高橋隆という奴
──とりあえず、必要な事だけ書いておくよ。分からない事があったら聞いてね。梶原くんの物理のノートを借りて書くよ、勝手にごめん。──
ノートの書き出しはそんな言葉だった。いちいち律儀な奴だ。
──高橋隆 高二 誕生日は1月11日。
家族構成…父・健介(52)長距離トラック運転手。弟・匠(中1)大人しく、頭が良い。妹・桃子(小4)明るくて元気。──
「なんだ、高橋の奴、弟と妹がいたのか。長男っぽくないな」
ノートを見ながら思わず独り言を呟く。
父親はトラックの運転手……なんか意外だな。色白で見るからにひ弱そうな高橋と、トラックの運転手の父親というのがどうにも結び付かない。
そう言えば母親の記載がない。もしや、と思ったが、やはりノートには続きがあった。
──母親・真由子は二年前、病気の為他界。──
そうだったのか。二年前という事は中三の頃か。結構最近なんだな。
心なしか母親の記載だけ、文字が震えている様にも見える。
思い出したくない事を思い出させてしまっただろうかと、一瞬胸が詰まったが、必要な情報だ、仕方ない、と、気を取り直す事にする。
ノートには他には自宅の住所とその地図が書かれていた。結構俺の自宅近くの、アパートの二階に住んでいる様だ。
続きを読もうとページをめくると、俺は思わず固まった。
──生活の流れ。家事全般は僕の担当。
5:30 起床。自分と弟の弁当作り。余った物を朝食に出す。洗濯機を回す。
6:30 家族で朝食。皿洗い等の後片付け。
7:00 洗濯物を干す
7:20 妹、小学校へ。自分の支度。
8:00 弟と一緒に家を出る。鍵の閉め忘れに気を付ける。──
気付いてしまった。
さっき俺が食べた弁当……高橋が作ったのかよ……。
てかなんだ? なんだこのスケジュールは?
弁当作って朝飯用意して皿洗って洗濯までするのか……? 朝から……?
俺は毎朝7:30まで寝てるぞ。朝練がある日だけは5:30に起きるけど、飯食って家を出るだけだ。あとは全部母さんがやってる。
言いようもない不安が押し寄せた。
これを俺がやらなきゃいけないのか?
弁当なんて作れないし、洗濯なんてした事ないぞ。
放課後の流れも読もうと思ったところで昼休み終了のチャイムが鳴った。
なぜか胸の動悸が止まらない。
軽く考え過ぎてた。
適当に高橋のフリをして、家で出された飯を食べて風呂入って寝るだけだと思っていた。高橋は帰宅部だし、だいぶ楽になるなぁ、とか心のどこかで楽観視していた。
マズイぞ……。
振り返って高橋の席を見ると、教室に戻って来た翔と大輝と雄介が高橋を囲んで何やら会話をしている様だ。
高橋もやり辛いだろうが、俺はもっとピンチだ。
この調子だと、恐らく晩飯の用意なんかも高橋がやっているんだろう。
ノートを閉じて、深呼吸をした。
落ち着け。大丈夫だ。俺だって米くらいは炊けるし、おかずなんかは適当に惣菜でも買ってくればいい。それくらいの金は高橋の家に行けばあるだろう。
五時間目の授業がほとんど頭に入らないまま終わったが、俺は成績の良さには自信があったから、授業なんて少しくらい聞き漏らしても問題ない。
五分休憩に入るとすぐにまたノートを開いた。
──放課後は真っ直ぐ帰宅する。
15:30 晩飯の用意。時間があれば掃除機がけもしておく。(食材は休日のうちにまとめ買いをしておく)──
晩飯の用意か。やっぱり。
しかし、帰ってすぐ晩飯の用意って、いくらなんでも早くないか?
──16:30〜21:00 バイト(バイト先については次のページに詳細を書く)──
嘘だろ?! バイトかよ! 高橋……いくらなんでも忙しすぎるだろ。
俺はバイトの経験がない。部活で忙しかったし、バイトするより勉強しろと言う両親だ。いきなりバイトしろと言われたところで困る。
本当に、困る。しかも21:00までだとは。
──21:30 帰宅。妹の宿題の丸付けを済ませて机の上に置いてから風呂に入る。最後に風呂掃除をしてから上がる。
22:00 洗濯物の取り込み、片付け。
米を洗って5:30に予約しておく。
22:30〜 宿題等、自分の勉強。終わり次第就寝。──
はあ。
ため息しか出ない。
無理だ。こんなの。こんな高校生存在するのかよ。だいたい父親は何してんだ?
息子に家事全部やらせて。
トラックの長距離運転手……
そうかぁ。
帰りが遅いって事かぁ……?
ノートにはやはり続きがあった。
──父は大体週に一度、土曜の深夜に帰宅。日曜は父が家事をしてくれるけど、疲れている様だったら代わってあげてほしい。月曜の早朝からまた仕事に出て行く。父が帰宅したタイミングで一週間分の生活費を受け取って、やり繰りして下さい。自分のバイト代は基本的には貯蓄に。──
やり繰り……。貯蓄……。
それって主婦の仕事だろ。
無茶苦茶すぎる。
平日は親が不在とか。高橋の負担デカ過ぎだろ。いくらなんでも。
妙な気分だ。
高橋に対する同情かもしれない。今まではただのクラスメートの一人だった。目立たないつまらない奴だと思ってた。
まさかこんな生活をしてたなんて、想像さえする事もなかった。
なんだか気の毒で、可哀想な奴だと感じる。
でも、今は俺がその高橋なんだ。
俺がこのスケジュールをこなす、気の毒な奴になったんだ。
ほんの少しの覚悟と、大きな憂鬱を抱いて、ノートを静かに閉じてから、机の中に入っていた高橋の数学のノートを開いた。
俺も書かなければ。
俺の情報ノートを。
放課後まで時間がない。
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