21:友達として、とはわかっているけれど

 期末テストの最終日はテストとホームルームで終わる。


 部活によっては早速放課後から活動を再開するらしく、有紗と昇降口へ向かう間、部室や体育館に向かう生徒の姿をちらほら見かけた。


「数学難しかったわよね」

「うん。確率の最後の問題、16だと思ったんだけど、有紗はどう?」

「私も16と回答したわ。良かった。学年トップと同じ答えなら安心ね。コミュ英の問2の和訳って――」

 出題されたテスト問題について話し合いながら階段を下り、昇降口で靴を履き替える。


 日向に出る直前、有紗は黒い日傘を差した。

 モデルの彼女は外出時、傘を手放さない。


 モデルではない菜乃花は素肌を晒したまま外に出た。


 たちまち夏の日差しが肌を焼く。

 まだ七月上旬だというのに、今日の最高気温は30度。


 八月になったらどれほど暑くなるのだろうと思うといまから恐ろしい。


「あ。杏ちゃん。テストどうだった?」

 裏門へ向かう途中で杏に会った。

 半袖の制服姿の杏は髪を下ろしている。

 彼女が髪を三つ編みにまとめるのはメイドをしているときだけだ。


「まあまあってところかしら。全科目中間より出題範囲が広くなったから、やっぱり難しかったわね。特に化学」

「だよね! 化学の平均点はかなり低そう。数Aも中間より下がるんじゃないかな。千影くんは大丈夫だったかな……」

 テスト期間中ずっと、菜乃花は自分のテスト結果より何より彼のことが気がかりだった。


「赤点だったら園田さんとはさよならか。一か月、長いようで短い間だったわね……」

 杏はきらりと眼鏡を輝かせ、晴れ渡った夏の青空を仰いだ。


「ちょっと、縁起でもないこと言わないで!」

 杏を交えて三人で歩き、やがて裏門に着く。


 黒塗りの高級車の中には既に千影がいた。


 総司たちの姿はない。

 2年生である彼らは1年生よりテスト科目数が多いため、総司の車に皆で同乗して帰るはずだ。


 車窓越しに目が合うと、千影は露骨に目を逸らした。


(……あ。これは、テスト結果が良くなかったんだな……?)


 暑さで噴き出た汗とは別種の汗が頬を滑り落ちていく。

 一部始終を目撃していた二人も全てを察したようで、有紗は青い顔で目を伏せているし、杏はハンカチで目を押さえている。


「……いままでありがとう、園田さん」

「だからまだ千影くんが赤点取ったって決まったわけじゃないから!」

 威嚇する猫のように歯を剥いてみせ、運転手が開けてくれたドアから車内に乗り込む。

 菜乃花は千影の隣、有紗たちは前列の座席に座った。


「……千影くん。テスト、どうだった?」

 爆弾に触れるような心地で、おっかなびっくり尋ねると、千影は頭を下げた。


「ごめん」

 開口一番謝罪ということは相当に低い点数を取った自覚があるらしい。


「………………」

 0号館で過ごした日々が走馬灯のように頭の中を巡る。


 できることならずっとこのまま0号館にいたかったが、どうやらそうもいっていられないようだ。


「……。そっか」

 短い間に、菜乃花は全てを受け入れる覚悟を決め、微笑んだ。


「謝ることなんてないよ。顔を上げて」

 頭を下げ続けている千影の肩を優しく二回叩く。


「千影くんは本当によく頑張ったじゃない。お疲れ様」

 微笑むと、千影は戸惑ったように目を瞬かせた。


 軽い振動と共に、車が0号館に向かって走り出す。


「……怒ってないのか?」

 千影が菜乃花の顔色を窺うのは、望む成果が出せない度に叱り飛ばされてきたからなのだろう。


 常に完璧、常に1番を強要される厳しい実家で彼がどれだけのストレスを抱えてきたのかを思うと、重い鉄の塊でも飲み込んだように胸が苦しくなる。


「なんで怒るの。目の下に隈を作るくらい必死で勉強してた人に怒るわけないでしょう。家庭教師をしてるときだって、いつだって千影くんは真剣だったじゃない。私は知ってるよ。いつも見てた。頑張ったね。本当にお疲れ様でした」

 頭を下げる。

 千影はただ呆けたように菜乃花を見ていた。


「まだ結果は出てないんだし、赤点って決まったわけじゃないでしょ? もし赤点でも悔いなんてないよ。私は全力で家庭教師を務めたし、千影くんも一生懸命ついてきてくれた。だから私は大満足なのです。胸を張って0号館を去ることができます」

 菜乃花は明るく言い、胸に手を当てて背筋を伸ばした。


「そもそも私が0号館に住めたのは全部千影くんのおかげだから。友達もできたし、4号館に戻ったってへっちゃらだよ。学校に行けば皆に会えるし、心配しなくてももう大丈夫。だから――」

「園田さんが良くても俺は嫌だ」

 菜乃花の台詞を遮って、千影が静かに言った。


「いなくなって欲しくない」

 眼鏡の奥の瞳に強い意志を感じ取り、菜乃花は口を閉じた。


(……それって……)

 鼓動が高鳴る。

 彼には一度フラれていて、菜乃花にいなくなって欲しくないのは友達として、あるいは家庭教師としてという意味だとはわかっているが、それでも、喜ばずにはいられない。


「もう一回兄貴に頼んでみる。赤点回避できなかったのは無能な俺のせいで、園田さんのせいじゃない。それなのに園田さんが責任を取らされるのはおかしい」

「そ、そう……かな」

 ドキドキしてしまって、まともな返事ができない。

 頭の中では『いなくなって欲しくない』という甘いフレーズがぐるぐる回っている。


「そうだよ。兄貴は何でもできるからできない奴の気持ちがわからないんだ。こうなったら断固抗議してやる。園田さんもついてきてくれるよな」

 千影は強い目で菜乃花を射抜いた。


「は、はい、もちろんです」

 何がもちろんなのかは自分でもよくわからなかったが、菜乃花は雰囲気に流されて首を縦に振った。


「……付き合えばいいのにね」

「ねえ。じれったいですよねえ」

 前の座席では有紗たちが囁き合っていた。

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