第168話 水

 一連の作業を終えた私たちは取水口を確認する。先程までとは打って変わり、水をせき止め多少でも水位を上げたおかげでザーザーと水が流れ込んでいる。そのまま沈殿槽まで行きその場所も確認すると、勢い良く流れ込んだ水はしっかりと石管へと流れ込んでいる。


「今のところ……問題はなさそうね。私たちもこのまま水路へ戻りましょう」


 使い終わった道具などを荷車に積み込み全員揃って水路へ向かって歩いていると、前方から先程水路の確認に行った者が走ってくる。


「姫様! ちゃんと水が流れていますよ!」


 それを聞き私たちはその場で歓声を上げる。本当に手探りで始めた水路の建設だったが、ついにちゃんと水が流れるようになったようである。とはいえ実際にこの目で見るまでは本当の完成ではないのだ。点検をし不具合がないかを確認しなければならない。けれど大喜びしている大人たちに余計なことは言えず、まずは水路へ向かおうと私たちは歩く速度を上げた。


────


「…………」


 私たちは水路を見つめている。石管から流れ出た水は水路側の沈殿槽に勢い良く流れ込んでいる。広場側で作業をしていた者たちや、作業が出来ないような体の弱った者まで全員が水路に集まり、命の源である水に感謝を捧げている。そして今までよりも短時間で水を手に入れることが出来ることを喜び合っている。


「こんなに簡単に水を汲めるなんて!」


 そう叫ぶタラは畑の水やりが楽になると喜んでいる。だがそのタラは水路の底に降り、沈殿槽にバケツを入れて水を汲んでいるのである。違うのだ、そうではない、そんな言葉が喉元まで出かかるが、国民のお祭りムードに私たちは何も言えないまま薄ら笑いを浮かべ水路を見ているのだ。

 ほぼ固定メンバーで水路建設に携わっていた者たちは、この水路に川のようにたくさんの水が流れ人工オアシスまでも水で満たしてくれることを想像し毎日頑張って来たのである。それが実際には問題なく取水口からここまで水は流れて来ているが、水位はほとんどなく人工オアシスに水が到達する気配はない。川幅を広くしたことにより広範囲に水が広がることによって下流側にほとんど流れず、そのために乾燥しているこの場所では人工オアシス到達までにほとんど蒸発してしまうだろう。


 小一時間その水路の周りで観察を続けたが、はしゃぐ国民や自らの手で水を汲む人が沈殿槽に殺到し「一旦この場から離れて」とは言えない空気になってしまっている。それほどまでに水を得るのに苦労してきた国民たちは本気で体中で喜びを表しているのだ。


「モクレン様! スイレン様! ありがとうございます!」


 眩しいほどの笑顔でそんなことを言われてしまうと、えも言われぬ申し訳なさが込み上げて来るがスイレンは機転を利かせ笑顔で対応している。「良かった」などと言って対応してはいるが、一番ショックを受けているのはスイレンなのかもしれない。ここまで設計をしたのはスイレンであり、経験不足からこのような事態になったのだから。

 ……いや、前言撤回しよう。誰が見ても分かるほどにショックを受けている者がいる。見たことがない程に顔色は悪く、いつも快活としている様子からは考えられない程に無表情になっている。


「モクレン! 良かったわね! おめでとう!」


「……あぁ……」


 この世で一番大好きなお母様に褒められてもお父様は無表情のまま水路の底を見つめている。そうなのだ、お父様がショックを隠し切るどころか全面に出しているのだ。かなり心配になった私はお父様を見ていると、お父様はフラフラと足元がおぼつかない様子でおもむろに歩き出した。水路建設の者は複雑な思いで、それ以外の者は喜びの目で流れ出る水を見ているのでお父様の様子に気付いたのは私だけのようだ。

 私はお父様の後をつけたが、あの感の良いお父様は私に気付いている様子はない。がっくりと肩を落とし、いつもは背筋を伸ばしているお父様はこれでもかと言うほど猫背で歩いている。そんなお父様が向かった先は人工オアシスだった。水はここまで届くことはなく、枯れ果てたようなオアシスを前にしお父様は膝を抱えて座り込んでしまった。その背中は哀愁漂い、相当ショックを受けているのが見てとれた。声をかけるべきか悩んでいると貯水池の方からオヒシバとシャガが現れた。


「あ! モクレン様! 姫様! 作業は完成しましたよ! 早くここが水で満たされるのを見たいですね。水路の完成が楽しみです。……ってあれ? お二人はその為に川に向かったのでは?」


 私が視界に入ったオヒシバは私の名前を出してしまったが、お父様はそれに動じることはない。そして貯水池にいたのだから今の水路の現状を知らないのは当然である。けれど何の気なしに放った言葉はお父様の心を抉るのに充分だった。数秒の無言の後、お父様は立ち上がりオヒシバに近寄った。いきなりオヒシバを担ぎ上げたお父様は全力でオヒシバを放り投げた。人工オアシスの南側にある砂の山を超えて飛んでいくオヒシバを私とシャガはガタガタと震えて見ることしか出来なかった。

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