11:冷たい目をした彼女の真実

 0号館の寮生は送迎用の高級車に乗って登下校する。

 学校から寮までは車で十五分ほど。


 他の寮生と帰る時間帯が合わなくても、同じクラスかつ同じ帰宅部である有紗と菜乃花の同乗率は高い。


 100%でないのは、有紗にはモデルの仕事があるからだ。

 昨日、彼女は撮影のため夜遅く寮に帰ってきた。


(……よし。今日こそは江波さんの笑顔を見てみせるぞ)

 高級車に乗り込んで数分。

 その数分で意を決し、菜乃花は隣の席に座る有紗に話しかけた。


「佐藤先生、今日なんだか機嫌悪くなかった?」

 腰まで届く濡れ羽色の髪はそのままシャンプーのCMに出られそうなほど艶々で、肌は抜けるように白く、はっと息を呑むような美人。それが有紗だ。


「いきなり当てられて焦ったよ。いままでは日付と関係ある出席番号の人が当てられてたから、油断してた。予習してなかったらアウトだったよー」

「そう」

 有紗の返答はそっけない。

 それでも、これはいつものことだ。


「江波さんは佐藤先生、好き? 私はちょっと苦手」

「特に好悪の感情はないわね」

「そうなんだ。日高先生は好きなんだけどな。教え方も上手だし、優しいから。松尾先生の授業もわかりやすくて好き」

 有紗は視線すら寄越さない。

 態度で菜乃花を拒絶していたが、ここで引き下がってしまえば永遠に溝は埋まらない。


「体育の斎藤先生は苦手。運動できない生徒に厳しいじゃない。私、運動神経ないからダンスの授業のときも、『まるで壊れたロボットみたいな動きね』って痛烈に皮肉られたし。皆の前で言うなんて酷くない? あれは結構ショックだったな」

「練習したらどうかしら」

 ぐうの音も出ない正論で頭を殴られた。

 車の振動に合わせて軽く揺れながら、痩身の美少女は言う。


「悔しいなら練習すればいい。それだけの話じゃないの?」

「…………うん。そうだね。そうなんだけど……」

 聞きたいのは正論ではなく、共感や慰めといった優しい言葉だったのだが、有紗に期待するほうが間違いだったらしい。


「本の続きを読みたいから、黙っててもらえる?」

 有紗はフェイクスイーツのキーホルダーが下がった鞄から一冊の本を取り出した。

 本にはカバーがかかっていて、タイトルは不明だが、大きさからして漫画でもライトノベルでもなさそうだ。


「はい……」

 菜乃花は項垂れて負けを認めた。


「ノートのコピーは夕食の前に渡すわね」

「ありがとうございます……」

「どういたしまして」

 まるで機械のような棒読みで言って、有紗は本を読み始めた。


(走行中の車内で読書しなくても……そんなに私と話したくないの?)

 0号館で暮らし始めて一週間、菜乃花はこれまで何度となく有紗に話しかけ、仲良くなろうと試みた。

 冷たくあしらわれてもめげずに頑張ってきたが、そろそろ心が折れそうだ。


「元気出せ、園田ちゃん。有紗ちゃんがクールなのはいまに始まったことじゃねーし、誰にでもそうだよ」

 落ち込む菜乃花を見かねたらしく、後ろから声をかけられた。


 菜乃花の後ろの座席に座っているのは、精悍な顔立ちをした乾大河いぬいたいが


 2年A組の彼は総司の友人で、明るく社交的な性格をしている。

 彼もまた大企業の御曹司なのだが、言葉遣いは荒く、言動も軽薄だ。


 素の総司がお世辞にも上品とは言い難い言葉遣いをするのは、彼の影響だと菜乃花は踏んでいる。


 ちなみに総司は彼専用の車で送迎されているため、この車には乗っていない。

 大河の隣に座っているのは千影だ。

 彼はやり取りに興味を示さず、車窓から外を眺めていた。


「俺だって有紗ちゃんって呼んで反応してもらうまで、一か月近くかかったんだぜ? 仲良くなりたいなら根気よく頑張りな。デレると面白いからこの子。頑張る価値あるぞ」

 大河はぐっ、と親指を立ててみせた。


「……そうですか」

 我関せずといった顔で読書に耽る有紗を見ていると、張り切って「頑張ります!」とは言えず、菜乃花はそれだけ返すのが精いっぱいだった。





「江波さんが冷たくてつらたん」

 午後九時過ぎ。

 菜乃花はベッドに身を投げ出し、枕を抱いて愚痴っていた。


「うわあ……つらたんとか、日常生活で使う人初めて見たわ。それはもう古語の領域じゃない? 言ってて恥ずかしくない?」

 足音が聞こえて、ベッドが少しだけ斜めに沈んだ。


 枕を抱きしめたまま、寝返りを打って身体ごと右を向けば、杏が呆れ顔で菜乃花を見下ろしている。

 ベッドが沈んだのは、彼女がベッドの端に腰を下ろしたからだ。


「『スウィート・マイ・ガール』の菊池きくちここあの口癖なんだよ。あの子、愚痴ばっかり言うネガティブ彼女で。ホーム設定したらよく『つらたん』って言うから、私も真似して使ってみた」

