第四章 ただの喧嘩で構わない

さあ戦争を




     1



「ふふ」



 闇に響くその声を聞く事のできる人間は、その場にいない。



「ふっは、ふは、ふははあはああははははははははははははははははは‼」



 普段は背筋の曲がっている体を背中側に逸らし、下品に大口を開けて盛大に笑い声を放つ。

 ゾンビのような薄汚い格好の少女の右の瞳には、赤い石が埋め込まれていた。脳と左の眼球に繋がれた制御デバイス。だがゾンビの少女・カタリナ=グラフィックにとってその役割はどうでも良い。


 カタリナにとって、それはただの呪いの証。


 父親からのプレゼントとも思い出の品とも思っていない。


 まるで結婚すると確信して婚前に体に恋人の名前を彫ったのに、結局は別れてしまって忌々しい刺青だけが残った嫌悪感を何百倍にも膨らませたような気持ち悪さ。


 だが今は、この時だけは、カタリナ=グラフィックは呪縛から解き放たれていた。


「あはあ、ふう、あばふう……☆☆☆‼」


 人語でも何でもない甘い吐息は、華奢な少女に艶やかな印象を与えていく。


 ゴロリ、と地面を転がる何かがあった。

 爪先でサッカーボールみたいにそれを蹴り飛ばしつつ、カタリナは現状を分析する。


 地下に永遠に幽閉されていたくせに、ゾンビの少女の手にはスマートフォンそっくりのデバイスが握られていた。


 ほとんど高質なガラス板にしか見えないそれには、地球の科学者でも分析困難なデータが映し出されている。


「……ふっ、便利なものだ」


「何が、でしょう」


 サッカーボールが何か言う。


 いくつかの部品が吹っ飛び、電磁性複合細胞が活性化しない限りはしばらく立つ事もできないアンドロイド少女だった。


 完膚なきまでに叩き潰されたメアリーの問いかけに答える気があるのかないのか、くっくとカタリナは笑う。


「秘書ソフト程度の分際だが、君や呪いのアルゴリズムを読み解くくらいのスペックはあるようだ」


 セレナとの通信を妨げたのは、カタリナの発した妨害電波。


 ……と、あの理系高校生は思っているのだろうが、あれはただの通信妨害ではない。


「ハッキングでスペックを借りる程度は造作もなかったな。メアリーの通信方式すら解析できていないだろうに、私の発する電波をただの妨害電波と信じ込むとはな。……くっく、善人とは罪だな」


 と言いつつデータを眺めながらも、少女は軽く首を傾げそうになる。


(……とはいえ私の知りたいデータをこれほど容易く計算できるほどのスペック、か。どこの企業が作ったスパコンかは知らんが、あんなガキが使用権限を手に入れている理由がちょっと見えんな)


 データのリザルトには、使用したスーパーコンピューターの名称がサインのように明記されていた。


(……せり、いや『セレナ』か。ひょっとしたら『テレサ』を分解・再構築したものか?)


 と、ここだけは間違った予測をつけてしまうカタリナ。


 そして笑う。

 気持ち悪いほどに機嫌良く。


「ようやくこのクソ忌々しい呪いが解ける」


 それは永きに渡る悲願の想い。


 永劫にも近い時の中で、たったそれだけを目的としてきた人生の集大成。


 手の中にあるデータさえあれば、その天才に不可能な事など存在しない。大量の電気と機材を必要とするスーパーコンピューターの方から、あちらにやってきてくれるなど優秀なカモネギもいたものだ。


 設計していたソフトを起動する。


 その間に、もはや鉄塊でしかないメアリーが口を動かした。


「……いけません、カタリナ。その石は……尊い平和のためのシステム、その一つです」


「目が曇っているな犬っころ。まあさっき意味不明な事を口走っていた事からも、何かしらの異常があるのは明らかだったが」


「あなたは忘れてしまっただけです。……きっと、その石を誇らしく感じた時代が確かにあったはずだというのに」


「……、随分と知った口を叩くじゃないかスクラップ。これ以上どう料理されたいのか、できればストレートに教えてくれた方がありがたいんだが」


「ノー。すでに得たものは全て失いました。切られ、潰され、焼かれ、煮られ……私はどうも『こういう』星の元に生まれたようです」


「機械が出自を語るか、世も末だな」


 赤い石は一見、完璧な封印を施しているようにも見える。


 だが所詮は制御デバイス。

 その正体は決められた方式でプログラムされたガジェットだ。今までは電力と機材がなかったためスーパーコンピューターを製造できずに最後の手を決められずにいたが、奇しくもカモがネギを背負ってきた。


 これならば。


「レアメタルがなくても構わない」


「ノー」


「数秒で良い、赤い石さえ封じる事ができれば」


「どうか」


「この闇とも、いよいよおさらばだッッッ‼‼‼」


「考え直すべきです、カタリナ‼‼‼」


 全てが決まる。

 この完璧なシステムは、破壊するために構築されていたのではないかとすら思う中。


「私の味わってきた五〇年以上の闇を五分に凝縮してやるよ、クソ太陽せかい



     2



 行動を起こす、その直前。


 起動したソフトが機能して、地上に上がるコンマ一秒前。


 五〇年、いいやもっと長い時間の中、ずっと何もなかったくせに。


 寂しさで頭をおかしくして、絶叫したって水滴が落ちる音一つも返してくれなかった闇のくせに。


 その奥、距離感の摑めない暗い通路の向こうから。

 聞き慣れない声が響いて来る。


「よおゾンビ。そう早まるなよ」


「……、」


 返答を迷ったカタリナ=グラフィックの隙間にねじ込むように、そいつはさらに言葉を被せてくる。


「ちょっと俺との長話に付き合う気はないか、カタリナ=グラフィック。地上の事を聞きたいのなら教えてやるよ。随分長くこんなトコにいるなら聞きたくならないか、例えば首に黄金の宝石を埋め込まれた最新技術の城に囚われたお姫様の事とか」


「……物事を随分とポジティブに捉えるではないか健康体。今時のガキは本質を見抜く事すら忘れられるのか」


「本質だけしか見えないっていうのも悲劇だと思うけど」


「その矮小な脳ミソでどこまで理解しているつもりでいる? 全てを摑んでおいて、その上でこの行動という訳ではないだろう。世界の真実すら摑めていないヤツが何をほざく」


「それなら心配いらない、実はさっき全てを摑んだ。……そう言ったらどうする?」


「その上でここにいるのなら、君は相当な愚か者だ」


「否定するつもりもないよ」


 その肯定の言葉は、ゾンビの左目の瞼をぴくりと蠢かせるには十分だった。


 本当に全てを見破った者の顔。

 世界の本性を知った愚者の瞳。


 それでいて、なお再び死地へ飛び込むに至った『何か』を持つ少年。


「……名を聞いておこうか。世界で一番の馬鹿だ、数分程度覚えておくくらいの価値はありそうだ」


「結城陸斗」


 即答だった。


 迷う事なく彼は言った。

 天才・カタリナ=グラフィックの予想を超える言葉を。


「覚える必要はないよ、きっと俺は歴史に名を残す」


 何と言っても、と。

 そんな風に自虐的な笑みすら刻んで。


「世界よりも、メアリーの方に天秤を傾けようとしてる大馬鹿野郎なんだから」





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