第11話

御役目に就いてから二年ふたとせ

市中風説吟味改方、通称妖怪改の仕事は妖異と怪しい賊の捜索と捕縛討伐だった。

既に役に就いていた速水又左衛門、伊右衛門の二人に誘われて仲間に加わったのも妖異に襲われ無惨な最期を遂げた同胞の仇を討つ気概からだった。

しかし、役に就いてみると賊も妖怪もそのものの得体をしかと把握は出来ずにいた。

情報は入ってくる。三人が目の当たりに出くわすまでもなく、町方や火盗がその職務から町場を警邏し手下も彷徨うろついており、年を追うごとに増えている存糜爛を搦手で捕縛したりしているのだが、翌朝の旭に触れた化け物は、肌を淫らに灼け膨れさせ焦げてやがて灰となり消え失せてしまう。捕まえられずに見失った存糜爛どもも、同じ様に消えてしまうのであるとは思われているが定かではない。

襲われれば人は数日中に瘧の様に震えて身を爛れさせやがて闇夜の徘徊者となる。それは決まって月の明かりの無い晩であった。


またそれとは別に、凶悪な獣に襲われた如くに、肉殻になるまで潰れた人の骸も発見され、江戸に住む庶民を震え上がらせていた。

それは闇夜だとは限らず唸り声や悲鳴は聞いたとしても目撃の証言は無い。遭遇した者は必ず襲われているからであろう。これらは市中の至る所で認められる惨殺事件なのだが、全てが夜分の出来事であるため、被害者は全て男であった。夜分に出歩かぬ婦女子は難を免れているという事だろう。妖獣は家屋に侵入してまで人を襲わないという事だ。


与茂七の僚友の仇敵かたきはこの獣に相違ない。


探索は夜分、調索は昼間。ここ何日かは夜に出回って妖獣探しに日々を費やしている。基本夜は二人一組持ち回りで組んで探索している。又左衛門には嗜められてはいるのだが、与茂七単独で行動もしていた。


が、ここに来て新たに仲間が加わった。

土屋直助なる若者である。

朗るく溌剌とした腰の軽い若者だ。

伊賀組同心の倅で剣術の腕は道場の目録。折り紙付きということだ。だが化け物退治に向いているかどうかはまだ定かではない。真剣勝負で人と相対した経験も浅いだろう。が、人員が増えた事には変わりない。経験を得て更に腕も肝も鍛えてゆくしかない。

これで二組の探索体制が出来た。直助は慣れるまで夜は当分自分以外と組む事となっている。


昼は各々の感を頼りに目星をつけて市中を調作している。今日も遊び歩いている態で彼方此方に探りを入れていた。



惠の居る矢場を離れたのは理由があった。

店の前でうろちょろしている、見覚えのある着流し姿の脚元が見えたからだ。

目線を上げて顔を見てみると眉太い小粒目の浅黒面がこっちを覗いている。小物の平太だ。

町方の下っ匹みたいに尻っぱしょりにはしていない。何年も着ているだろう生地は張りも無くした薄い藍縞の微塵格子。襟の解れも直していない。三十路近くで女房も連れも居ない遊び人風情だ。

真っ昼間から何処を彷徨いていても妙に思われる事もない。「使い」にするにはちょうどいい。こうした探りの小物を改め方の面々は何人か使っている。隠密な探り役にやさぐれた者を使えば、柄の目星をつけられる。使い男たちも下賤の身の己が、お上の役義に携わっているという矜持が芽生えるらしく、口も固く律儀に仕事をこなしてくれるのだ。平太も心得の出来た漢であった。


与茂七が通りから路地に外れて一間ほど過ぎると、平太はそそくさと近寄ってきた。与茂七の左後ろを小刻みな足取りで着いて来る。緩んだ野暮な顔つきを醸し出しているのは装いで、よくみればその視線は山犬の様に鋭い。ちまたに常毎で無い事の分別を嗅ぎ分ける鼻を持っている。


人通りは途切れた。向かい稲荷の祠だ。手前に赤い鳥居と草臥れたのぼりがあった。どの町内にもある小さな祠だ。

(伊勢屋、稲荷に犬の糞ってな)江戸市中何処にでも目につく物の例えだ。


「で、どうだった」歩みを止めた与茂七は首を廻して平太に訊いた。

「あ、へい。旦那の見立てに間違いありゃせん。佐吉は間違いなくわずらってますね。あの長屋の連中は先に皆んなやられて消えちまってる様子。佐吉の野郎も怖くなって寺の庫裡くりに隠れてやがったのをおん出された様です」

