19:宇宙で一番

 千影に「大好きだよ」の言葉の真意を問われたらなんと言うべきか。


 誤魔化すか、真面目に答えるか。


 思い悩み、寝ては起きてを繰り返したせいで全く眠れた気がしない翌朝。


 欠伸あくびを噛み殺し、重たい瞼を擦ってメイド服の杏と共に歩いていると、階段の前でばったり千影と遭遇した。


「…………!」

 一瞬で眠気が吹き飛ぶ。


 彼は彼で菜乃花の言葉が気になって眠れなかったのか、菜乃花同様、千影の目元には隈ができていた。


「おはよう」

「お、おはよう」

「おはようございます、千影様」

 杏は千影に一礼し、会話の邪魔にならないよう速やかに階段を下りて立ち去った――と思わせて、一階の廊下に留まった。


 振り向かない限り千影には気づかれない絶妙な位置で成り行きを見守るつもりらしい。


「あのさ、昨日のことなんだけど。あれってどういう意味?」

 悶々と悩むことに疲れたのか、千影はストレートに訊いてきた。


 廊下の窓から陽光が差し込み、彼の輪郭を淡く照らしている。

 悩みの雲が重く立ち込めている菜乃花の心とは対照的に、今日は快晴だ。


(……どう答えればいいんだろう)

 この期に及んでまだ迷っていると、菜乃花の視界の端にいる杏が立てた親指を横に倒し、二度振った。

『GO』のサインである。


 彼女はただこちらを見ているだけで、特に何の感情も浮かべてはいないが、目が言っている。


 ――友達だと誤魔化して、そのままずっと自分の気持ちに嘘をつき続けるのか?

 逃げるのは勝手だが、本当にそれでいいんだな、と。


(……いいわけない)

 菜乃花はきゅ、と唇を結んだ。


 これまでずっと千影の望むまま、友達として振る舞ってきた。

 千影には最愛のるるかがいて、自分に振り向くことなんてありえないと言い聞かせ、本当の気持ちに蓋をし続けてきた。


(でも、本当にダメかどうかなんて、やってみなきゃわからない。関係を変えたいなら、自分から一歩踏み出さなきゃ!)


「私、千影くんのことが好きなの。友達としてじゃなく、一人の異性として」

 勇気を振り絞り、菜乃花はとうとう決定的な言葉を口にした。


「そう」


(………………あれ?)

 一世一代の告白だったのに、千影の反応が薄い。

 彼は相槌を打ったきり、ただ突っ立って、何を考えているのか全くわからない無表情で菜乃花を見返しているばかり。

 冷めた態度に、菜乃花は酷く困惑した。


(『大好きだよ』ってはっきり言われた以上、この状況は想定内? だから大して驚かないの? でも、それにしたって、女子が真剣に告白してるんだから、もうちょっと照れるとか、たじろぐとか、しないもの? それとも冗談だと思われてる? 本気だと思われてない?)


「好きです。大好きです。世界で一番あなたが好きです。だから、わ、私と……付き合ってもらえませんか!」

 菜乃花は顔を真っ赤にして右手を差し出した。


「ごめんなさい」

 完。


(いや、完じゃない! 完で終わってたまるものか! ちょっと杏ちゃん、合掌しないで!!)


『ご愁傷様です……』と言わんばかりに手を合わせて頭を下げている杏を横目で厳しく睨み、菜乃花は千影に向き直った。


「そっか……そうだよね。千影くんにはるるかがいるもんね。知ってるのに、告白なんてして、ごめん」

 菜乃花は無理に笑って、行き場を失った右手を引っ込めた。


(即答で『ごめんなさい』か……)

 仄かに抱いていた期待は跡形もなく潰され、ずきずきと胸が痛む。

 それでも泣かなかったのは、これ以上千影を困らせたくない一心だった。


「いや。こっちこそごめん。気持ちは嬉しいんだ。でも……いまの告白の言葉はちょっと……トラウマが蘇ったというか……」

 千影は視線を逸らし、小さな声で言い淀んだ。


「トラウマ?」

「……琴原さんも『世界で一番君が好き』って言ってくれた。でも、その翌日にやっぱり兄貴が好きだって言って、フラれた」


(こ~と~は~ら~)


