口喧嘩の次は殴り合い




 準備には、二〇分もあれば問題なかった。


「お前が貯金していてくれて助かったよ、セレナ。深夜の速達サービスって三〇〇〇円も取られるんだな」


『ええボス。便利な世の中は高額なお金で成り立っているのでしょう』


「聞きたくない。せめて大人になるまでそんなの知りたくない」


『まあボス。世界の真実を知ったというのに、庶民の性質は抜けないのですね』


「人間なんてそうそう簡単に変わらないよ。俺は何年経っても機械いじりと花恋の母さんの作るビーフシチューが大好きで、テストと危険が大ッ嫌いな小市民だと思う」


『ボス。今からその危険に自ら飛び込もうとしている自覚はございますか?』


「さてね」


 リペアテレサの外だった。


 といっても敷地の外ではなく、先ほどの速達サービスで荷物を受け取るために建物を出ただけだ。


 段ボールを抱えながら、小市民な理系高校生はスマートフォンをシェイクする。感覚的に言えば真面目に勉強している少女の袖をくいくいしているような感じだ。


「セレナ。タスクの進行度はどうだ」


『ええボス。経過良好です。リペアテレサとも接続完了。光ファイバーを介した接続により、今は学校のシステム本体と建物そのものがほぼタイムラグなく繋がった状態です』


「何かあったらすぐに報告な」


『ええボス』


 と、ここでブルリとスマートフォンが不自然な震えを察した。


 何だか登校中の子どもが家に忘れ物をした事にハッとした時のような、背筋の震えに似ていた。


「ん? メールの受信って訳じゃないよな、セレナ?」


『……ボス。本当に何でも報告しなければなりませんか?』


「気味悪い確認しないでくれるか? 一体何に気づいたんだよ、今から地下のカタリナと喧嘩するんだぞ。幸先悪い事だけは勘弁だ」


『ええボス。しかしリペアテレサと繋がった事により発覚した事実があります』


「何だ」


『先ほど、地下で一度だけ通信障害の起こった原因が判明しました』


 データがいくつも映し出されるが、正直怖くて見られない。

 だが何となく、膨大なデータを見て陸斗は眉をひそめた。それはメールに添付されていたのだ。


「……何かのデータを、送信してる?」


『ええボス。解析は不可能です。しかしわたくしの演算領域を一部利用して、何かの計算が行われていました。数値は送信先の者が設定したようです。当然、ボスのオーダーではありません』


「つまり俺以外のヤツに体を許した訳だ。へーえほーうふーん?」


『申し訳ありません、ボス。こんな状況でなければ自壊プロトコルを発動したいレベルの失態です。現在の状況が改善しましたら、セレナソフトを消去しますか?』


 淡々とした人工音声だった。


 本当に主人にとってベストな道のみを歩かせる。そのためにはシステムを操る窓口エージェントは自分でなくても構わない。プログラム自体は再び設計し直せば、学校の体育館にある本体は手軽に使用できる。


