17:歓迎会を始めます
ショッピングモールの二階、レディース向けのアパレルショップでは流行りの音楽が流れていた。
昨夜、寮の皆と見たテレビ番組でも流れていた曲だ。
頭の中で歌詞を追いながら試着室のカーテンを開けると、その音に反応して棚の小物を見ていた有紗がこちらを向いた。
「あら、可愛いじゃない。良く似合ってるわ」
手に持っていた蝶の形のブローチを棚に置き、有紗が微笑む。
「そ、そうかな……ちょっと可愛すぎるかなと思ったんだけど」
菜乃花が試着しているのは襟にレースフリルがあしらわれた小花柄のワンピースだ。
スカートの裾にもフリル、腰にはリボンがついていて、非常に可愛らしいデザインである。
「そんなことないわよ。菜乃花は細身で可愛いし、ガーリーな服が似合いそうだと常々思ってたのよね。うん。それ、買ってあげるわ」
「いやいや、いいよ! 半額でも5000円だよ!? 買うなら自分で買うから大丈夫! 千影くんの家庭教師頑張りなさいってことで、親にお小遣い奮発してもらっちゃったし!」
二日前の木曜日の夜、菜乃花は総司に連れられて自身の実家に行った。
多少の反対は覚悟で引き続き0号館に住みたい旨を訴えるつもりだったのだが、総司の巧みな話術のおかげで説得の必要はなかった。
不束な娘ですがどうぞよろしくお願い致します、と両親のほうが恐縮しきって総司に何度も頭を下げたくらいだ。
一時間ほど話してそれなりに打ち解けた後、桃花は超イケメンである総司に握手してもらって浮かれていたし、母は浮かれる娘を諫めつつもどさくさに紛れて総司と一緒に写真を撮っていた。
父は「彼氏じゃないよね?」と真顔で総司に訊き、母に頭をはたかれていた。
ともあれ、無事両親の許可は下り、晴れて菜乃花は正式に0号館の住人となったわけである。
そして現在、菜乃花は有紗に誘われて郊外の大型ショッピングモールに来ていた。
「いいのいいの、誕生日プレゼントってことで。すみません。あの服、着たまま帰りたいんですけどいいですか?」
「もちろんです」
「えええ、ちょっと待って!」
止める暇もなく、有紗は店員に声をかけてしまった。
にこにこしている店員の前では「やっぱり止めます」とは言えず、レジの前でどちらが払うかの押し問答があったものの、結局、有紗に押し切られてしまった。
「払うって言ってるのに……」
いままで自分が着ていた服が入った紙袋を左手に下げ、店を出て、冷房の効いた涼しい通路を歩く。
休日の昼間ということもあり、ショッピングモールは人で溢れ返っている。
エスカレーターに向かって走り出した五歳くらいの男の子を、母親が慌てて追いかけ、肩を掴んで止めた。
若い女子たちは飲み物を片手に歩きながら談笑し、通路のソファではイヤホンをつけた男性が俯いてソシャゲに熱中している。
すれ違った若い男性の二人組が有紗を見て、何か小声で囁き合った。
見ろよあの子、すげえ美人。予想するとこんなところだろう。
実際に有紗はこのショッピングモール内にいる他の誰よりも美人だ。
モデルだけあって姿勢も歩き方も美しく、一般人とは放つオーラが違う。
ショッピングモールに入って早々、見知らぬ女子たちに「モデルのARISAさんですよね」と声を掛けられ、握手を求められていたのには驚いた。
彼女の真似をすれば自分も少しはマシに見えるだろうかと、試しに胸を張って歩き方にも気を付けてみたが、ショートパンツからすらりと伸びる有紗の美脚を見て、菜乃花は早々に諦めた。
「いいって言ってるでしょう。プレゼントは素直に受け取るものよ」
(5000円だよ……?)
