09:全ては三次元美少女のせいでした
「元気出して。確かに先輩は格好良いけど、千影くんだって十分格好良いよ!」
もはや呑気に昼食を堪能している場合ではなく、菜乃花は急いで水を含み、口の中のものを飲み下して言った。
「気休めは止してくれ。『あの天坂総司の弟なんだからさぞかし美形に違いない』って勝手に期待されて、知らない女子に呼び出されて、いざ顔を合わせてみたら露骨にがっかりされたり舌打ちされたことが何回あると思ってるんだ……」
「そんなことが……」
「外見だけじゃなく、学校の成績だって兄貴には遠く及ばない。今日も担任にため息をつかれたし」
「何。何があったの?」
上体を寄せる。
言いづらいらしく、千影は間を置いてから答えた。
「……数Aの小テストが返ってきたんだけど。結果は9点で」
「……100点満点?」
「100点満点」
顔を伏せたまま、千影が頷く。
「授業が終わった後、廊下に呼び出されて。こんな成績で恥ずかしくないのか、少しは兄貴を見習えって言われた。兄貴は抜き打ちテストだろうと100点以外取ったことないんだとさ……あんな規格外の化け物と一緒にされても……なんであれが俺の兄貴なんだ……羨ましいとか言う奴は正気か? 兄弟になってみろよ、地獄だぞ……」
千影は顔を覆い、ぶつぶつ呟いた。だいぶストレスが溜まっているようだ。
「これから頑張って点数を上げていけばいいじゃない。期末テストで最高点を叩き出して、担任を見返してやろう、ね?」
腰を浮かせてテーブルに身を乗り出し、左手で彼の腕をぽんぽんと叩く。
「……そうだな。頑張るって決めたんだし、頑張らないとな」
自分に言い聞かせるように言って、ようやく千影は顔を上げた。
(9点。100点満点のテストで9点かー、うーん、これはちょっと本気で頑張らないと。学年トップを目指すなんて、いまの学力じゃ夢のまた夢だな。まずは赤点回避を第一の目標として掲げよう。期末テストで赤点だったら、夏休みが補習で潰れちゃうし。家庭教師として、生徒に赤点を取らせるわけにはいかないわ!)
改めて決意を固め、菜乃花は茶碗に残っていた白米を口に運び、昼食を食べ切った。
「ねえ、『東大賢人』さんの動画は見た?」
『東大賢人』は大手動画サイトで高校生向けの授業を配信している男性だ。
彼の授業はとても面白く、コメント欄から送られた質問にも丁寧に答えてくれるため、菜乃花は千影に見るよう勧めていた。
「ああ、面白かった。世界史の教科書を読んでるとすぐ眠くなるんだけど、あの人の動画を見てると興味がわいた。真面目に勉強してみようかなって気になれた」
「良かった」
菜乃花はにこっと笑った。
「毎日の日課として一回は見てね。世界史は『東大賢人』さんが抜群に面白くてお勧めなんだけど、数学に関しては『猿でもわかる』シリーズでおなじみの『猿飛モスケ』って人がわかりやすくて――」
お勧め動画を一通り教え、9点だったテストはまた今日の夜に復習することを約束し、一息ついて水を飲む。
話し込んでいたせいで、コップの氷は溶けてなくなり、すっかり温くなっていた。
食べ終わったし、そろそろ行こうか、と言おうとしたときだった。
「天坂くん。久しぶり」
斜め後ろから遠慮がちな声が聞こえて、菜乃花は振り返った。
そこに立っているのは、精巧に作られた人形のように可愛らしい少女だった。
ふわふわと波打つ亜麻色の髪、ぱっちりとした大きな目。
小柄ながら胸は大きく、それでいて腰は細い。
「……
知り合いらしく、千影が名前を呼んだ。
同性の嫉妬を大いに買いそうな容姿の美少女は琴原と言うらしい。
「話すのは一年ぶりかな。本当に久しぶりだよね、元気そうで何よりだよ。いきなりすみません。私、B組の琴原
音羽は台詞の途中で菜乃花に顔を向け、会釈した。
「A組の園田菜乃花です。どうぞ、座りません?」
「いえ、そんなに長く話すつもりはないので」
菜乃花が隣の椅子を引くと、音羽は首を振って微笑んだ。
「園田さんって、学年トップの才女ですよね。内部生の間では有名ですよ、ぽっと出の外部生が学年トップを取ったって」
「有名なんですか、私」
「もちろんです。五桜では家柄や財力に匹敵するくらい学力が重要視されます。一年であなたを知らない生徒はいませんよ」
音羽はにこにこしているが、笑い返すことはできなかった。
(まさか、内部生の反感を買ったりしてないよね? だから友達ができないとか……そんなことありませんように)
菜乃花が学年トップだと判明したとき、クラスメイトたちは凄いと褒めてくれたが、その裏で生意気だと陰口を叩かれていたら悲し過ぎる。
「琴原さん。何の用事?」
菜乃花の顔が曇ったのを見てか、千影が促した。
寡黙でおとなしい千影が、
「用事って言うほどの用事があるわけじゃないの」
音羽は指で頰を掻いた。
綺麗な爪には薄いピンクのマニキュアが塗られている。
よく見ると、彼女は唇にもリップを塗っているようだった。
「この前も園田さんと二人で昼食を食べてたでしょう。仲が良さそうだし、付き合ってるのかなって思っただけ」
「!」
「違う。俺と園田さんは友達だ」
菜乃花がドキっとする暇も与えず、千影は断言した。
「俺の彼女は
(千影くんの彼女は風待るるかっていうキャラなのか。後で検索してみよう)
胸中でメモを取る。
「そうなんだ……二次元の彼女がいるからって、女子の告白を断ったっていう話は本当だったみたいだね……」
音羽は頬を引き攣らせ、何か言いたそうな顔で菜乃花を見た。
学年トップがこんな二次元オタクと付き合ってていいの? とでも言いたいのか。
仲が良いならこのオタクの目を覚まさせてあげて、とでも言いたいのか。
音羽が何を言いたいのかはわからないが、菜乃花は曖昧な微笑を浮かべてスルーを決め込んだ。
千影とどんな関係を築こうが菜乃花の勝手だし、第三者に口出しされる筋合いはない。
「もし、仮に。万が一にもありえないけど。それでも、もしもありえたと仮定して。俺と園田さんが付き合ってたとしても」
(物凄い強調するね!?)