 そんな思考回路が汲み取れた。


「……まあセレナだけに責任がある訳じゃない。ようは俺の設計したセキュリティが弱かったって話なんだ、責め切れないよ」


『ええボス。ボスならそう仰ってくださると思っていました』


 一応、無意味と分かっていても調子の良い秘書にお仕置きする感覚でスマートフォンを指で弾いておく。


 段ボールの中身を開けながら、陸斗はあの地下の事を思い出す。


 セレナのファイアウォールを突破するなどふざけている……と思うのは自惚れだろうか。だがセレナにすら気付かれずにスパコンの演算領域を無断使用された。


 思わず舌打ちする。


「……カタリナめ。あの一瞬で、しかもコントロールの素振りすら見せずにセレナをハッキングしたのか……?」


『わたくしのような窓口エージェントを使用している様子もありませんでした。おそらく地下生物を操る時同様、脳のみによる信号なのかもしれません』


「……地下の技術め、進んでいやがる」


『ボス。実は地下の技術も学習したい、というのが本音でしょうか』


「今は微妙なトコだな。あれほど哀しみを積み上げて成り立った技術も珍しいと思う。核兵器みたいなもんだ、使うたびに心が荒む」


『ええボス。ここで終わらせたいですね』


「切実にな」


 そんな時だった。


 再びスマートフォンがぶるりと震える。しかも今度は着信音付きだ。


 画面を見る前にセレナが電話を掛けてきた人物を教えてくれる。


『ボス。お母様からの着信です』


「は? 母さん?」


 段ボールを開けつつ、器用に左手で指を鳴らすと通話が繋がる。よく知った声が聞こえてくる。


「もしもし母さん? 急にどうしたの」


『おっめでとーっ‼』


「……ええと。酔ってんの?」


『んな訳ないでしょ。あなた、国際研究所からレアメタルを貸してもらえた―って喜んでたでしょう? 確か今日で全部終わったわよね、お疲れ様。あと侵略者騒動とか意味不明な騒ぎがあったからやや泣きそうになってたの』


「セレナがいたから大丈夫だよ。というか、なんかレアメタルを貸してもらえた日もおめでとうは言ってもらえた気がするけど」


『何度でも言いたいの』


「そりゃどうも」


『成果はどうだったのよ』


「まだ挑戦中だよ。今そのレアメタルのせいでえらい目に遭ってるトコ」


『何それ? あなたまた厄介な事しようとしてんじゃないでしょうね。セレナちゃん作る前に学校との協議だの何だので揉めたのつい最近なんだから、ちょっとは大人しくしてなさいよう』


「小言を言いにわざわざこんな夜中に電話かけてきたのか」


『まーねー。こっちとしちゃ長男が早くも一人暮らししてるってのがすんごい寂しいのよ』


「……寂しい、ね」


 段ボールのガムテープが取れなくて鬱陶しい。


 爪で何度も剥がそうとしながら、陸斗の声の違和感にでも気付いたのか生みの親は見当違いな事を言ってきた。


『あらどうしたの陸たん。セレナちゃん作っててもやっぱりお母さんの事が恋しいのかー? 帰ってきても良いのよー、ていうかたまには帰って来い』


「陸たん言うな良い年して気色悪い」


『むっふふー』


 何気ない会話。


 いつも通り、普段通り。


 だけど、こんな事さえあの地下では許されなかった。

 そう思うと、心が強く締め付けられる。きっと、当事者は何倍もの苦しみを味わってきたはずだ。


「……あのさ、母さん」


『うん?』


「俺が生まれた時、どう思った?」


『嬉しかったわよー。もうずっと抱き締めておきたいくらい』


「即答かよ」


 半ば親バカに呆れつつ。


「……その瞬間はそうでもさ、生意気なトコとか鬱陶しいトコとか色々見えてきただろ。何でこんなヤツ生んじまったんだろーとか、そういう事は思わなかった訳?」


『よーしセレナちゃん聞こえてるわよね? 今すぐ陸斗の現在地を送信してくれるかしら。今すぐ頬っぺたを全力ビンタしに行ってあげるからー♪』


「断固拒否な、セレナ」


『あら孫娘なのに陸斗のお母さんである私のお願いが聞けないなんておばあちゃん泣いちゃいそうだなー』


『ボス。最適解の算出が不可能なタスクを放り込まないでください。できればこの関係図にわたくしを巻き込まないでいただきたいのですが』


 しかもこの時間に家にいない事がバレている。


 声色から何かあった事を看破されているっぽい……と陸斗の背筋が寒くなってきたのは秋の気温のせいではないはずである。


『で? どうして急にそんな事を?』


「……今まで俺はのうのうと生きてた。本当に、思った以上に何も知らずに。セレナなんて優秀な秘書を持ったのも間違いだったのかもしれないって思うほどに、自分は知った気になっていたんだって。……レアメタルのおかげで何となくそれが分かった」


『陸斗?』


「なあ母さん。どうしたら良いかな? 誰の愛情も受けなかったがために、見るもの全て、いいや見えていないものも全部、何もかもを恨み呪い潰したいなんて思ってる子がいたら、本当にどうしたら良いと思う?」