お嬢様にとってははした金なのかもしれないが、菜乃花にとっては大金である。
しかし、有紗が視線で制してきたため、これ以上しつこく言うのは憚られた。
(……うーん。仕方ない。なら、有紗の誕生日には奮発できるようにいまからお小遣いを溜めておこう)
「……わかった。ありがとう、有紗」
「そうそう。それでいいのよ。どういたしまして」
笑顔を作ると、有紗は満足したように頷いた。
「ところで、なんでもうすぐ私の誕生日だって知ってるの? 言ったことなかったのに」
実は来週誕生日です、と言うと、いかにも誕生日プレゼントをねだっているような気がして言い出せなかったのだ。
「天坂くんが教えてくれたのよ。22日が菜乃花の誕生日だって」
「覚えててくれてたんだ……」
家庭教師を始めたばかりの頃、雑談の中で誕生日について触れたことがある。
そのとき千影の誕生日が十月だということを知り、菜乃花も自分の誕生日が六月だと明かしたのだが、千影はちゃんと覚えていてくれたらしい。
「良かったわね。私、意外と脈ありだと思うんだけれど?」
有紗は桜貝のような桃色の唇を持ち上げて微笑んだ。
「それはないよ。千影くんはるるかに夢中だもん。私はただの友達です」
「家庭教師をしてるときは部屋に二人きりでしょう? いい雰囲気になったりしたことないの?」
「ないです」
「……。これまで一度も?」
「ええ。何度部屋で二人きりになろうと、私たちの関係はあくまで教師と生徒、良い友達。至って健全そのものです。お疑いなら部屋に監視カメラを仕掛けてくださっても構いませんよ? ただ家庭教師をしてるだけですから」
「……そう……」
「ちなみに昨日は古代ローマの歴史、五賢帝時代を中心に教えました。化学では物質の三態とエネルギーについて講義しました。千影くんは大真面目に授業を受けてくれます。あの厳粛な空気のどこに恋愛要素を挟む余地があるというのでしょう。ご存じならば是非ご教授お願い致します」
「……あの……なんというか、ごめんなさい……」
しばらく雑談しながら雑貨店を見て回り、オブジェが置いてある広いスペースに差し掛かったとき、有紗が急に立ち止まった。
「ねえ、ちょっとそこに立って。写真を撮らせてほしいの」
有紗は通路の端を指さした。
ちょうど人通りが途切れ、写真を撮るなら絶好のチャンスと言えるタイミングだ。
「写真? なんで?」
「いいからいいから。ポーズ取って」
「ポーズと言われても……」
「適当でいいから。5、4、3……」
スマホを構えてカウントされては棒立ちしているわけにもいかず、菜乃花は慌てて右手でピースした。
ピロリン、と間抜けなスマホのシャッター音がする。
「ありがとう。これでいいわ」
スマホに何度か指を走らせた後、有紗はスマホを鞄に入れた。
「なんで写真なんて撮る必要が?」
「あら、一枚くらい友達の写真が欲しいと思うのは自然なことじゃないかしら」
友達。
その甘美な響きは、入学して長いことぼっちだった菜乃花の胸を強く打った。
「……じゃあ、私も有紗の写真欲しい!」
「私の写真なんてたくさん持ってるじゃない」
有紗は乗り気ではないらしく、柳眉をひそめた。
「雑誌じゃなくて、私のスマホの中に欲しいの! そうだ、プリクラ撮ろう! ゲームコーナーに行こう! 私、これまで同級生とプリクラを撮ったことないの! プリクラって別人になれるんでしょ? 目を大きくして宇宙人になるの楽しみ!」
「楽しみ方が違うような……」
菜乃花は嬉々として有紗と腕を絡ませ、ゲームコーナーに向かった。
フードコートで昼食を摂り、ショッピングモール内を歩き回って疲れた頃にクレープを食べ、他愛ないお喋りを楽しむ。
そうして休日を満喫し、迎えの車を呼んで0号館に戻ったときは午後六時半を過ぎていた。
「お帰りなさいませ。お荷物、お部屋までお持ちいたします」
「ありがとう」
荷物を持ってくれた使用人と有紗の三人で階段を上る。
「菜乃花。荷物を置いたら大広間に来てちょうだい」
「? うん、わかった」
菜乃花は部屋に荷物を置くと、言われた通りに階下へ降りた。
廊下を歩いて大広間に続く扉を開けた、直後。
「お帰り菜乃花ちゃーん!」
「0号館へようこそ」
「ようこそ菜乃花!」
そんな声と同時に、複数のクラッカーによる激しい音が鳴り響いた。
菜乃花めがけて大量の紙吹雪が舞い、色とりどりの紙片が頭や肩に乗る。
「!?」
