第22話

 ジュリアの息子メッシが写っている三枚の写真。

 三枚とも元気よく遊びまわっている様子を撮影したものだが、奇妙な違和感がある。

 その理由は一目でわかる。被写体のメッシはどれも遠くから取られていて、カメラから視線がずれている。

 それもそのはず。この写真は一週間前にリカルドが隠し撮りさせたものだ。

「いつ……撮ったのよ!」

「さぁ……?」

「言いなさい!」

 ジュリアは思い切り手を伸ばし、私の首を掴む。

 流石に息子に危険が及んでいるとなると激しい怒りを顕にする。

 気道が絞まり、息が苦しい。このまま黙っていればジュリアは躊躇なく、私を殺すに違いない。

 ここまでは予定通り。私はスマートフォンの画面を操作し、テレビ電話を繋ぐ。

「殺すわよ!」

「殺してもいいけど? 家族がどうなってもいいのなら」

 首を絞める力がさらに強くなった瞬間、私は画面に映す出された映像を見せつける。

「そ、そんな……!」

 画面に映し出されているのはマンションの一室を向かいの建物から撮影されているシーン。窓越しにはメッシとその父親であり、ジュリアの旦那さんの拓也さんが戦隊ヒーローの玩具で遊んでいる微笑ましい風景が映し出されていた。

