6.幼なじみの理由
この春からひとり暮らしを送っている三〇一号室の右隣。三〇二号室がかのんと星月さんの新たな自宅だそうだ。
そんでもって、その三〇二号室のリビングダイニングに通された俺は、椅子へ腰掛けたまま、静かに頭を抱えていたりする。
まったく、いまのこの感情をなんと表現すべきだろう?
同じ間取りとはいえ、インテリアが違うと部屋の印象も変わるもんだなあ、とか、一瞬でもそんなことを考えていた、ついさっきまでの自分を殴ってやりたい気分だ。
絶句している理由。それは星月さんが話してくれた『俺とかのんの出会いと諸事情』とやらに他ならない。
それはつまりこういうことだった。
***
七年前。その外見から、かのんは同級生からいじめを受けていた。
いまでこそ見た目麗しい、ミルクティーを思わせる淡いベージュ色のロングヘアも、その透き通るほどに青い瞳も、小さい頃は差別の対象となっていたらしい。
ある日、クラスメイトの男子に追いかけられ、学校から遠くへ逃げたかのんは見知らぬ公園に辿り着いた。
ひとり泣きじゃくっていると、心配するように声をかけてくれたひとりの男の子が現れる。
ぽつりぽつりと事情を話すかのんを、男の子は元気付け、そして「友達ができますように」と、自分で作ったというフェルト生地のぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
そしてお礼をいう間もなく、友達だろう子供たちから『オカン』と呼ばれた男の子、つまり、当時の俺は立ち去ってしまった。
***
……ゴメン、覚えてない。っていうか、俺っていう確証はあるのか?
「間違いないよっ」
かのんが口を挟む。
「だって、色々と調べたんだもん」
「調べた?」
「うん。男の子がどこの誰なのか調べてほしいって、家の人たちにお願いしたんだっ」
うーむ、お金持ちの行動力ってのは恐ろしいな。
ともあれ、天ノ川家の総力を上げて調査した結果、身体的な特徴と印象的な『オカン』という呼び名に該当するのは『岡園 蓮』という少年しかおらず。
その正体がわかった時点で、すでに『岡園 蓮』は遠くへ引っ越した後だった。
「蓮くんのことをオカンって呼んでいた男の子が教えてくれたの。あいつならお父さんの転勤で遠くに引っ越したんだ、って」
「随分詳しいな、そいつ。引っ越しの事情なんてクラスメイトしか知らないはずなのに」
「蓮くんの親友だって。『何でも聞いてくれよっ! 何を隠そう、オレとオカンは親友だからさっ!』って言ってたよ」
つい最近、まったく同じセリフを聞いた覚えがあるんだけど。
「その子、蓮くんは手先が器用だっていうのも教えてくれたよ。私にくれた黒ネコのぬいぐるみも見せてもらったって」
そこまでくるとかなり絞られる。手芸で作ったモノなんて、相当親密でないと見せてないだろうし、十中八九、陽太だろう。アイツ、昔っから女の子にはカッコつけたがってたしな。
とにもかくにも、『オカン』というあだ名、手芸が得意という事実が決定打になったのは間違いないみたいだ。
かくして、かのんは感謝の気持ちを伝えるべく、俺の幼なじみになろうと決意したらしい。
う〜ん。そこに至る発想がまったく理解できないんだけど。
「だって、単なる顔見知りの関係だったら、蓮くんのそばにいられないでしょう?」
妙に自信満々といった具合で、かのんは胸を張ってみせる。
「ちょうどその時にね、お家が隣同士だっていう、幼なじみふたりが主人公の恋愛マンガを読んでたの。私、それを見てひらめいちゃって!」
「……まさかとは思うけど、幼なじみっていう関係だったら、堂々とそばにいられるとか、そういう理由じゃないだろうな?」
「すごいっ! どうしてわかったのっ!?」
心底驚いたように、かのんは青い瞳を大きく見開いた。正気だとしたらかなりキテるぞ?
かのんに話を譲った星月さんは、平然とマルゲリータのピザを頬張っているしさ。お嬢様の発想になにも感じないのかね?