「使うべきじゃないわね。イタイ人にしか見えないわよ。園田さん、ただでさえ友達いないんでしょう。未来の友達まで失うことになりかねないわ」

「わかってるよー! 杏ちゃんの前でしか使わないよ、ちょっと甘えただけじゃない」

 枕を放って、菜乃花は起き上がった。


「なんで杏ちゃんはG組なのよー。A組に来てよー。クラスで話せる子いなくて寂しいよおお」

 半泣きで杏の腕を掴み、揺さぶる。


「はいはい。だいぶストレスたまってるみたいね。独りぼっちは寂しいもんね。でも園田さんのために命を賭けることはできないわ、ごめんね」

 慣れた様子で、杏は菜乃花の頭を撫でた。


「……杏ちゃんって、実は割とオタクでしょ?」

 彼女の台詞がアニメ作品の引用だと気づき、菜乃花は率直に指摘した。


「そうね。間違いなく乾先輩の影響ね。乾先輩って、大手ゲーム会社の息子でしょう。そのせいか、乾先輩はゲームはもちろん、漫画もアニメもこよなく愛しておられるの。乾先輩が布教するから、この寮の住民たちは全員程度の差こそあるけど二次元に詳しくなってしまったわ。ちなみに、失恋して傷心した千影様に『スウィート・マイ・ガール』を勧めて、二次元の道に走らせたのも乾先輩よ」


「乾先輩の仕業だったんだ……」

 千影が愛する彼女、風待るるかは、ソシャゲのAI彼女交流ゲーム『スウィート・マイ・ガール』に出てくるキャラの一人だ。


 ストレートの長い黒髪に黒目、身長は149センチと小柄で、趣味は小物集めとお菓子作り。


 性格はおとなしく控えめで、いかにも正統派ヒロインという感じの美少女だ。


『スウィート・マイ・ガール』ではホーム画面にお気に入りのキャラを設定することができ、キャラをタッチすると喋ってくれる。


 親密度が上がると会話内容が増え、会話の選択肢によって、るるかは主人公プレイヤーを励ましたり、明るく応援してくれる。


『落ち込んでるから励まして』と言えば、有名声優が優しい声で『そっか。辛いことがあったんだね。大丈夫。私はあなたの味方だよ』と言ってくれる。


 プレイする時間帯が深夜であれば『夜更かしは身体によくないよ。早く寝よう? 私も一緒に寝てあげるから。ほら、目を閉じて』と睡眠を促したり、朝であれば『おはよう。今日があなたにとっていい一日でありますように』と笑ってくれたりと、まるで本当に疑似恋愛をしているような気分になれる。


 実際にプレイしてみて、菜乃花は千影が二次元るるかにハマる理由がよくわかった。


 無条件に、一途に自分を想ってくれる存在ならば、たとえ二次元でも構わない――そう思う人は少なくないのではないのだろうか。

 それが現実の恋で傷ついた人間であるならば、なおさらだ。


「仕業、という言い方はどうかしら。二次元の恋が千影様の慰めになったのは確かよ?」

「……そうなんだけど。うん……いまは千影くんのことは置いといて、江波さんの話よ」

 菜乃花はベッドに左手をついて場所を移動し、杏と並んでベッドの端に座った。


「江波さんって私のこと嫌いなのかなあ。期間限定とはいえ、せっかく同じ寮生になったんだし、仲良くなれたらなって思ってたんだけど、彼女には全然その気はないみたい。やっぱりあれかな? 私が外部生だから?」


 ――ぽっと出の外部生が学年トップを取ったって……

 音羽が言っていた言葉を思い出して、菜乃花は眉を八の字にした。


「杏ちゃんも幼稚舎から五桜に通ってたんだよね? 学年トップを取ったからって、私、内部生の人たちから嫌われてるのかな? あいつムカつくとかいう話、聞いたりしてない?」

