12:友達になりましょう
有紗の部屋は同じ二階にあるが、わざわざ訪れたことはない。
扉は菜乃花の部屋のそれと変わらないのに、まるで違うものに感じて、緊張に喉が渇く。
女王の部屋を訪れる臣下はこんな気持ちなのかもしれない。
(…………行くぞ。頑張れ私)
深呼吸して、菜乃花は右肩にかけた重い鞄を持ち直し、扉をノックした。
「園田です。夜にごめんね。江波さん、起きてる?」
「……何の用かしら」
「話をしたいの。開けてもらえない? 嫌なら、私の部屋でも大広間でもいいから、一緒に来てほしい」
遠慮するわ、といった冷たい返事を覚悟して待つ。
ややあって、扉が開いた。
有紗は半袖のパーカーにシャツ、黒の短パンを履いていた。
スリッパの色はパステルブルー。
「何、その鞄」
有紗は菜乃花が肩にかけている大きな鞄を見て、訝しんだ。
「中身は後で見せるよ。入っていい?」
「……。散らかってていいなら、どうぞ」
いかにも渋々といった様子で、有紗は部屋に招いてくれた。
散らかっていると言ったものの、そんなことはなく、部屋は綺麗に整頓されていた。
全体的に小物が多い。雑貨が好きなようだ。
有紗は菜乃花に勉強机の立派な椅子を勧め、自分は折り畳み式の丸い椅子に座った。
「それで、何の用なの?」
有紗の視線は冷ややかだが、彼女がこんなふうにまっすぐ自分を見るのは珍しいので――大抵、彼女は視線を合わせようともしてくれない――菜乃花は少し嬉しかった。
「さっき、伏見さんと話して思ったの。私、やっぱり江波さんと友達になりたいって」
「私と友達になったって、何のメリットもないわよ。デメリットなら履いて捨てるほどあるでしょうけどね。あなた、望んで私の引き立て役になりたいの? 鏡を見て言ってる?」
有紗は細く長い足を組み、失笑した。
馬鹿にしきった態度だが、腹は立たない。
わざと憎まれ口を叩いて菜乃花を遠ざけようとするのがわかって、ただ悲しい。
「うん。鏡は毎日見てるし、私は美人じゃないってよく知ってる。それに引き換え、江波さんは超美人だから、私は引き立て役になるだろうね。でも、私、カスミソウ好きだし、刺身のツマも好きなんだ」
「……は?」
意味不明だったらしく、有紗が眉をひそめた。
「よくあるじゃない、薔薇とカスミソウの組み合わせの花束。華やかな大輪の薔薇と、薔薇の美しさを引き立てるための添え物として扱われるカスミソウ。江波さんが薔薇なら私はカスミソウ……って言うのもなんだか、おこがましいかな。カスミソウって、小さくて可憐な花だし。うーん、タンポポ? 雑草? まあ、なんでもいいや。とにかく私は引き立て役ね」
重要なのはそこではないため、菜乃花は話を戻した。
「でも、主役は脇役がいるから輝くんだよ? シンデレラと王子様だけじゃ話が盛り上がらないでしょ? シンデレラと王子様の結婚式で『きゃー素敵ーおめでとうございますー』って拍手するモブとか、花びらを撒くモブとかも必要でしょ? 『美人』は私みたいな『不美人』がいないと価値が薄れるよ。世の中みんな美人だったら、美人だと讃える人もいなくなって困るでしょ?」
「別に困りはしないけど……。つまり、何が言いたいの? 引き立て役でもいいから友達になりたいって?」
「そう、それ」
大きく頷くと、有紗は嘆息した。
「馬鹿なの、園田さんって。理解に苦しむわ。どうしてそこまでして私と友達になりたいのよ? 私、園田さんに好かれるようなことは一切してない。むしろ嫌われることしかしてないわ。それなのに、私の一体どこに魅力を感じたっていうの? モデルの友達がいると自慢したい? 他人に見せびらかすアクセサリー感覚で楽しみたいわけ?」
「あー、うん、実はそれもある。モデルの友達がいるなんて知ったら、うちの家族、びっくりするだろうし。きっと自慢しちゃう」
「……正直ね。普通、そこは否定しないかしら」
有紗は呆れた。
「友達になりたい子には誠実でいたいから。なるべく嘘はつかないようにしてるの。でもね、もちろん、江波さんと友達になりたいのは、江波さんがモデルだからじゃないよ」
菜乃花は屈んで、足元の鞄を開けた。
鞄にはぎっしりと雑誌が詰め込まれている。
「それ……まさか」
何の雑誌かわかったらしく、有紗が大きな目をさらに大きくしている。
「ピンポーン。全部江波さんがモデルとして掲載されてる雑誌です! 赤ちゃん時代の写真もあるよ!」
菜乃花は十年以上前に発行された雑誌の該当ページを広げてみせた。
「なんでそんなものまで持ってるのよ!? どうやって入手したの!?」
赤ちゃんの頃の写真を広げられるのは恥ずかしいのか、有紗は赤面して叫んだ。
「そこは天坂先輩にご協力いただきました。あの人に頼めば手に入らないものはない。ほら、これ、可愛いー。五歳くらい? 超いい笑顔ー。こっちは十歳くらい? 隣の子とお揃いのポーズとコーデ、きまってるね!」
「あああああああちょっと止めて止めなさい!!