「私がかのん様へお仕えするのは、その後の話ですので。当時のお嬢様をお止めするなど、とても」
「別にいまだって遅くはないだろ? おかしいと思わないのか?」
「思いますが、それはそれでいいではないですか」
「は?」
「そんなイタイお考えを含め、かのんお嬢様は私の『推し』ですので」
……推し?
「推しが笑顔になるのであれば、全力で支えるのが正道。それが、『かのん沼』住民としての私の
勢いよく席を立ち、瞳を燃やして星月さんは力説した。
「一度しか出会ったことのない相手を『幼なじみ』と断言したり、相手の住所を突き止めさせた挙げ句、幼なじみなら隣同士に住むのが当たり前だと引っ越しをさせたりと、普段であれば二、三発は張っ倒したいところですがっ! そんなところも引っくるめ、すべて愛おしくなってしまうのが推しというものっ!」
「愛おしくなるなよ。止めろって」
「いいえっ! 推しがっ! かのんお嬢様が幸せになるのであればっ! 私は鬼にでもなる所存っ! たとえ誰かを不幸にしたとしてもっ!」
はあはあと呼吸を荒くする星月さん。縁起でもないことを言うな、おい。
「冗談です」
「にしては真剣だったな」
「演技もメイドの嗜みですので」
我へ返ったように冷静を取り戻し、星月さんは着席した。
「もちろん、もっとも肝心なことは岡園殿のお気持ちです」
「俺の?」
「はい。事情を知った上で不審に思われるようでしたら、お嬢様を連れてすぐに引き上げるつもりではありますが……。どのようにお考えですか?」
星月さんの鋭い眼光が俺に向けられる。いきなり迫られても答えに困るんだよなあ……。
「大事に考えられる必要はありません。昨日から、いまこのひと時まで、お嬢様の存在がご不快に思われたかどうか、それが知りたいのです」
そう言って星月さんは視線を外し、フライドポテトをひょいと口元へ運んだ。
事情を説明されたとはいえ、昨日からの一連の出来事には驚きと謎しかない。お礼を伝えたいがために、隣に引っ越してくるとか想像もできないもんな。
かといって、それが不快かと聞かれると、それはちょっと違うというか。
こっちも健全な男子なのだ。理由はさておき、正直、かのんみたいな美少女に好意を寄せられるのは嬉しい。
とはいえだ。
当時の俺はといえば、『手のかからない子供』であったと同時に、大人から認められたいという願望が強い子供でもあったワケで。
かのんに声をかけたのも、泣いてる子とか困っている子を助けたら、その分、後で褒めてもらえるだろうという、ある程度の打算が働いた上での行動だったと思うんだよな。
そういった邪な心がもたらした結果に、内なる天使が「お前は本当にそれでいいのか、岡園蓮」と、警鐘を鳴らしているのも確かなのだ。
良心と良識に従い、丁重にお引き取り願うのが妥当なのかなとぼんやり考えつつ、ふと視線をやると、かのんの不安げな表情が見えた。
「蓮くん……。その……、いきなりのことで驚いているだろうけど……。めっ、迷惑はかけないから! そっ、そばにいちゃダメ、かなあ?」
透き通るような青い瞳をうるうると潤ませ、美しく白い頬はほんのり上気している。
憂いを帯びたその顔はそれでも芸術的でで、五〇〇億点を差し上げたくなる可憐さだ。
その瞬間、俺の内なる悪魔が天使をぶっ飛ばしているのがわかったね。こんなに愛らしい子がそばにいてくれると言っている、自分に素直になるんだ岡園蓮、と。
「ま、まあ……。迷惑にならないなら……、いいケド……」
あくまで努めて冷静に応じたつもりだったんだけど、結果としては言葉に詰まった上、どもりがちという最悪な返答になってしまったワケで。
しかしながら、かのんはそんなことはまったく気にしないとばかりに、ぱぁっと瞳を輝かせ、ミルクティー色をしたロングヘアを激しく揺らす勢いで首を上下させるのだった。
「うんっ! うんっ! もちろんだよっ! 私、蓮くんの幼なじみとして、一生懸命がんばるからっ!」
「一度しか出会ってないけど、幼なじみっていうのは譲らないんだな」
「やだなあ、蓮くんってば。昨日と今日をあわせたら、もう三回は会ってるんだよ? これはもう幼なじみと言っていいでしょ!?」
