05:致命的なまでに間違ってます
0号館の二階、自室としてあてがわれた北西の部屋。
机に座り、参考書をめくっていると、壁際に控えていたメイドが言った。
「園田様。六時五分前でございます。そろそろご準備を」
「うん……。ねえ。何度も言ってるけど、『様』付けは止めてもらえない?」
参考書を閉じ、黒いトートバッグを机の上に置く。
メイドは頼まずとも傍にやってきて、トートバッグに参考書や教科書を入れてくれた。
「クラスは違うけど、同級生だよね? 私たち」
「どうぞご理解ください。私は天坂家に仕えるメイド、園田様は総司様の大事な客人です。丁重にもてなすよう厳命されております」
落ち着き払った口調でそう答えたのはメイド服に身を包んだ三つ編み眼鏡の少女、1年G組の
杏は「メイドの個人情報などお気になさらないでください」と言い張ったのだが、菜乃花が「いや絶対学校で会ったことあるよね。見たことあるもの」と食い下がり、フルネームと所属クラスを聞き出した。
「もてなしたいっていうなら、友達みたく普通に接してよ。命令って言ったら聞いてくれる?」
「……ご命令とあれば。仕方ありませんね」
根負けしたらしく、杏は頷いた。
「では――いえ。じゃあ。なんて呼んだらいい?」
「菜乃花でいいよ!」
同い年の友人を作るチャンスに、菜乃花は目を輝かせた。
「園田さんでいくわ。さすがに主人の客人を呼び捨てにはできない」
「……。聞いてきたのは伏見さんのほうなのに……」
「ふふ。ごめんなさいね?」
杏はちょっとした悪戯がバレた子どもみたいに笑い、持ちやすいように取っ手を菜乃花に向け、トートバッグを差し出してきた。
「どうぞ。行ってらっしゃいませ」
菜乃花はこれから千影の部屋に行く。
0号館の夕食は七時に大広間で皆一緒に食べる形式となっているので――事前に言えばタイミングをずらすこともできるし、皆と顔を合わせるのが嫌なら部屋まで運んでもらうこともできる――夕食までの間、一時間だけ勉強を教えることになっていた。
千影は引っ越したばかりで大変だろうし、明日からでいいと言ったのだが、菜乃花が強引に押し通した。
引っ越しと言っても荷運びは全て使用人がやってくれたし、梱包作業や荷解きだってほとんど彼らがしてくれた。
疲れているかと訊かれれば全く疲れてない。元気溌剌だ。
「うん、でもその前に。この格好、変じゃないよね?」
菜乃花は立ち上がり、パーカーの裾をつまんで引っ張った。
薄手のパーカーにチェックのシャツ、短パン。
スカートのほうが色気は出るだろうが、あまり張り切っても不審に思われかねない。
悩みに悩んだ末の無難な格好である。
「変じゃないと思うけど……。……? 園田さん、千影様狙いなの?」
「!!!!???」
いかにも図書委員をしてそうな、おとなしそうな外見にも関わらず、杏は直球ストレートで核心ド真ん中をぶち抜いてきた。
「ねねねねね狙ってるなんてそんなまさか! まさかそんなことあるわけないじゃ」
首の骨が折れそうな勢いで頭を左右に振る。
しかし、その必死さが仇となったらしく、
「うん。わかった。理解した」
杏は左手でトートバッグを抱え、右手で眼鏡を押し上げた。
部屋の照明にフチなしの眼鏡が反射し、意味ありげに輝く。
(ぎゃ~~~!! バレた!! 絶対にバレた!!)
千影本人に知られるもまずいが、総司に知られるのが一番恐ろしい。
弟のことが好きだといったら、総司はどんな反応をするだろうか。
(『いくら不出来でも一応ぼくの弟なんだから、退学してね。悪い虫は早めに駆除しないとね』とかにっこり微笑んで言われそう! 退学なんて嫌だ!! せっかく天坂くんと友達になれたばかりなのに、まだなんにも始まってないのに、先輩にぎゃふんと言わせてないのに……!!)
