第169話 事件

 並外れた力を持っているお父様は軽々とオヒシバを投げてしまった。可哀想ではあるがオヒシバもまた身体能力が高いのでどうにか怪我をしていないことを祈るばかりである。今目の前で起こった事件に恐怖し私は動くことが出来ない。祈ることしか出来ないのだ。

 しかしパワーモンスターと化したお父様は一歩踏み出す。ハッとした私は叫んだ。


「シャガ! 逃げて!」


 だがシャガも頭が追いつかないのであろう。なぜか静かに怒り狂っているお父様が、なぜかいきなりオヒシバを投げ飛ばしたのだから。呆然と立っているシャガに近付いたお父様は……またしても担ぎ上げ先程と同じ方向にシャガをブンッ! と投げ飛ばしてしまった。


「なぜですかぁぁぁぁ……」


 投げられたシャガのその絶叫は遠く離れていく。オヒシバとシャガからすれば理不尽極まりないことだろう。こうしてはいられない。お父様を止められるのは同じ力を持つじいやか恐怖の対象であるお母様しかいない。私は踵を返し水路の脇を全力で走った。


「お母様ー! じいやー!」


 人が見えてきた辺りで大声を出すと民たちはこちらを見るが、喜びムードの真っ最中の為かニコニコとして私の緊迫感は伝わらない。こちらはニコニコとはしていられないくらいの緊急事態なのだ。


「どうされましたかな?」


「どうしたのカレン」


 人々の間から呼ばれたじいやとお母様がこちらに向かって来てくれる。二人もまた機嫌よく微笑んでいるので、これから話す内容を伝えた後のことを想像すると胃がキュウっと痛くなる。


「……お父様が暴れているの! 助けて!」


 他の者たちには聞こえないように小声で話すが、二人は冗談だと思っているのか声を出して笑っている。


「モクレンったら、よほど嬉しいのね」


 お母様は呑気に天然発言をしているが、嬉しさから人を投げ飛ばすことなどあり得ない。オヒシバとシャガに起こった悲劇を伝えるとようやく事の重大さを認識したのか二人は焦り始めた。


「姫様、何かの見間違えでは……?」


「そ、そうよ。あのモクレンが意味なく人に暴力なんて振るわないわ」


 眉尻を下げ半笑いで二人は言うが、やはり心配なのか現場まで行ってみようということになった。万が一の場合はじいやが力ずくでお父様を止めると言うが、じいやの顔からは笑顔が消え余裕がなくなっている。私が笑うことなく焦っているのをようやく理解してくれたのだろう。


 お母様の速度に合わせて移動し、人工オアシスが見えてきたがお父様の姿が見えない。お母様とじいやを置き去り、全力で人工オアシスまで走ってくるとお父様はいた。


「姫様……あ……」


「カレン、急に走り出して……あ……」


 二人は突然全力疾走した私をたしなめようと声をかけてくれたが、私の肩越しにお父様を発見し何とも言えない声を出している。お父様は人工オアシスのど真ん中の底の部分で体育座りをしていたのである。


「何をあんなに拗ねているのかしら。行きましょう」


 お父様の背中を見ただけで状況を把握したお母様は私たちと共に底に降り、そしてお父様に近付く。お父様の背中側から両肩に手を置き「どうしたの?」と声をかけているが、その間に私とじいやは辺りを見回してみてもオヒシバとシャガの姿が見当たらない。お父様のことはお母様に任せて私とじいやはオヒシバたちの捜索に出た。

 南側に位置する砂の山を越えた辺りに二人は折り重なって倒れていた。血こそ出ていないが、状況的にどうやらオヒシバにシャガがぶつかったことにより気を失っているようだ。


「オヒシバ! シャガ! 目を覚まして! 大丈夫?」


 何度かそう声をかけているとオヒシバが目を開ける。そしてシャガも唸りながら目を覚まし、先程のことを思い出したようだ。


「二人とも大丈夫!? 怪我は!?」


 そう聞くと二人は起き上がり、体を確認しているようだ。


「私は大丈夫です」


「このオヒシバも全く問題ありません! ……ただ、モクレン様をなぜか怒らせてしまったようだ……」


 骨折していてもおかしくない状況にもかかわらず二人に怪我はないようだ。不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。そして理不尽に投げられた二人はお父様を怒らせてしまったと落ち込んでいる。怒らせたわけではなく地雷を踏んだだけなのだが、その理由と水路一帯の状況を説明する。するとサクサクと砂を踏む音が聞こえ、振り向くとお父様の手を引くお母様の姿がそこにあった。


「オヒシバ、シャガ、体は大丈夫? モクレンがごめんなさいね」


 叱られた子どものように下を向くお父様に代わりお母様は二人に謝る。そしてオヒシバとシャガが口を開くよりも前にお母様は続ける。


「申し訳ないのだけれど、少し二人きりに

してもらっても良いかしら?」


 その言葉に先日の騒動を思い出した私たちは無言で頷き、脱兎のごとくその場を後にし水路へ向かった。いろいろな意味でお父様が心配である。

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