人生で三度しか出会ったことのない相手を、果たして『幼なじみ』と定義していいのか、甚だ疑問には残るけれど。
それでも、かのんにとっては大満足だったらしく、
「お互いのこと、これからゆっくり知っていこうね?」
……と、まるで告白に近いような言葉を残し、自室へスキップしていった。
どうやら、中学の頃のアルバムを見せてくれるらしく、それを取ってくるそうだ。
そういった感じで、リビングダイニングには俺と星月さんの二人が残されてしまったのだけれど、星月さんは気まずさなんて微塵も感じないようで、相変わらず黙々とピザを頬張っている。
「食べないのですか? 冷めてしまいますよ?」
「ああ、うん。いただくけどさ……。星月さんはかのんの行動を変だと思わないのか?」
「変も何も、先程申し上げた通りです。イタイお考えも含め、それがかのんお嬢様なのですから。否定する気などさらさらありませんね」
ナプキンで口を吹いてから、星月さんは話を続けた。
「当時のお嬢様は、岡園殿の引越し先まで追いかけると言って聞かなかったそうですよ」
泣く泣く諦めたのは俺の親父が転勤族だと知り、追いかけたところでまた引っ越してしまう可能性があったから、らしい。
「それがようやく念願叶って、岡園殿のおそばにいられる機会を得られたのです。当時のお考えからしてみれば、随分と微笑ましいものですよ」
「そういうものか?」
「それに、幼い頃のかのんお嬢様が、不器用ながらも自分で導き出した結論でもあります。いかにポンコツでダメダメだったとしても、推しは推し。尊いものに違いないでしょう?」
「ポンコツとかダメダメとか、メイドにあるまじきセリフだと思うぞ?」
「お気になさらず。岡園殿もいずれわかると思いますので」
どういうことだろうと問い返すよりも早く、黒髪の知的美人は頭を下げる。
「とにかく。突然のことで岡園殿、いえ、オカン殿は戸惑うばかりでしょうが、決してご迷惑はおかけいたしません。いましばらくは、かのんお嬢様の『幼なじみ』の真似事にお付き合いいただけないでしょうか?」
「それは……いいけど……」
「お待たせ蓮くんっ! 持ってきたよ!!」
言葉尻を遮り、アルバムを抱えて現れたかのんは、すっかりお馴染みとなった無邪気な笑顔を浮かべてみせた。
「それでねっ、蓮くんっ! 私、いいことを思いついたんだけどっ!」
「いいこと?」
「蓮くんひとり暮らしなんでしょう? ご飯の支度とか大変なんじゃない?」
大変というよりも面倒なんだよなと思いつつも、キラキラとした青い瞳は肯定を期待しているみたいなので、ここは黙って頷いておく。
「うんうんっ! そうでしょ!? そうだと思った! だからね、明日から私が蓮くんのお弁当を作ってあげるっ!」
力強く宣言し、ふんすと胸を張るかのん。俺は助かるけどさ、かのんが大変じゃないか?
「だいっじょーぶっ! ご飯を用意してあげるのは、幼なじみの定番イベントだものっ!」
「マンガの中の話だけだと思うけどなあ」
「なによぅ、蓮くんは私の作ったご飯食べたくないの?」
とんでもない。美少女の作ったお弁当なんて、夢のまた夢みたいなシロモノだからな。かのんに作ってもらえるなら喜んでお願いしたい。
「エヘヘへ……。そうでしょう、そうでしょう? だったらこの私にまかっせて!」
「よろしいのですか、お嬢様? そのようなお約束をされて……」
遠慮がちに口を挟んだのは星月さんで、なにやら心配そうな顔だけど。
「心配ないわ、美雨っ! 蓮くんの胃袋のひとつやふたつ、たやすく掴めるだけのお弁当を作ってみせるんだからっ!」
そう言い放ち、かのんはドヤ顔を浮かべた。料理の腕にはかなりの自信があるようだ。
明日のお昼はかのんお手製の弁当が食べられる。
そんな期待感からか、俺も相当に浮かれてしまったらしい。
この時、かのんの事を『ポンコツ』と表現するその意味を、星月さんへ改めて問い詰めるべきだったのだ。
そうすれば、翌朝に待ち受けていたあの惨事も、落ち着いて受け止められたに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます