傷跡

 古ぼけた引き戸には木製の格子がいくつも走っていて、そのどれもがささくれ立っていて訪れる者を頑なに拒絶する檻そのものだった。くすんだチャイムに指を当てるが、待てども返事はない。どうしたものか、と悩んでいる間にも手にしている箱の中で何かが蠢くのがわかった。

 伝票に記入された『食品』という品目の信憑性が限りなく低い。気味が悪いが、しかし仕事である以上投げ捨てるわけにもいかない。

 しばらく待っていると建物の中から微かに音が聞こえることに気が付いた。声をかけても相変わらず応答は無く、箱に貼られた『お急ぎ便』の文字に目を落として、しばらく思案したのち結局その引き戸に手をかけた。案の定施錠されていなかったそれは、震えながら道を開ける。

「すみませーん」

 暗闇だっただろう玄関先に光が割り込んで、それに抗議するかのように埃が舞い上がり視界が霞む。マスクをしているにも関わらず、すえた臭いが鼻についた。想像以上に広い土間を無意識に見渡して、思わずヒッ、と声が漏れた。

 右側の壁に凭れ掛かるようにして人が座っていた。

 枝のような足は折り畳まれて、膝の部分に埋もれるように顔が伏せられている。着ている衣類からして女だろうか、正気はない。しかし音はその中から聞こえてきていた。

 くぐもってはいるが、明確に呼びかける声だった。今すぐに踵を返して逃げ出したい気持ちを、仕事という責任感だけで無理やり押し留める。

「あの、」

 声をかけると「こっ……ち、だ」と声が呼ぶ。じり、と震える足を半歩前に出して彼女の目の前に箱を置く。これで配達員の仕事は終わりのはずだ。だが彼女はそれを許さなかった。

「あけて……くび、」

 首? そっと覗き込むと、頸の部分から薄いピンクのシャツまでまっすぐ、縫い目のようなものがある。いや、違うこれはチャックだ。小さな金具が髪に埋もれている。

「あけて……」

 開けたくない。しかしこのまま帰る選択肢もない。「何があっても耐えろ」出発前の所長の言葉を思い出して、こういうことだったのか。と今になって納得した。極限まで身体を離し、手を伸ばしてそれを摘んで、そして引いた。

 チキチキチキ。

 微かな音をたててそれはぱっくりと口を開く。

「はこの、なか、入れて」

 中から幾分か聞き取りやすくなった声に指示されるまま、箱のテープを剥がした。中を見る勇気はなく、そのまま箱を傾け中身をチャックの中に注ぎ込む。叫びそうな口元をもう片方の手で押さえ込んで、最後の部分まで引き切ると反射的に飛び退った。しばらく、何か柔らかいものを咀嚼するくちゃり、という音だけが聞こえて、止んだ。

 そして女が唐突に顔をあげた。痩せこけ正気のない顔は相変わらずで、目は虚ろに開いたままだ。表情はかえず、唇だけが微かに動く。

「すまないね、うっかり食事を摂るのをわすれてしまってね」

 先ほどまで指示をだしていた声とは違う。これは目の前の“彼女”の声だった。

「いつも、コイツが食べているから大丈夫だと思い込んでしまうんだ。俺が動けなくなったら、操作できずコイツも死んじまうっていうのに。学習しないね、俺も」

 ゆっくりと痩せこけた女が立ち上がろうとして、力が入らなかったのか再び座り込んだ。これは随分弱ったな、とぼやく女と目が合って、ああしまった。と思うがもう遅い。

「すまないが、そこの中華料理屋でコイツの食事をひとつ頼めないか。代金は着払いで」

 依頼は基本的に断れない。報酬が払われるなら尚更だ。溜息を吐くと埃がぶわりと舞い上がって纏う光で目が眩んだ。

「まず先に、受取印を頂けますか」

 檻からはまだ出られない。

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