菜乃花はびっくりして固まった。
扉の前で待ち構えていたらしく、菜乃花の前にはクラッカーを手にした寮生たちが立っている。
明るい笑顔の三人に比べて、千影のそれはだいぶ控えめな笑顔だった。
彼らがいる部屋の中――大広間は折り紙を輪にして連ねた装飾や花で彩られ、ハート型や星型の風船がいくつも浮かび、テーブルには美味しそうな料理が並んでいる。
いつもと違うオードブルだ。
見慣れたはずの大広間は見知らぬ異空間、まさにパーティー会場となっていた。
「……何事?」
目をぱちくりする菜乃花の足元ではまだ紙吹雪が舞っている。
「はいどうぞー」
大河は有無を言わせず『私が主役』と書かれた紅白のたすきを菜乃花にかけた。
「こっち来て」
千影が手を引いて菜乃花を部屋の中心へと誘う。
彼が進んでこんなことをするとは思えないので、事前に打ち合わせでもしていたのだろう。
「ということで、園田さんの歓迎会を始めます」
やや緊張した面持ちで千影が言った。
『いえーい!!』
大河と有紗が歓声を上げ、拳を天井に向かって突き上げる。
壁際の使用人たちと総司は笑顔で拍手した。
「歓迎会……?」
まだ事態についていけず、菜乃花は目を白黒させた。
「ふふ。びっくりした?」
有紗が笑う。
「びっくりするよ! 歓迎会って、私のために?」
「そうそう。突っ立ったまんまなのもあれだし、座って座って」
大河が菜乃花の後ろに回り込んで両肩を掴み、ソファの中央に座らせた。
皆もそれぞれソファに座る。
有紗と千影が菜乃花の左右、向かいのソファに総司と大河という席順だ。
「実はね、今日菜乃花を外へ連れ出してって頼んできたのは天坂くんなのよ。誕生日ももうすぐだし、誕生日会も兼ねて菜乃花の歓迎会をしたいって」
「……え?」
菜乃花は自分の左側で悪戯っぽく笑う有紗を見て、次に右を向いた。
「木曜日の朝のことが気になってて」
千影は淡々とした口調で言った。
「あれはねえ」
「私も驚いたわ」
総司も、有紗も頷いた。
「うっ……」
触れられたくない過去に触れられて、菜乃花はたじろいだ。
木曜日――本来0号館を去るはずだった日の朝、菜乃花は酷い悪夢を見た。
夢の中ではスマホにセットしていたアラームが鳴らず、7時15分になっても杏が起こしにこなくて、菜乃花は慌てて着替えを済ませて食堂へ向かった。
すると、いつも自分が使っている席に見知った美少女がいた。
三次元の身体を持った、風待るるかだった。
るるかは0号館の寮生たちと朗らかに笑い合い、とりわけ千影とは仲睦まじく、千影に請われるまま「あーん」と料理を食べさせていた。
パニック状態で問いただすと、総司は微笑んで菜乃花のお役御免を言い渡した。
なんでもるるかは『風待銀行』の頭取の娘で、IQ170の天才にしてメンサ会員、これからは菜乃花より遥かに優秀な彼女が千影の家庭教師をすることになったのだという。
千影とるるかは見ているこちらが恥ずかしくなるほどの熱愛っぷりで、総司も確かな家柄と財力と美貌を持つるるかを非常に気に入っていた。
るるかに「お義兄さま」と呼ばれても「気が早いよ」とまんざらでもなさそうに答える始末だった。
0号館の他のメンバーもるるかを大歓迎していて、茫然と立ち尽くす菜乃花には目もくれない。
そして総司は微笑んだまま無情に告げるのだ――「もう君は用済みだから、出ていってね」と。
総司が指を鳴らすと、杏と要は笑顔で菜乃花の両腕を掴んで引きずり、ゴミのようにぽいっと玄関から投げ捨てた。
菜乃花はそこで絶叫しながら目を覚ました。
焦ってベッドから転がり落ち、髪もセットせず、パジャマ姿のまま裸足で部屋を飛び出した。
階段を駆け下りて食堂へ飛び込むと、唖然とした様子の使用人たちと総司と千影、有紗がそこにいた。
一体何事かと尋ねてきた総司に、菜乃花は半泣きで縋りついて質問した。
私を追い出したりしませんよね、私は千影くんの家庭教師になったんですよね、0号館の住人になったんですよね――と。
菜乃花が必死だったからか、あのときばかりは総司も意地悪を言ったりせず、皆と一緒になって菜乃花を宥めた。
彼らのおかげで落ち着きを取り戻した後、菜乃花は恥ずかしさで死にたくなった。
事件から二日経ったいまでも、思い出しては発作的に転げ回ることがある。
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