有紗は大慌てで菜乃花の手から雑誌を回収し、机の上に置いたが、鞄には大量の雑誌がある。
「この雑誌は表紙だよ、表紙! 凄いね! 子どものときから江波さんは人気だったんだね! こっちは振り向いてるポーズが好きだなー。こっちは肩に手を乗せたアンニュイな表情がなんとも」
次々と雑誌を引っ張り出し、それぞれの雑誌に掲載された有紗の写真の感想を述べては床に積んでいく。
「止めてって言ってるでしょう!? というか、どうしてページもめくってないのに私のポーズや表情をどうこう言えるのよ!? まさか覚えたとでも言うつもり!?」
「うん、覚えたよ。江波さんが載ってるページ、全部チェックした」
得意になって告げる。
「……信じられない。なんでわざわざ……」
有紗は当惑し、菜乃花の手から雑誌を取り上げようともせず、目の前で立ち尽くした。
沈黙が落ちる。
「私って、高等部から五桜に入学した外部生でしょ?」
膝に載せていた雑誌を全て床に置き、菜乃花は語り始めた。
「入学したときからもうクラスでは内部生同士の仲良しグループが出来上がってて、私は上手くその輪に入れなかった。それでもどうにか友達が欲しくて、教室を見回したとき、江波さんがいつも一人でいることに気づいた。話しかけたかったんだけど、江波さん、美人だし、モデルだし、社長令嬢じゃない? 私とは住む世界が違う気がして、なかなか声をかけられなかったんだよね」
お気に入りの一冊の雑誌を鞄から引き抜いて、左手でページをめくる。
雑誌は右手でめくりやすいように作られているため、慣れない左手でページをめくるのは少々大変だ。
「右手を怪我して、天坂くんに0号館に住まないかって誘われて。江波さんと仲良くなる絶好のチャンスだと思ったんだ。でも、邪険にされる一方で。悲しくて、伏見さんに愚痴ったら、伏見さんがこの雑誌をくれたの」
どのページかを記憶していたため、菜乃花は十秒とかけずに目的を探し当てた。
「ほら。この笑顔、凄く素敵」
左手で雑誌を持ち、裏返して、高く掲げてみせる。
菜乃花には雑誌の表紙と裏表紙しか見えないが、有紗はばっちりコーディネートされた服とアクセサリーを身に着け、両手を腰に当て、それはそれは楽しそうに笑う自分を見ているはずだ。
「私、この笑顔を見て、悔しいと思ったんだ。なんでこんな顔で笑えるのに、私には笑ってくれないのって。もーこうなったら絶対意地でも仲良くなってやる、笑顔を見てやるって思ったの。しつこく付きまとってごめんね?」
雑誌を下ろし、有紗を見る。
有紗はなんとも微妙な顔をしていた。
「でも、やっぱりこれからもしつこくつきまとおうと思ってるから、よろしくね」
にっこり笑ってみせると、有紗は苦虫を嚙み潰したような顔をして、俯いた。
「……何の宣言なの……」
「うーん。ストーカー宣言?」
「止めてよ。本当……」
有紗が下唇を噛んでいることに気づき、言う。
「私と友達になるのは嫌? 本当に嫌だ、何があろうと断固拒否、迷惑だっていうならいまここではっきり言って。そしたら諦める。二度と近づかないって約束する」
「……、い……」
有紗は何か言いかけ、すぐに口を閉じ、その場に蹲った。
長い髪をかき上げるようにして頭を押さえ、身体を丸めて、黙ってしまう。
「江波さん?」
心配になって、菜乃花は雑誌を椅子に置き、彼女の横に跪いた。
「……。迷惑なんかじゃない。本当は、友達になりたいって思ってもらえて、とても嬉しいの」
「本当?」
菜乃花は大いに喜んだが、有紗は片手で頭を抱えたまま首を振った。
「でも、無理よ。私といると園田さんに迷惑がかかるわ。嫌われてるんだから、私……」