その可能性はゼロだと言われているに等しく、地味に傷ついた。
「琴原さんには関係ないだろ」
千影は正論を突きつけた。
(千影くんが明確に人を拒絶するなんて初めてだ……)
直感的に、菜乃花は二人の間で何かあったのではないかと悟った。
「…………」
音羽はまだ何か言いたいことがあったらしく、もどかしげに二、三度唇を動かしたが、きゅっと口を結んだ。
「……うん、わかった。変なこと聞いてごめん。じゃあ」
音羽はほんの少しだけ肩を落とし、長い髪を揺らして去った。
千影は音羽に視線を向けない。
睨むようにテーブルの角を見て、押し黙っている。
彼女の姿が完全に見えなくなったタイミングで、菜乃花は尋ねた。
「彼女と昔、何かあったの?」
「……。聞かないで」
返事には力がなかった。
憂鬱そうな表情が、気になって仕方ない。
厭われるのを覚悟で踏み込むべきか、おとなしく引き下がるべきか。
迷っているうちに、千影はテーブルの上を片付け始めた。
「ここは片付けておくから。教室に戻っていいよ」
千影はこちらと目を合わせようとせずに立ち上がり、両手でトレーを持った。
「うん……ありがとう。またね」
まるで二日前の再現だな、と思いつつ、菜乃花はその場を後にした。
(……何があったのかなあ……気になるけど、聞いてほしくないんなら、聞いちゃダメだよね。またいつか話してくれたらいいな)
食堂を出て、廊下を歩く。
A組の教室がある棟に入ってすぐに、菜乃花は足を止めた。
待ち伏せするように、廊下の右手に音羽が立っている。
「さっきぶりだね、園田さん」
待ち人は菜乃花だったらしく、音羽は歩み寄ってきた。
「うん。どうしたの?」
「ちょっと話をしたくてね。天坂くんから私のこと、聞いてない?」
「特には何も聞いてないけど……」
「そっか。話してないんだ。話してない、というより話したくないのかな。それだけのことをしちゃったもんなー」
音羽は困ったような顔で、長い髪の先端を人差し指に巻き付けた。
「……何をしたの?」
「あー、うん。私たち、付き合ってたんだよね。一ヶ月くらい」
「!!???」
さらっと告げられた衝撃的な事実に、菜乃花は目を剥き、口を半開きにした。
(付き合ってた……こんな美少女と……!? いや、美少女云々はともかくとして。中等部のときは三次元女子に興味があったってことだよね!?)
「そんなに驚かなくても……やっぱり園田さん、天坂くんのこと好きでしょ? わかりやすい」
音羽は鈴を振るような声で笑った。
美少女が笑うと、それはそれは愛らしく、菜乃花は二重の意味で動揺した。
「そ、そんなことは」
「誤魔化さなくていいよ。そうだと思ったからこそ、待ってたの。お願いしたいことがあって」
音羽は両手を合わせ、真剣な顔で言った。
「天坂くんが二次元に走っちゃったのは私のせいなの。園田さんの愛の力でどうか天坂くんの目を覚まさせてあげて!」
深々と頭を下げられたが、はいそうですかとはいかない。いくわけがない。
「ちょっと待って? どういうこと? 琴原さんのせいって――そこんとこ詳しく」
もはや相手が美少女であろうとどうでも良く、菜乃花は華奢な両肩を掴み、力尽くで顔を上げさせ、超至近距離から問い詰めた。
「やだ、こわーい」
音羽はおどけたように身体をくねらせた。
菜乃花がにこりともしなかったからだろう、面倒くさそうに嘆息する。
「だからあ。私、天坂くんと付き合ってたんだけどお。お兄さんのほうを好きになっちゃったの! わかった?」
開き直ったらしく、音羽は堂々とふんぞり返って腰に手を当てた。
「……………………」
千影の自虐に満ちた台詞の数々が脳裏に蘇る。
過剰なまでに抱いた兄へのコンプレックス。
兄と比較し、自分を貶す女子たち。
トドメに、大事な恋人まで兄を好きになったとしたら――それはもう、
菜乃花の頭の中で、ぷちんと何かが切れる音がした。
「……あんたのせいかあああああぁぁ!!!」
音羽の頭を捕まえて、乱暴にシャンプーをするかの如くぐしゃぐしゃにする。
通りすがりの男子がぎょっとしているが、菜乃花は構わなかった。
「きゃーーー!! ちょっと私癖っ毛なんだからいつもセットにどれだけ時間かけてると思ってるのよ!?」
「うるさいわ髪全部引っこ抜かれないだけありがたいと思えあんた女じゃなかったら殴ってるからな!?」
「なんてこと言うのよ、こんなに可愛い美少女を捕まえて殴るとかありえない! 野蛮人! これだから外部生は!」
「外部生も内部生も関係ないでしょ、てか外部生に謝れ!! わかった、その歪み切った根性叩き直してやる、こっち来い!! 外で話つけようじゃないの!!」
「きゃー止めて腕引っ張らないで暴力反対いやあああああ――!!」
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