る。


「だからさっさと外に出せば良かったんだ」


 うめくフェリクスの言葉の意味は分からない。そんな事より……


「お兄様……その……どうして知っているのです?」


 デヴィッドが誰も来ないと言っていたのに。


 ライラの言葉にフェリクスは獣のような目を向けてきた。ライラはひっと息を飲む。


「お前、皇城にどれだけの人間が勤めていると思っているんだ?どうせデヴィッドに誰も来ないとか言われていたんだろうが、その誰もに使用人は含まれていなかったんだろうな」


 ライラは全身から血の気が引くのを感じた。デヴィッドとは秘密の恋人ごっこをしていたのだ。

 お互いの屋敷や外で会う事が出来なかったから、会える場所で愛を確かめ合っていた。だがライラだって人前でそんな行為に更けって平然としていられる程厚顔では無い。無いが……


「────っそんな、お兄様。わたくしどうしたらっ?!」


「殿下へは話を通さず俺のところで止めている」


 救われたような気持ちで兄に縋りつく。このまま黙ってアーサーと結婚出来れば、アーサーが守ってくれる。元々彼だって悪いのだ。婚約者扱いしておきながらライラを放っておいたのだから。


 だが見下ろすフェリクスの目は侮蔑の色しか見てとれない。縋り付いた手が震え、力が抜ける。


「お前はデヴィッドと結婚しろ」


「そ、そんな。わたくしは今まで厳しい皇子妃教育に耐えて来たのですよ。そんなわたくしの努力を……」


 フェリクスは鼻で笑った。


「一体何を学んだんだか」


「そ、それに今更わたくしが他の男性と結婚したらアーサーが……」


「今のお前と結婚した方が殿下の評判が落ちる」


 それでもアーサーが止める筈だ。だってアーサーは自分を愛している。ライラは頭の中で何度もアーサーの名前を呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る