30.嘘

「嘘?」


 予想外の告白で驚く俺に構わず、かのんは話を続ける。


「前にね、中学の時に転校したって話をしたじゃない?」

「ああ、確か、俺がいなかったから女子校に行ったっていうあれか」

「それが嘘。蓮くんがいなかったから転校したわけじゃないの」

「じゃあなんで?」

「……怖くて」


 ペットボトルを握る両手に力を込めて、うつむきがちにかのんは語りだした。


「前にね、この髪と目の色が原因でいじめられてたって話をしたじゃない」

「うん」

「中学に入ったら、いじめてた子たちと再会しちゃって」

「……」

「ああ、またからわかわれるんだろうな、嫌だなって思ってたんだけど……」


 そんな思いとは裏腹に、いじめてた連中は態度をコロッと変えて、かのんにすり寄ってきた。


 成長していくにつれて、容姿の可憐さ、そして資産家の令嬢というステータスがいかに魅力的かと考えたらしい連中は、最初からいじめなんてなかったかのように振る舞い、「これからは仲良くしようね」と言い放ったそうだ。


「私、そんな風に振る舞える人がそばにいることが怖くて……」


 それはそうだろう。簡単に手のひらを返す奴らほど信用できないからな。


「だからね。私からお父さんにお願いしたの。遠くの女子校へ転校したいって」

「それじゃあ星月さんが話してくれたのは……」

「全部、美雨の作り話。天ノ川家の人間が、その程度のことで怯えては格好がつかないでしょう、って」


 ちなみにそれは、星月さんがその場で考えた即興の作り話だったそうで、他の人から聞かれた時は家の事情と答えていたらしい。


 即興でそんな話を思いつく星月さんすげえなって思うのと同時に、なんで俺には家の事情って話さなかったのかという疑問も残るけど。


 ともあれ、ペットボトルのお茶で一息ついてから、かのんは再び口を開いた。


「それでね、転校する時に考えたの。初めから偏見なく、私を受け入れてくれる人がいたならこんな思いをしなくても済んだのにな、って」

「……そうだな」

「こういう時、私のそばに、あの時の男の子が……蓮くんがいてくれたら違ったのにな、って」


 かのんの穏やかな眼差しが俺の顔を捉える。


「どうして俺なんだ? 七年前に出会ったってだけで、どうしてそこまで信じられる?」

「だって、蓮くんは見た目だけで私をからかったりはしなかったじゃない。……それに」

「それに?」

「『おまじない』もかけてくれた」


 かのんはそう言うと、バッグに付けられた拙い黒ネコのぬいぐるみを差し出した。


「七年前ね、お母さんが病気で亡くなって、落ち込んでいた時に現れたのが蓮くんだったの」


***


 公園で泣きじゃくる女の子を慰めようとして、男の子は泣いている理由を尋ねた。


 大好きだったお母さんが死んでしまったこと、髪の色と瞳の色を褒めてもらう相手がいなくなってしまったこと、そして、この髪と瞳が原因でいじめられていること。


 一通り話を聞き終えた男の子は、自分のポケットからお手製だというぬいぐるみを差し出し、「それじゃあ僕が『おまじない』をかけてあげるよ」と言い出した。


「大好きだったお母さんみたいに、君が素敵な大人になれるように。友達ができるようにって」

「……ぐすっ……ホントに?」

「うん。きっと叶うよ。僕が作ったこのぬいぐるみはね、お守りにもなるんだ! だから絶対に大丈夫!」

「そんなのウソだよ……」

「ウソじゃないよ! だってほら、僕と君はもう友達になったんだから」


 にっこりと微笑む男の子に、戸惑いの眼差しを向ける女の子。


「ともだち?」

「そう。僕たちは友達」

「ともだち……」

「もっと自信を持ちなって。そんなにキレイな髪と目をしているんだもん! みんなもきっと友達になりたいはずさ」

「そ、そうかな?」

「大丈夫! そうに決まってるよ」

「そ、それじゃあ、次に会う時は私と遊んでくれる?」

「もちろん!」


 元気のいい返事とともに、男の子から黒ネコのぬいぐるみを受け取ると、女の子は嬉しそうにそれを胸元へ抱きしめた。


 それを見ていた男の子は満足そうに頷いて、何かをひらめいたように言葉を続ける。


「これからずっと仲良くしていくんだったら、友達っていうよりも……」


***


「「『幼なじみみたいだね』」」


 瞬間、俺とかのんの声が合わさった。途端に青い瞳を潤ませて、かのんが呟く。


「思い出したの……?」

「……ああ」


 思い出話を聞かされているうちに、記憶が鮮明になっていくのがわかった。


 もちろん、全部を覚えているわけじゃないけれど、俺はあの時、確かに、かのんへそう言ったんだ。


 『幼なじみ』みたいだね、って。


 それってどういう意味と聞き返すかのんに、友達以上に仲のいい関係なんだよって話していたことも。


 なんてこった。そもそも、幼なじみと言い出したのは俺の方だったんじゃないか。


 しかもそんな風に言っておきながら、その後すぐに引っ越すとか、最低にもほどがあるだろ、当時の俺。


「いいじゃない、こうやって再会できたんだし」


 気にしないよとばかりに、かのんは言うけど、再会できなかったらどうするつもりだったんだ?


「え? なんとしてでも蓮くんと会うんだって思ってから、全然考えてなかったケド?」

「無計画すぎじゃないか、おい?」

「エヘヘへ。これもひとえに愛ですよ、愛。蓮くんってば乙女心がわかってないなあ」

「……それもそれである意味怖いな」

「むぅ……。どういう意味よぅ。こんなに可愛い子が探してあげるっていうんだから感謝してもらわないと」

「そうだな。かのんは可愛いからな」

「気のせいかなあ。なんか、棒読みっぽい気がするんですけど?」


 そして俺たちは顔を見合わせ、どちらともなく笑い声を上げた。


 緊張感から解放されて、かのんはいつも通りの愛らしい微笑みを浮かべている。ここにくるまでは不安で仕方なかっただろう。


 もしも俺が思い出さなかったら……かのんは絶望していたかもしれない。あるいは、気丈に、いつも通りに振る舞うか。


 どちらにしても覚悟のいることで、俺はその勇気に報いなければならない。


「なあ、かのん」

「なに?」

「俺も話したいことがあるんだ」


 期待に満ちた瞳で、かのんが真っ直ぐに俺を見つめる。今から話す内容は、彼女を満足させるものではないかもしれない。


 それでも打ち明ける必要があるんだ。昔の俺を。……子供の頃の自分自身についてを。

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