 そして、映像の端には平和な日常には似合わない黒光りする狙撃銃の先端が少しだけ映っていた。狙撃銃の銃口はきっちりと家族の方を向いていた。

「楽しそうに遊んでいるね」

「何よ……これ!」

「何って、ただ配信しているだけだけど?」

 その映像を見たジュリアは怒りと動揺の混じった表情を浮かべる。

 ジュリアが私を殺そう、あるいは何かしら妨害行為を行おうものなら、協力者であるリカルドが狙撃銃で家族を撃ち殺すという状況を見せつける。

 あくまで見せつけるのが目的であり、狙撃銃には銃弾は入っていない。

 言うなれば人質だ。自分の置かれた状況、そして家族に毒牙が迫っていることに恐怖し、私の絞める手が緩まる。

 私は床に尻餅をつき、激しく呼吸をする。

「家族を人質に取るなんて……あなた、私以上に外道ね」

「殺すよりかは余程良心的だと思うけど」

 私がそう反論すると、ジュリアは「憎たらしいクソビッチ」と吐き洩らす。

 気に食わない態度に私はジュリアの頬を平手で殴る。

「あまり、私を怒らせない方がいいよ。わかってるでしょ?」

 私はスマートフォンの画面を指差し、ジュリアに立場を知らしめる。

 殴られた頬を抑えながら、ジュリアは歯を食い縛り、私を睨みつける。

 いい気味だと思わず歪んだ笑みを浮かべてしまう。ジュリアはプライドが高く、お嬢様気質があるとリカルドから聞いていた。

 だから、今回はジュリアの性格を利用した復讐を行うことにした。

 決して逆らえないような状況を作り出し、私の言いなりにさせる。

 徹底的に自尊心をズタボロに引裂き、プライドの高い彼女が自分よりも年下で力もない人間に逆らえず、ただ従うことしかできないというのはとてつもない屈辱だろう。

「さて、取り敢えず落ちた料理を処理してもらえませんか?」

「……わかったわ」

 何で私が雑用なんかと言わんばかりに不服な表情を浮かべ、ジュリアは散らばった料理を手で拾おうと腰を落とす。

 その瞬間、私はジュリアの頭を思い切り踏み付ける。

 ちょうど、顔のところに料理があった為、踏まれた同時に料理が潰れ、ジュリアの美しい顔が汚れる。

 女性の命ともある顔を汚され、ジュリアは悔しそうに歯を食いしばる。

「折角の料理が台無し。でも……食べられなくはないね」

「あ、あんたは!」

「食べなさい!」

 ジュリアの顔が憎しみと怒りで激しく歪む。

 しかし、逆らうことなどできず、ジュリアは震える手で落ちた料理を拾い、口に運ぶ。

 不味いのか、落ちた汚い物を食べるのが嫌なのか、今にも泣きそうな表情を浮かべている。

「絶対に……許さないから」

「あら。ここに飲み物まで零れているけど」

 反抗的な発言するジュリア。私は髪を引っ張り、零れた飲み物が溜まった床に顔面を叩きつける。

 叩きつけた衝撃でジュリアの額が切れ、出血し、零れた飲み物が赤く染まる。

「くうぅぅぅ!」

 獣のような唸り声を上げながら、ジュリアは血が混じった飲み物を啜る。

「お見事。家族の為なら屈辱にも耐える姿。あなたは立派な親ね。称賛に値するわ」

 無様な姿を晒しながらも家族為に奮闘するジュリアに私は拍手を送る。

 家族の為に己のプライドを踏みつけられるのならきっとこれもきっと行える。

 充分、ジュリアを苦しめたことで最後の仕上げに入ります。

「さて、最後にあなたにはあることしてもらうのだけど」

「何なのよ!」

 私はスマートフォンに保存されたファイルをジュリアに送り付ける。

 そのファイルの内容を見たジュリアはいよいよブチギレ、私の頬を拳で殴る。

「ふざけるなぁ! この情報は!」

 私は赤く腫れた頬を擦りながら立ち上がる。

「えぇ、あなたが犯した詐欺やインサイダー取引、パワハラなど、全ての犯罪の証拠が入っているの。その情報をSNSやメディアに発信して。それが最後だから」

「最後って! そんなことしたら私の立場が!」

「えぇ。地の底。それどころか地中に埋まるレベル。でも、罪を犯したからには罰せられるが当然でしょ! それにあなたには人質が……」

「あんな奴ら、もうどうでもいいわ!」

 突然、ジュリアは机を思い切り殴る。

 そして、狂った笑い声を上げる。

「私が結婚したのだってかっこいい男と隣に置いて、世間からいい目で見られて、悦に浸りたいから! 子供だって金の生る木として生んだだけ!」

「それがあなたの本性なのね……」

「そうよ! 私以外なんて私を引き立てるだけのゴミ共よ! 幸せの為なら家族も子供なんて切り捨てる!」

 私の目に映るのは最早人ではなかった。

 悪魔だ。

 他人など決して愛さず、自分の道具、飾り立てるアクセサリーとしか見ない救いようのないクズ。

 こんなクズに家族が殺されたと思うとはらわたが煮えくり返る。

 人はここまで愚かになれるものなのか。

 こんなのに僅かでも信頼した彼がいくら何でも可愛そうだ。

「そう……なのね。だそうです。拓也さん」

「え?」

 ジュリアは目を丸くする。そして、私の持つスマートフォンに耳を傾ける。

 そして、スマートフォンから

『ジュリア。君がそういう人だとは思ってなかったよ』

 悲しそうな拓也さんの声が流れる。

 ジュリアは絶望に満ちた表情を浮かべ、私のスマートフォンを奪い取る。

 その瞬間、ジュリアのスマートフォンを手早く盗む。

「ま、待ってよ! じょ、冗談よ! 嘘に決まっているでしょ!」

『僕は彼女から過去を聞いていた。あまり、褒められたことに手を染めていることもだ。初めは信用しなかったけど、彼女の話や証拠を見せつけられてはね……』

 拓也さんの声の背後からはメッシ君の無邪気な声が聞こえてくる。

『例え、犯罪者だろうと君を愛していたし、メッシの為に君を信じた。きっと罪を認めてくれると。そして、ちゃんと償う日まで君を待つと覚悟していた。でも、それは無駄だったみたいだ』

 拓也さんはとてもいい人でした。

 ここに来る前、私はジュリアが私の親の仇と言うことを話た。そして、復讐に手を貸して欲しいと頼んだ。

 冷静に考えれば受け入れるはずがない。見ず知らずの子供が自分の愛する妻が殺人を犯しているなんて話を信じることも、その妻を苦しませる行動に手を貸すなんて普通はあり得ない。

 だが、拓也さんは私の話を信じてくれた。数年間、一緒に過ごす中で、ジュリアの狂気性と幼稚性を感じとっていたらしい。また、ジュリアがアルコールを摂取した際、何やら自分の欲望の為に過去に人を苦しめた旨の話をしていたようで、薄々は勘付いていた。

 その上でジュリアを信じた。場合によってはジュリアと共に罪を償う覚悟でいた。そして、ジュリアと真意を聞く為、贖罪のきっかけを作るために、私に手を貸してくれた。

 しかし、拓也さんの信頼は真っ向から裏切られることになってしまった。

『さよなら、ジュリア。君との生活は……とても楽しかった。……幸せにね』

「待て! 待ちなさい! 私は悪くないから! まだ話は終わってない! 切るな、ヤリチンが!」

 裏切られたにも関わらず、拓也さんはジュリア責めることなく……ただ呆れているだけかもしれない。それでも、最後に悲しそうな声色で感謝の言葉を述べ、幸せを願った。

 一方でジュリアは贖罪も謝罪もない。自分の弁明だけにこだわり、愛していたであろう相手の幸せを願うことなく、罵倒した。

「哀れね……。もう……返す言葉も見つからない」

「あなたの……せいで!」

 私はジュリアを嘲笑うこともできず、ただ汚物を見るような目で見下すことしかできない。

 全てを奪った私をジュリアは激しい憎悪を向ける。

 足元に転がっていたナイフを拾う。

「ぶっ殺す!」

 そして、刃先を私に向ける。

 もう遅い。何もかもが遅い。

「では、殺される前に取り敢えずこれを返します」

 私は先程盗んだスマートフォンをジュリアの画面に投げつける。

 固いスマートフォンはジュリアの鼻に直撃。鼻血が垂れていく。

 ジュリアを投げつけられたスマートフォンを見て、あ然とする。

「これは……私の!」

「あなたがヒートアップしていた時に少しお借りました。そして、私がやっておいたよ。情報の拡散」

「そ……そんな」

 ジュリアは急いでスマートフォンを拾っては操作し、画面を確認する。

 そして、SNSに寄せられた大量のコメントとメール、鳴りやまない通知が一斉に鳴り響く。多方面からの寄せられた電話とメールの着信音を聞いて、ジュリアはまるで糸が切られた操り人形のように力なく床に崩れ落ちる。

「例え、別れたとは言え、家族がこの世に存在する。だから、その家族を悲しませない為に物理的には殺さない」

 もぬけの殻となったジュリアに私は最後に言葉をかける。

「まぁ、代わりに社会的に殺させてもらったけど」

 ニヤリと笑い、ジュリアに奪われた私のスマートフォン……正確にはリカルドのものを拾い、私はジュリアから前から立ち去る。

 ジュリアの聞くに耐えない悲鳴が店内に響き渡った。

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