訪問者

 はじめは気のせいかと思っていた。

 アルバイトが終わって帰路につくのは、だいたい日付が変わる頃だ。レンタルビデオショップの遅番。一人暮らしの部屋から近いのが利点で、自転車で十分も走ればアパートに帰ってくることができる。

 ふと視線を感じるようになった。

 寂れた公営団地に隣接した、小さな公園。植木は助けを求めるようにその手を四方へと伸ばしている。鬱蒼と繁ったその間。それは次第に存在感を増していく。毎日ではない、決まって火曜と木曜だった。

 何処かおかしい。そう思いながら二週間ほど過ぎた頃、『それ』は場所を変えた。今度はアパートのはす向かいにある、ずいぶん昔に潰れた煙草屋だった。もはや誰も座らなくなって久しいその闇の中から、じっとりと睨めつけるような視線が絡みつく。それが一体何なのか、彼女は分からず不安だけが増していた。

 そして、ほどなくして帰宅後にチャイムが鳴るようになる。

 古いアパートにはオートロックなど存在しない。玄関の扉一枚隔てて、何かがいる。彼女は布団にくるまり息を殺して震えるしかなかった。通い始めたばかりの大学には、まだ信頼のおける友人はできていない。恐怖はどんどん大きくなり、比例して『それ』は厚かましくなっていく。いつか部屋の中に来るのではないか。

 眠れない夜を何度も越えて、追い詰められた彼女が退勤するために靴を履き替えていると、背後に気配を感じた。

「大丈夫?」

「あ、お疲れ様です」

 深夜番の先輩。大学が同じだと聞いているが、勤務時間が入れ替わりなので話すこともなく、背が低い大人しそうな男だという印象だった。

「顔色、悪いよ。慣れない一人暮らし、寂しいんじゃない」

 大丈夫です、と言いかけて口をつぐんだ。どうして一人暮らしだと知っている? 男は人の良さそうな笑みを浮かべている。そういえば、彼のシフトはいつも火曜と木曜が休みだ。

 彼の笑みが歪んだ。 

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