25:姉のような私の親友
午前中授業だった月曜日の夜。
杏が仕事を終えてフリーになったタイミングを見計らい、菜乃花は今日も今日とて彼女を部屋に招いた。
「それでは報告をお願いします」
ベッドの上で正座して背筋を伸ばし、傾聴の姿勢を取る。
「覚悟はできたのね?」
「はい」
重々しく頷く。
「ならばできる限り詳しく、私が見たありのままを伝えましょう」
メイド服を着た杏は菜乃花と向かい合って椅子に座り、人差し指で眼鏡を押し上げ、透明なレンズを煌めかせた。
「千影様が教室に入られた瞬間、クラスメイトたちはざわついたわ。誰? と訝る人もいたわね。視線の集中砲火を浴びながら千影様が席についたときの反応は見ものだったわよ。『うっそー天坂くんなの!? 本当に!?』『イケメンじゃん!』――女子たちは大騒ぎよ。顔を赤くして見惚れる人もいたし、噂を聞きつけて休憩時間中に別のクラスからわざわざ見に来る女子も続出したわ」
「うう……やっぱり……そうなると思ってた……」
菜乃花は膝の上で両手を組み、心の内に湧き上がる不安を鎮めるために左手の親指をぎゅっと押さえた。
「休憩時間の度に囲まれて質問攻めにされて、千影様はたじたじだったわ。趣味や誕生日を聞き出そうとする人もいれば、『好きな人いるの?』と彼女の有無を聞く人もいた。一番強烈だったのは井上さんね。井上さんはG組のスクールカーストの頂点に立つ人なの。彼女は皆の前で堂々と『彼女がいないなら私と付き合って』と言い放ち、千影様を囲んでいた女子たちの度肝を抜いたわ」
「るるかがいるからってちゃんと断ったよね!?」
ベッドの端に両手をついて身を乗り出す。
額がくっつきそうだったからだろう、杏は冷静に上体を引いて答えた。
「いいえ。千影様はるるかを言い訳にはしなかったわ」
「え……」
息を呑み、身体を引いて力なくベッドに座り込む。
もしや、井上は千影が一目惚れしてもおかしくないような超美人だったのだろうか。
元カノが人形のように可憐だったことを思えば、千影が面食いである可能性は非常に高い。
「……了承したの……?」
菜乃花は縋るような目で杏を見つめ、声を震わせた。
右手の親指で強く押さえつけた左手の親指が痛い。
それでも不安で、怖くて、力を込めることを止められない。
「それも違うわ。千影様はちゃんと断った。『気になる子がいるから』って」
杏は無表情を崩し、口の端を上げた。
「……!!!」
それが誰であるかを知っている菜乃花は、目を限界まで見開いた。
「『二次元に彼女がいるから』じゃなく、『三次元に気になる子がいるから』という理由で千影様は断ったのよ。つまり、るるかよりあなたを優先したってこと。良かったわね園田さん。二次元美少女に勝ったんだから誇っていいと思うわ」
向けられた杏の視線は優しく、声も穏やかだ。
これまで菜乃花を見守ってきた分、杏も喜んでくれているのかもしれない。
「そ、そうかな……いや、でも、まだ気になる子っていうだけだし。好きってわけじゃないんだから。喜ぶにはまだ早いような。ああでも」
菜乃花は両手で顔を覆い、上半身を仰け反らせ、そのままベッドに仰向けに倒れた。
るるかより優先された、るるかに勝った。
その事実がどうしようもなく菜乃花の鼓動を早め、胸も頬も熱くする。
夢ならどうか覚めないでほしい。
「……どうしよう、物凄く嬉しい……幸せすぎて涙が出そう」
「というか、もう泣いてるでしょ」
さすが杏だ。よくわかっている。
「うん」
菜乃花は目元を擦った。
「……そうかあ……」
天井を見上げてしみじみと幸せを噛みしめ――はたと気づいて菜乃花は起き上がった。