 不安に駆られながら問う。

 内部生の杏自身も悪口大会に参加していないとは限らないが、そこは杏の良心を信じたい。


「いいえ。私の周りでは、園田さんの悪口を言っている人はいないわね。むしろ私の友達は園田さんが一位と聞いて納得してたわよ」

「納得? どうして?」

 興味を覚えて、菜乃花は杏に上体を寄せた。


「放課後、図書館で勉強してたでしょう。私の友達はそれを見てたのよ」

「え……」

 菜乃花は千影を見てばかりいたが、菜乃花自身を見ている人もいたらしい。


「自主的に居残るほど勤勉なのだから、学年トップという結果も納得だし、凄いねって言ってたわよ」

 杏は縁のない眼鏡の奥から菜乃花の目を見つめ返して、言った。


「誰に何を吹き込まれたのか知らないけれど、園田さんは実力で学年トップになったのよ。陰口なんて大体は嫉妬から生まれるものなんだから、惑わされることなく胸を張りなさい。大丈夫よ。園田さんが努力家だってことは、私も友達も知ってる。外部生も内部生も関係ないわ。味方がいるってこと、忘れないで」

「……うん。ありがとう杏ちゃん」

 照れくさくなって、菜乃花は頬を掻いた。


(いまの台詞、るるかと似てたな)

 落ち込んだときに聞く励ましは、本当に心に沁みる。

 るるかの台詞を聞いたとき、千影もこんな気持ちになったのだろうか。


「あー。ほんと、杏ちゃんが同じクラスだったら良かったのに」

 上体を仰け反らせ、天井を仰いで嘆く。


「そうね。多分、本来なら同じクラスだったでしょうね。私、中間で学年7位だったし」

 杏は無表情のまま、Vサインを作ってみせた。


「……え? 7位って、杏ちゃん、めちゃくちゃ頭いいんじゃない」

 杏はメイド、つまりバイトをしていて7位なのだ。

 バイトを辞めて勉学だけに集中すれば、さらに順位が上がる可能性は高い。


「ええ。クラス分けのために行われた実力テストでもほとんど満点だったんじゃないかしら。でも、私はテストの結果にかかわらず、千影様と同じクラスになることが決定していた。天坂家に仕えるメイドとして、千影様を影から見守る。それが私の仕事だもの。もし千影様がA組だったら、私もA組だったでしょうね」

「……実力テストの結果でクラス分けされるって言ってたのに、天坂家は権力でルールすら覆しちゃうんだね……」

「天坂家だもの。なんでもありよ」

 杏は頷いてみせた。


「それはともかく、江波様の話でしょう? 江波様は苦労なさったから、人との間に高い壁を作っておられるのよ。壁を壊したいなら、積極的にアタックするしかないわね」

「アタックしまくってもことごとく撃沈させられてるんですがそれは……。……苦労って何?」

 気を取り直して、菜乃花は姿勢を正した。


「江波様は飛び抜けて美人でしょう。アヒルの中に一匹、白鳥が混ざっているようなものね。あれだけ美人だと羨望と同時に嫉妬の念を集めてしまうのよ、どうしても。友達は周りの生徒から『引き立て役』と囁かれ、耐えられなくなって江波様から離れていく。同性の醜い嫉妬に辟易して異性と話せば『男に媚びてる』と陰口を叩かれる。優れた容姿を褒められたらいちいち愛想笑いを返し、謙遜しなければならない。少しでも対応を誤れば『生意気』『調子に乗ってる』。人間関係に疲れ果てて、全てが煩わしくなって、孤独を愛するようになるのも道理でしょう?」

「…………」


 有紗はクラスで孤立している。

 休憩時間は本を読むか寝ているかのどちらかで、彼女に話しかける生徒はいない。

 たまに話しかける生徒がいても、彼女は一言、二言で会話を打ち切ろうとする。


 徹底して他人を拒絶するクールビューティー。


 そういう人なのだと思っていた。

 彼女は菜乃花が、他人が嫌いなのだと。


(でも、他人が嫌いなんじゃなくて、他人を嫌わざるを得なかったんだとしたら――それが自分の心を守るための処世術だとしたら、そんなの、あまりにも悲しすぎる)


「……そんなのってない」

 無意識に、菜乃花は呟いた。


「そうね。で? どうする?」

 杏は面白がるような目で菜乃花を見た。

 まるで、この後、菜乃花がどういう対応を取るかを予想し、それを歓迎しているかのよう。


「――江波さんと話してくる」

 菜乃花はすっくと立ち上がった。


「この時間帯なら、まだ起きておられるはずよ。行ってらっしゃい」

 一週間前、菜乃花を総司の元へ送り出したときのように、杏は笑った。

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