第170話 母は強し

 水に対する盛り上がりが冷めやらぬ水路へと戻り、その端のほうで私たちはコソコソと話し合っている。


「オヒシバ、シャガ、お父様がごめんなさいね。本当に体は大丈夫?」


 二人は今一度自分の体の確認をするが、強いていうならタンコブが出来ているくらいだと言う。岩の多いこの土地でその岩にぶつからなかったのは良かったが、どうやら二人はお互いの頭をぶつけたようである。


「それにしてもモクレン様の落ち込みようと言ったら……」


 じいやの言葉に私たちは自然と水路を見るが、その時にふとスイレンと目が合った。人混みの中からスイレンはこちらに向かって来る。


「どうしたの? みんな真面目な顔をして?」


 私たちの輪に入ったスイレンはキョトンとした顔でそう訊ねる。なので今までの出来事を話すとかなり驚いていた。


「そっか……お父様、オアシスを楽しみにしてたからね。僕もね、最初に水路を見た時はこんなはずじゃなかったって悔しかったんだ。けどね喜ぶ民の顔を見たら、まぁいいかって思えたんだけど……お父様はそう思えなかったんだね」


 やはりスイレンはスイレンなりに悔しい思いをしていたようだ。けれどある意味お父様よりも大人な考えの出来るスイレンは途中で気持ちの切り替えが出来たようなのである。そんなスイレンは水路を見て呟く。


「さっきよりも時間が経ったから少し水が流れ始めているね。だけどオアシスを満たすには……どれくらい時間がかかるのか検討もつかないや」


「そうなのよねぇ……」


 水路の底は湿り、僅かに水溜まりの出来ている箇所もあるがオアシスまではまだまだ遠い。それを見て私たちはしゃがみ込み同時に溜め息を吐く。そしてようやく落ち着いたばかりの、あの面倒くさい夫婦喧嘩が再燃したらどうしようかという話題に変わっていく。あまり他の者に聞こえないよう小声ではあるが夢中になって話していると横から声をかけられる。


「カレン、スイレン」


 ふと横を見れば、今の今まで話題の中心だったお母様がシュンと項垂れるお父様の手を引っ張って来ていたようだ。どうやら話は聞かれてはいなかったようだ。焦りつつもホッと胸を撫で下ろしているとお母様はニコニコとしながら言葉を発する。


「みんなもこっちに来て」


 お母様は私たちをそう誘導するが、その笑顔は本心なのかまた怒っているのかが判断出来ず、私たちは言われた通り金魚の糞のようにお母様の後に続く。じいややオヒシバ、シャガにも素早くアイコンタクトを取るが、お母様の笑顔がどの心理状態を表しているのか分からないようで皆不安げな表情で小さく小首を傾げる。


「みんなー! 聞いてちょうだい!」


 一番人の集まる場所に着いたお母様は普通にニコニコとしたまま大きな声を張り上げる。皆は何事かと静まり返りお母様に注目する。


「モクレンったらね……」


 そう話し始めたお母様は王妃という感じではなく、項垂れたままのお父様も国王の権威は見当たらない。その様子はあくまでも『森の民』の、ただのレンゲとモクレンとして話している。


「知らない者もいるでしょうけど、モクレンはみんなの為の憩いの場を作っていたの。本当ならこの水路は川のように流れるはずだったのですって。その水がその憩いの場を満たすのを見るのが楽しみだったようで……落ち込んでいるらしいのよ」


 お母様は実にあっけらかんとそう言うと、民たちは大笑いを始めた。ヒイラギやタデは涙ぐみながら笑い「そんなことを気にしていたのか!」とお父様は民たちに野次を飛ばされている。


「カレンが考えてくれて、スイレンが計算をしてくれて、みんなが頑張ったおかげで水が流れたことを喜べば良いのに、本当にモクレンったら器の小さい男よね」


 器が小さいと言われたお父様は顔を上げてショックを隠しきれない表情をしている。


「足りないのなら増やせば良いのに。こんなに簡単なことも分からないなんてモクレンったらまだまだね。明日からまた石管を作って作業をすれば良いじゃない。モクレンのその力と体力があればなんだって出来るでしょう? ひとまず今日は水を得ることが出来た宴をしましょう。たくさんの料理を作りましょう」


 お母様はそう言って全てをまとめてしまった。そうだ。時間も材料もたくさんあるのだ。一度作ったノウハウもあるので作業は早く進むことだろう。明日からまた頑張れば良いのだ。お母様に「なんだって出来る」と言われたお父様もすっかり元気が戻り、いつものお父様となりやる気に満ち溢れている。お母様の演説のおかげで宴モードになった民たちは歓喜の声を上げながら民族大移動の如くぞろぞろと広場に戻っていく。

 その場にはさっきまで深刻に話し合っていた私たちだけが取り残された。そしてオヒシバとシャガがお父様に投げ飛ばされた理不尽さもまたこの場に取り残され、私たちは何とも言えない表情で肩をポンポンと叩いて励ますことしか出来なかった。

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