有紗は憂鬱そうに呻いたが、菜乃花は努めて明るく言った。
「そんなの私だって一緒だよ? 入学して二か月も経つのにクラスでの友達はゼロだよ? クラスメイトに嫌われたっていまさらだよ」
クラスメイトに嫌われたとしてもG組には友達が二人いるし、いまでは総司たちとの繋がりもできた。
だから何も怖くない。
「……よく堂々と言えるわね。まあ、それは私も一緒か……もう友達付き合いとかこりごりだし、面倒くさいのよ……あることないこと言われるのもうんざりだし、独りのほうがよっぽど居心地がいい……気を遣うのも疲れるし……」
「じゃあ、二人のほうが居心地がいいって思わせてみせるし、気を遣わなくていいよ!」
菜乃花は有紗の手を掴み、強引に頭から引き剥がした。
有紗の手は細くて華奢で、想像よりも温かかった。
有紗がびっくりしたように顔を上げ、菜乃花を見る。
「友達になろう! 後悔はさせない! 幸せにする! いや、そのための努力をする!」
姫に求婚する王子の気分で言うと、有紗は唖然として菜乃花を見つめ――とうとう、噴き出した。
「何よそれ……園田さんって、本当、変わってる……天坂くんや伏見さんが口を揃えて『いい人』だって言うのがわかったわ」
有紗は肩を震わせ、指先で目元を拭った。
「天坂くんたち、そんなこと言ってたの?」
繋いでいた手を離すと、有紗は照れくさくなったのか、髪を弄った。
「ええ。下校中、車内で私が園田さんに冷たくしたでしょう? それがずっと気になってたんでしょうね、夕食後に言われたわよ。園田さんはこれまで散々私を傷つけた有象無象とは違う、いい人だって。付き合えばその魅力がわかる、頼むから仲良くしてくれって。他人に興味を見せない天坂くんにあんなこと言わせるなんて、園田さんは凄いわね」
有紗は膝を伸ばして立ち上がった。
いつまでも床に跪いてもいられないので、菜乃花も立ち上がる。
「園田さん……。……ごめんなさい。下の名前、なんだったかしら?」
申し訳なさそうに、有紗は上目遣いで尋ねてきた。
「菜乃花」
「菜乃花、そう。菜乃花ね。わかった。覚えたわ。これからは菜乃花って呼ぶわね」
有紗は肩にかかる長い髪を後ろへ払った。
「え、じゃあ」
「そうよ。友達になりましょう……ああもう、こんな恥ずかしいこと言わせないでよ。察しなさい!」
有紗がまた顔を赤くして、そっぽ向く。
「わー、やばい、可愛い」
胸の前で両手を合わせ、菜乃花はにこにこ笑った。
「何言ってるのよ! いいから、菜乃花も私のこと有紗って呼びなさいよね!」
「うん、了解、有紗。よろしくね!」
びしっと親指を立ててみせる。
車内で大河に返せなかった仕草。
「……ええ。その前に、これまでの非礼をお詫びするわ。ごめんなさい」
有紗は長い髪を前方に垂らすようにして、頭を下げた。
さすがはモデル、深々と腰を曲げる所作まで美しい。
「そんな、いいよ。顔を上げて。そうだ、数学のプリントの問6の4わかった? ちょっと自信ないから答え合わせしたいんだけど」
「ああ、あれね。難しかったわよね。待って」
有紗が鞄からプリントを取り出すのを見ながら、こっそり微笑む。
(やったあ。友達ゲットだ)
これで体育教師の『二人組になって』のフレーズや教師の気まぐれによる『グループを作って』のフレーズに怯えなくても済む。
杏や千影が自分を高く評価してくれていることもわかり、菜乃花の胸は喜びでいっぱいだった。
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