「今は・・・ 」

「震えが出たので本道医の宅に居りますがじきに帰されるでしょ。しょっぴきますか?」

「斑猫の痣が巡ってる様子は」

「そりゃまだなんとも……  」

「ならまだ限った訳でもないからな・・しかし正気の内に些細を聞いておくか」

「そんならまだ野郎は医者んとこだ。向かいやしょう」

頷いた後、与茂七は賽銭を投げて柏手を打った。

「どうも旦那はのんびりしてるなぁ」

平太は頭を掻いている。

「お前がせっかちなだけだ」

「せっかちじゃなきゃこういうお勤めは捗らねぇんですよ」小走りに先を歩き出した平太の後を、のたりと着いて行きながら与茂七は「違いない」とニヤリと笑った。


平太の探ってきた大工の佐吉への目星は巡廻する市ケ谷町内での事。町木戸普請での大工仲間たちの噂話だった。

大工衆の稲塚組棟梁の差配で五人ほど人を集めて木戸枠の普請をする手筈だった。その中に佐吉も含まれていた。前の現場で話はついていて、明日には仕事に掛かるという日になって、当の佐吉が「具合が悪いから降ろさせてくれ」と棟梁に話をしに来た。見るとなるほど顔色は青白く暑くもないのに妙な汗を額にかいていた。普請の仕事は代わってもらって佐吉は当分休む事となった。

この佐吉、二、三日前に長屋近くの町中で存糜爛に出くわしたと飯屋で仲間内に話していたらしく、長屋には戻らず知人の宅に厄介になっているのだと言う。翌日は仕事明けにお祓いの札を寺に貰いに行くと言っていたらしい。

その佐吉の様子がすこぶる悪くなっていて仕事に戻れない。周りはいよいよ罹っちまったかと「くわばら」を唱える連中が噂を広めていた。

こんな様子だと今日中に佐吉に会っておいた方がいい。

が、会って大丈夫なのかという懸念もある。小鬼が憑る懸念だ。瘧などの流行り病は疫神という小鬼の仕業だと江戸の庶民は思い込んでいる。町医者に診て貰っても治りはしないから、赤い鍾馗様や源為朝の陰陽札が飛ぶ様にもてはやされた。

こわくもあるがそうした類いを吟味するのが、今の与茂七の務めであるから、避けて通る訳にはいかない。仇敵に近づく道でもある。


江戸の患いにも色々あったが、一番恐れられていたのがやはり流行り病の瘧の類いだった。今で言う疫病でウィルスに拠って感染してゆくのだが、時代的にその様な知識は江戸期の人々に無く、疫神による祟りや小鬼の呪いだと庶民は信じていた。

江戸の痘瘡はおよそ天然痘で罹患者の五割は命を落とす。高熱の上、顔や手足に発疹が出来て、やがて膿んだ後に乾いて瘡蓋かさぶたとなって治癒するのだが、治った後にもあとが残ったりする。

この疱瘡神は赤い色が苦手だと信じられていたので、庶民は身内が疱瘡に罹ると、赤いお札を陰陽者から買い求めて、家内の鴨居や柱や戸口に貼って疫神の退散を願ったりした。子供が罹れば赤い物を着せて赤い布団に寝せたりした。

また、武勇で知られる平安末期の武将・鎮西為朝の赤い絵を御守りとして枕元に敷いたり懐にしていた。


麻疹いわゆるハシカは赤痘瘡あかもがさと呼ばれて、日の本では藤原道長の頃に最初の流行を見せ、江戸期でも何回も流行した。犬公方と呼ばれた徳川五代将軍綱吉は成人してから麻疹に罹り死亡している。

「痘瘡は見目定め、麻疹は命定め」とは言われたが実際は痘瘡の方が死亡率は高かった。痘瘡は後に牛痘接種が試みられた後にその死に至る猛威は格段に抑えられる様になった。


が、やがて長崎に寄港した黒船がもたらした黒死病、いわゆる虎狼狸ころりが日の本全土に瞬く間に拡がるのだが、それはもう少し後の話である。


先ずは江戸の巷では瘧と赤痘瘡そして斑猫疽。


「平太、おめぇは痘瘡とか斑猫疽が怕くねぇのかい」

露払いの様に前を行く平太に与茂七は訊いた。

「あっしはこわかねぇです。童っぱのころ、長屋で疱瘡に皆かかったってのにあっし一人はやられなかったんで」

「ほう、そりゃまた」

「さっきのお稲荷様、ありゃ皆がかかったあん時から毎年、あっしのかかぁが赤い前掛けお具えしてましてね。て言っても母ぁは去年の秋に往生しちまっいやしたが」

「それは知らなんだ。今の前掛けもおっ母さんのなんだな」

「えへへ、そうでやす。見ておくんなせぇ、ほら。あっしの赤い腹巻も母ぁの縫うたもんでやす」

「おお、見事に赤いの」

「でしょ。だからなんもおとろしくねぇんですよ」そう言う平太の眼眸はしかと精気に満ち満ちている。

あぶれ者の卑下た生き様の様で、江戸ではこうした男もなかなかに信心深くあった。

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