『てへっ』と可愛らしく舌を出した想像上の音羽に菜乃花が呪詛をかけたとしても、いまばかりは許されたと思う。


「私は琴原さんとは違うよ? ずっと千影くんのことが好きでいる自信があるよ?」

 胸に手を当ててアピールする。


「……悪いけど信用できない」

「だよね」

 その言葉を口にすることに罪悪感を覚えているのか、千影は眉間に苦悩の皺を寄せているが、菜乃花は特に傷つきもせず頷いた。


(千影くんって、幼少の頃から天坂先輩と比較され続けてきたせいで自己評価がめちゃくちゃ低いんだよね。ずっと千影くんを見てた杏ちゃん情報によると、琴原さんは千影くんが初めて好きになった子。千影くんのほうから告白して、受け入れられて。文字通り夢中で好きだった子に『ごめんネ、やっぱり貴方より何もかも優れたお兄さんが好き☆』なんて言われたら……そりゃあ自己評価も最低まで落ち込むし、女性不信にもなるよねえ……)


 二次元の彼女の魅力といえば、完璧な容姿、有名声優の癒し系ボイス、可憐な仕草、きゅんと胸がときめくような甘い台詞……色々あるだろうが、千影にとって最重要なのは『一途なところ』ではないだろうか。


 二次元美少女るるかは絶対に千影を裏切らず、千影だけを愛してくれる。

 その安心感があるからこそ、千影はるるかを彼女として認めているのではないだろうか。


「……怒らないのか? これまで俺にあんなによくしてくれたのに」

 千影は眼鏡のレンズの向こうから、窺うような目を向けてきた。


「怒らないよ。琴原さんが千影くんにしたことを思えば、三次元げんじつの女子が信用できなくなって当然だと思うもの。でも、私が好きじゃないから告白を断るんじゃなくて、女子全員が信用できない、心変わりする可能性が怖くて断るっていうなら、諦めるのは無理」


 千影が本気で二次元美少女以外は要らない、あるいは菜乃花に何の感情も抱かないから、と言うのならば諦めもつく。


 けれど、菜乃花だから嫌なのではなく、いつか裏切るかもしれないから嫌だという理由でフラれるのなら、納得なんてできるわけがない。


「……あのさ」

 菜乃花は背後で手を組み、俯いている千影に一歩近づいた。


「私がずっと千影くんのことが好き、何があっても絶対好きで裏切らないって証明できたら、告白の返事は変わるかもしれないって期待してもいいのかな?」


「……え」

 千影が顔を上げる。

 返答に困っているような顔をしていることから、全くの脈無しというわけではなさそうだと判断し、菜乃花は言葉を重ねた。


「私が好きじゃないから、っていう理由でフラれるなら納得できるよ。でも、千影くんは『信用できないから断る』って感じだったよね?」


 組んだ手に力を込めて――強気を装っているが、内心、ドキドキして冷汗を掻いていた――さらに一歩、彼に近づく。

 至近距離から、彼を見つめる。


「私のことは好き? 嫌い? 二択ならどっち? 正直に答えて」

「……嫌いじゃない」

「つまり好き?」

 菜乃花は間髪入れず、笑顔で追及した。


(私物凄く頑張ってる!! 超頑張ってる杏ちゃん褒めて!!)


 表面上は余裕たっぷりに笑ってみせているが、本当の自分は恥ずかしさに身悶えしている。


 千影はたじろいだように目を泳がせてから、小さな声で認めた。


「……好き」


(好きって言われたああああああああ!!)

 心の中のもう一人の自分が床を転げ回っている。

 しかし精神力を総動員して一切表に出さない。気分は女優だ。


「いやでも、あくまで友達としてで、付き合って欲しいとかは、いまのところ……」

 千影はしどろもどろで、言い訳するように付け足した。

 彼がこんなふうに取り乱すのは滅多にないことだ。


「うん。友達としてでも好きだと思ってくれるなら、いまはそれで十分。まだまだ勝負はこれからだね」

「……勝負?」

 千影は戸惑っている。


「こっちこそ悪いけど、私、千影くんのことを諦めるつもりは全くないから。本気で好きなの。大好きなの。宇宙で一番千影くんが好き」

 世界という文句ではダメだったので、さらに規模を大きくした。


「千影くんじゃなきゃ嫌だ。私が好きなのは千影くんだけ」

「…………」

 千影の顔がわずかに赤くなった。

 この顔が見られただけで収穫である。


「さ、行こう。朝食に遅れちゃう」

 にこやかに笑って菜乃花は階段に足を向けた。


 菜乃花の健闘を称えるように、杏はびしっと親指を立てた後、視界から消えた。


 いますぐ駆け出し、杏に抱き着いて「私頑張ったでしょ褒めて褒めて超恥ずかしかったー!!」と叫びたい衝動を堪え、菜乃花は階段を下りて行った。

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