「千影くん、大丈夫かな? 皆の前で告白されてフったなら、井上さんは恥をかかされたって逆恨みしたりしないかな? 井上さんはスクールカーストの頂点に立つ子なんでしょう? 他の女子たちを扇動して千影くんに酷いことしたりしないかな?」
ただでさえ千影は一部の悪質な女子から過去何度となく総司と比較され、誹謗され続けてきたのだ。
もうこれ以上辛い目には遭って欲しくないし、世の中の女子全員がそんな最低な人間ばかりだと思って欲しくはない。
「大丈夫よ。井上さんはクラスの学級委員長で、気風の良い姉御肌だもの。千影様にフラれたときも『そっかー、残念』でからっと笑って終わりにしてたわ。間違っても引きずって根に持つタイプじゃない」
「ごめん、井上さん」
菜乃花は手を合わせ、顔も知らない井上に詫びた。
井上は菜乃花の想像を遥かに超えて素敵な女子だったようだ。
「これまでとのギャップもあって、千影様はモテにモテまくるかもしれないけれど。心配することはないんじゃないかしら。心の中には既に誰かさんが棲みついているようだしね?」
杏は言いながら、右の三つ編みを解いた。
(千影くんの心の中に私がいる……)
ほんのり熱くなった頰を両手で押さえて引っ張る。
(ダメだ。緩んじゃう。嬉しすぎる。無理)
ベッドに倒れ、菜乃花は枕を抱いて顔を埋め、身悶えて足をばたつかせた。
「それで? いい雰囲気だけど、夏休みはどうするの? 千影様と出かけたりする予定は?」
「……それが」
菜乃花は枕を抱えたまま起き上がった。
「地元の花火大会に行かないかって誘ったんだけど。千影くんは海外で過ごすんだって。レセプションパーティーとかホームパーティーとかに行かなきゃいけない総司先輩についていくんだって。やっと兄弟で普通に話せるようになったんだから、親睦を深めて欲しいと心から思ってるよ。でも、千影くんと花火を見に行きたかったなー、残念だなーと思う気持ちも無きにしも非ず……」
抱えた枕に顎を埋める。
夏休みが近づくにつれ、頭の中で妄想していたあれやこれやは、千影に現実を突きつけられたことで儚く消えた。
「花火大会がダメなら、海でも山でも良かったの。せっかくの夏休み、どこでもいいから一緒に過ごしたかったな、なんて……我儘だよね……」
「いいえ。好きな人と一緒にいたいと思うのは当然でしょう。残念だったわね」
杏は左の三つ編みも解き、二つの黒いヘアゴムをエプロンのポケットに入れた。
そして菜乃花の傍に腰を下ろし、頭を撫でてくる。
大河に頭を撫でられたことはあるが、それとは違う、柔らかい女性の手だ。
「……杏ちゃんってお姉ちゃんみたいだね」
菜乃花は彼女の行動に驚いたものの、すぐに頬を緩めた。
「まあ私は四月生まれだし、姉と言われれば姉になるんでしょうけれど。菜乃花が妹だったら手がかかって大変でしょうね」
「! いま菜乃花って」
思わず枕を落とした菜乃花に対し、杏は照れもせず、無表情で言った。
「今日のメイド業は終わったし、他人行儀に振る舞わなくたっていいでしょ。どうやら私とあなたは友達のようだし」
「どうやら、じゃなくて本当に友達だよ! 親友だよ!」
「はいはい。そういうことにしといてあげる」
菜乃花の抗議が面白かったらしく、杏が微かに笑い、すぐにその笑みを消した。
「それはさておき。私で良かったら花火大会、一緒に行ってもいいわよ?」
「! うん、行こう! 有紗も誘っていい!?」
「ええ、もちろん。女子三人で楽しもうじゃない」
「よーし、千影くんがいなくたって夏を満喫してやるぞー、おー!」
一人で拳を高く掲げてもクールな杏が乗ってこないのはわかっていたので、菜乃花は台詞に合わせて杏の手首を掴み、高く上げた。
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