12.勉強会(後編)

 勉強会はスムーズに進んだ。


 かのんが教えてくれる英語の授業はとてもわかりやすく、ネイティブな発音は聞き惚れるほどに見事で、トップクラスの成績は伊達じゃないということを伺わせる。


 改めて才色兼備っぷりを見せつけられると同時に、俺はこの場にいない星月さんへと心の中で文句を呟いた。


 ポンコツとかダメダメとか言っていたけど、勉強面はしっかりしているんだし、そんなに酷い評価をしなくてもいいんじゃないか?


 良家のお嬢様かもしれないけれど、かのんも普通の女の子なんだ。苦手なことだってあるだろう。家事が苦手だって、他で補えればいいじゃないか。


 まあ、勉強会の間、「教え方が上手い」「発音がキレイ」「先生の授業よりわかりやすい」……など、賞賛の言葉を浴びせていたら、途中からずっとドヤ顔を浮かべるようになったのだけはどうかと思うけど。それも些細なことだろう。


 それよりも。


 才女が目の前にいるのだ。他の教科を教えてもらうのもいい機会かもしれない。


「なあ、かのん。その優秀さを見込んで頼みがあるんだけど」

「優秀だなんて……。そんなことないこともないけど! 蓮くんのお願いなら聞いてあげる!」

「それだけ勉強ができるなら、数学も教えてくれないかな?」

「……へっ?」

「いや、今日の授業でわかんないところがあってさ。見てもらえると助かるんだけど」


 カバンから数学の教科書を取り出してみせると、かのんは愛らしい顔を微妙に引きつらせ、そして「数学かあ……」と、誰に言うまでもなく呟いた。


「ダメかな?」

「だ、ダメじゃないけど……」

「それじゃあお願いできるか?」

「う? うん……。いいけど……」


 英語を教える時とは違って、何やら曖昧な返事だけど、どうしたんだろうか?


 その理由は、ペラペラと教科書をめくっていく、そのわずか数分後に判明した。


「え、え〜っと? こ、この数式に? この値が入るのかな……多分」


 しどろもどろに口を開きながら、かのんの細い指が教科書のあちこちを迷走していく。


「……これはこっちなんじゃないか?」

「あっ、そうか。ゴメンゴメン、ついうっかり……」


 ごまかすように慌てて笑う仕草はすでに二桁を数えようとしていて、青い瞳をせわしなく動かすその様子に、俺はたまらず声をかけた。


「もしかして……数学は苦手?」

「……ソ、ソンナコトナイヨ」


 明後日の方向を見やりつつ、棒読みで応じるかのん。


「苦手なら苦手って言ってくれたらいいのに」

「だ、だって……」

「だって?」

「昨日だって、お弁当作るの失敗しちゃったし……。他の教科が苦手だって知られたら、蓮くんガッカリすると思ったんだもん……」


 うつむき加減に呟くかのんに、俺は軽く笑いかけた。


「そんなわけないだろ? 昨日も言ったけど、誰にでも得手不得手があって当たり前なんだ」

「でも……」

「っていうかな? これだけ英語ができるだけで立派だと思うぞ、俺は」

「……」


 懸命にフォローしたところで、かのんの浮かない表情に変化はない。自己評価が高いのか低いのかイマイチよくわからない子だなあ。


 とにもかくにも、このままというのはよろしくない。暗い雰囲気を払拭するためにも、俺は別の話題を切り出すべく、脳内をフル回転させた。


「そ、そういえばさ」

「?」

「英語の発音、とっても自然だったけど、どこで習ったんだ?」


 とっさに口を出た割にはいい質問だったようで、かのんはわずかに微笑んで、その秘密を教えてくれた。


「……うん。母方のおばあちゃんがイギリス人で、小さい頃に教わっていたの」

「なるほどねえ。それなら納得だ。……ん? そうすると、かのんはクオーターになるのか」

「うん。この髪の色も、目の色も遺伝なんだって。周りの人とは違うから、子供の時はよくからかわれていたけれど……」


 ミルクティー色の柔らかなロングヘアを片手でいじりながら、かのんはその青い瞳でこちらを見据えた。


 そうかあ? 俺にしてみたら、とても美しい髪と瞳の色で、憧れるしかないんだけどな?


 素直に思ったことを声に出すと、かのんは照れくさそうにはにかみ、それから瞳を細めてみせる。


「……七年ぶり二回目」

「なにが?」

「七年前に初めて会った時にも、蓮くん、まったく同じことを言ってくれたんだよ?」

「そ、そうなのか?」

「うん。その言葉を聞いて、私、本当に嬉しかったんだ……」


 幼い頃の記憶を辿ったのか、かのんは「エヘヘへ」と笑い声を漏らした。


 朗らかなその表情は、吸い込まれるほどに魅力的で、ずっと見ていた気持ちにさせられるけど。


 同時に俺は、自分の胸の中にちいさなもやがかかっているのにも気付いてしまった。


 幼い頃の出来事がキッカケで、かのんが俺を気に入り、俺のことを調べ上げた。多少強引な気もするけれど、そこまではいいだろう。


 でも俺は? 俺はかのんについて何も知らないのだ。


 これだけの美少女が好意を寄せてくれているのに、微妙に心が動かないのは、かのんの素性が謎のままという点が大きい。


 星月さんが言う通り、幼なじみの真似事に付き合うのもいいだろう。でも、どんな相手なのかわからないまま、それに付き合うというのはモヤモヤするというか……。


 モヤモヤするといえば、幼い頃にプレゼントしたという黒ネコのぬいぐるみもそうだ。


 かのんの学生カバンに取り付けられた、フェルト製の拙いぬいぐるみは酷くくたびれていて、女子高生の持つアイテムとしては役不足感が否めない。


 あんなブサイクな出来映えのものをプレゼントするとか、ちょっとありえないぞ、子供の時の俺! と、タイムマシンがあったなら、思わず説教をしに行きたくなるぐらいだ。


 製作者として、不完全な物を渡すのは不本意でしかない。微妙に寄り目になったぬいぐるみを見やりながら、俺はある提案を持ちかけた。


「なあ、かのん。そのぬいぐるみさ、やっぱりブサイクだと思うんだよな」

「そうかなあ? 私はかわいいと思うよ?」

「いやいや、今ならもっと上手なものを渡せると思うんだよ。だからさ、それと交換で新しいものをプレゼントするっていうのはど」

「ダメだよっ!!」


 話を遮るかのんの声は真剣そのものだった。


「これと交換で新しいものとか……。そんなの絶対にダメなんだから……」


 そしてぎゅっと、大事そうにぬいぐるみを手にするかのん。


 いつもの無邪気な笑顔とは異なり、顔つきも強張っている。


 圧倒されているこちらに気付いたのか、かのんは我に返った様子で、慌てて取り繕うような笑い声を上げてみせた。


 それから何事もなかったかのようにぬいぐるみを戻し、少し遠慮の混じった微笑みを浮かべてから口を開く。


「エヘヘへ……。突然、ゴメンね。さっ、勉強に戻ろっか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る