「お願い伏見さん!」
菜乃花は両手で杏の手を掴んだ。
右手首が過負荷に悲鳴を上げ、その痛みで涙目になったが、泣き言など言っていられない。退学になるかどうかの瀬戸際だ。
「天坂先輩には言わないで! お願いします、この通りです」
両手を掴んだまま深く頭を下げる。本当に今日は頭を下げてばかりいる。
「言わないよ。私は天坂家の使用人だけど、立場抜きに応援するわ」
「女神……!!」
感涙して杏を抱きしめる。
大げさな物言いが面白かったらしく、杏は笑い声を漏らし、提案してきた。
「お近づきのしるしに、千影様の写真あげようか?」
「なんで持ってるの!?」
驚いて身体を離すと、杏は笑った。
「友人と教室で写真を撮ったとき、たまたま端っこに天坂くんが写ってたってだけよ。メインでもないし、こっちを向いてるわけでもない。それでも」
「いる! いる!! いります!!」
「なら後で連絡先交換しよう。さあ、今度こそ行ってらっしゃい。千影様をお待たせしてしまうわ」
そう言って、杏は菜乃花の左手にトートバッグを持たせた。
0号館は学園の裏手の山中にある三階建ての洋館だ。
豪奢なシャンデリアが吊り下がった玄関ホール、寮生の憩いの場である大広間、洒落たデザインの手すりがついた階段。
そこかしこに大輪の花が生けられた花瓶や絵画があり、床には毛の短い絨毯が敷き詰められている。
土足は禁止で、館内では原則スリッパか、室内履きシューズだ。
(急げ、急げ)
菜乃花はスリッパを履いた足をいつもより早く動かしていた。
急いでいても、見慣れない廊下の装飾は目につく。
(あの風景画、サラリーマンの平均年収に匹敵したりして……しないよね? しそうだから怖い)
ふと、電話したときの母の言葉が蘇る。
今日は偶然有給消化中だったらしく、電話には父も出た。
「引っ越しは許すけど、くれぐれも失礼のないようにするのよ? 高い壺とか壊されても、うちに弁償する余裕はないからね?」
「いやー菜乃花、凄いなあ。山の上の洋館に住むなんてお姫様みたいだなあ。でも王子様と恋に落ちるのはまだ早いからな? 二十歳になるまで交際は認めないから」
「お父さんは中学のときから私と付き合ってたでしょ! 黙ってて! とにかく菜乃花、お淑やかに、行儀よく暮らしてちょうだいね!」
(言われなくても、そのつもりですよ)
二階の角部屋に着いた。
肩にかけたトートバッグの位置を直し、深呼吸してから木製の扉をノックする。
「開けるからちょっと待って」
扉越しに声が聞こえて、待つことなく扉が開いた。
千影は半袖のパーカーに黒のスラックスを履いていて、スリッパは菜乃花のものと色違いだった。
彼は青、菜乃花はパステルピンク。
(お揃いだ! このスリッパを用意してくれた使用人さん、グッジョブ!)
「お邪魔します」
その言葉と共に入った部屋には机と椅子のセットがあり、備え付けの本棚は本や小物で埋まっていた。
彼と菜乃花の部屋が同じ構造なのだとしたら、ここは書斎で、その奥に寝室がある。
贅沢にも、0号館の寮生には自分の部屋が二つあるのだ。
「座って。鞄は机に置いていいから」
千影は隣に用意していた椅子を引き、自分は机の前のそれに座った。
「まだ一時間も経ってないけど、住んでみて、どう? 何か不足はない?」
「ないよ。メイドさんもよくしてくれるし、楽園みたい」
「それはちょっと言い過ぎ。でも、気に入ってくれたみたいで良かった。何かあったら遠慮なく言って」
「うん。ありがとう」
それきり、会話が途切れた。
気の利いた話題を探しているらしく、千影は黙っているし、菜乃花は菜乃花で焦っていた。
私服姿の千影が至近距離にいると思うと、喉がからからに乾いた。
このままでは心拍数が上がる一方なので、落ち着くために部屋を見回す。
千影の部屋は綺麗に整頓されていた。
棚にはノートパソコンがあり、携帯ゲームの類もある。
(二次元美少女のグッズで溢れ返ってるかもしれないって覚悟してたけど、そんなことなくて良かった。いや別にそれでも良いけど、肌色成分の多いポスターとかが貼られてたら目のやり場に困っただろうし……あ、あのゲーム、私も好き。あの漫画も、いま私がハマってるやつだ。私たち、趣味が合うかも。つまり相性がいいってことでは?)
本棚に並ぶ漫画やゲームの攻略本を見てにやけ、はっと我に返る。
(……って、何考えてるの! そもそも人様の部屋を眺め回すなんて失礼でしょ! ダメダメ。恋心封印! 目的を思い出せ! 天坂くんを学年トップにする、それが私の使命!)
「さ、勉強しよっか!」
トートバッグから教科書を引っ張り出す。
たまたま手に取ったそれが世界史だったので、まずは世界史の勉強から始めることにした。
「世界史の勉強ってどうしてる?」
「教科書を写してる」
「…………………………ん?」
聞き間違いかと思ったが、千影は至って真顔だった。
彼は本棚からノートを一冊取り出して、これが証拠だと言わんばかりに広げ、菜乃花の前に置いた。
ノートには教科書を一言一句違わず写したと思しき文章が綴られていた。
(天坂くんって綺麗な字を書くんだな。やっぱり名家に生まれたからには、小さい頃から英才教育されて、書道とかも習ってたんだろうな……)
現実逃避のように考えながら、ノートを数ページめくる。
教科書と全く同じ内容だと確信し、菜乃花はノートを閉じた。
改めて千影を見る。
心なしか、彼は得意げだ。
どうだ、頑張ってるだろう、という心の声が聞こえてくるよう。
「……放課後、ずっとこうやって勉強してたの? 化学とか、数学とかも? 教科書の丸写し?」
「うん」
何の躊躇もなく肯定され、菜乃花は頭を抱えたくなった。
(これはあれだ。難しい参考書を買って満足するのと似た現象だ。目に見える成果物があるから『やった気になってる』だけで、実際は全く身についてない)
身についていたら、赤点なんて取るわけがない。
「……天坂くん。残念なお知らせがあるんだけど」
「何?」
「天坂くんの勉強方法は致命的に間違ってる」
「…………!?」
体内に電流でも駆け抜けたのか、千影は目を丸くして硬直した。
「……俺、頑張ってるのに?」
声が震えている。
放課後、あんなに一生懸命教科書を書き写していたというのに、まるで意味がなかったと知れば、大いにショックだろう。
「うん。言いにくいんだけど、頑張る方向性が間違ってる」
「そんな……」
絶望したように肩を落とす千影。
「元気出して。いまからまた頑張ろう」
菜乃花はぽんと千影の肩を叩いた。
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