『うーん、ううーん?』


 きっと、訳が分からなかったのだと思う。


 言葉の意味を理解できても、現実としての理解や想像が追い付かない。


 それでも、たった一人の腹を痛めて産んでくれた人はこう言った。


『んー、正直母さんには陸斗のやっている事とか聞いても、サッパリ分からないんだけどさ。ほら、何だかあなた難しい事やってるでしょ』


「うん」


『その子、男の子? 女の子?』


「……女の子。なんかちょっとゾンビっぽいけど」


『ふふ、なあにそれ。年上? 年下?』


「大分年上だと思う。でも」


 言い澱んで、でもこれが一番正しい解答だと思って、結城陸斗はこう口にした。


 こう言い放つのが、正しいと思ったのだ。


「……でもたぶん、本当は、赤ん坊みたいに幼いのかも」


『ふうん』


 じゃあ、と。


 今夜の夕飯は何にしようか、軽い結論を出すくらいの調子で。


『ならあなたの伝えたい事を伝えなさい。それがどれだけメチャクチャでも構わないから』


「……うん?」


 今度は陸斗が首を傾げる番だった。


 母親の真意を測り損ねる。


『支離滅裂でも何でも良いわ。だけどその子が赤ん坊みたいな子なら、美辞麗句や綺麗事を口にするのだけはやめなさい』


「どう、して」


『すぐに見抜かれておしまいよー。きっとすぐに「ああこいつはこの程度の事しか言えないような人間なんだ」って思われて、信頼を失って終わりだわ。正直、母さんはそれが一番ムカつく』


 メアリーに何かを与えた陸斗だが、さて、では陸斗は『それ』を誰に与えられたのだろうか。


 少年の持つものは、少年が生み出したのか。それとも外的要因によって理系高校生に植え付けられたものだったのか。


「なにが……」


『んふふ、だってね』


 誰かから立派なものを、誇れるものをもらった。


 そんな自覚はなかった。


 だけど直後、その確信を覆す言葉が電話の向こうから聞こえて来たのだ。


『母さん、だーい好きな一人息子をそんな薄っぺらい人間に育てた覚えはないもの』


「……そう、なんだ」


『ふふ、あなたの事を話しているのに、なあにその淡泊な反応。やっぱりぶっ飛ばしに行った方が良い?』


「ヤダよもう高校生だ」


『はーあ、陸斗が一人で何でもできる歳になっちゃってお母さん悲しい。ほんとにもうちょっと帰って来てよう』


「……まだまだだよ」


『へ?』


「一人で何でもなんて、あと四、五年経って大人の仲間入りをしたってできる気がしないよ」


 近い内に実家に帰ろう。


 そんな風に決意して、段ボールのガムテープがようやく剥がれたのを確認する。


「……ありがと母さん」


『あら、お悩み相談はもっと受け付けるわよ』


「キリがないよ。やれるだけやってみる事にする」


『ん。無理はせずにね』


「ああ。おやすみ」


 おやすみーと簡単な返答が飛んできた辺りで、セレナが通話を切った。


 静かな夜風が吹く中、人工音声はポツリと言った。


『良いお母様ですね、ボス』


「……かもしれないな」


 照れ隠しでそんな風に言う陸斗だったが、母親いわくきっと彼女に『こう』育てられたはずなので、素直に認められなくたってあのいつもぼんやりした調子の母親は笑うはずだ。


 段ボールの中身を取り出して、箱はその辺りに放っておく。


 やるべき事を頭に浮かべて、チェックを入れるようなイメージで必要な項目を確認していく。


「セレナ。連絡は取れたか?」


『ええボス。「彼女」はこの時間帯でも起きていらっしゃいました』


「オブスによる被害はなし?」


『ええボス。何でも自宅の核シェルターに避難していたようです。テレビ電話として掛けましたが、トロピカルジュースと少女漫画片手に随分と優雅に状況を満喫していらっしゃいました』


「何者なんだか、まったく。今度詳しく話を聞こう」


『ええボス。危険が目の前に迫ると人生でやり残した候補がたくさん出てきますね』


「俺これが終わったらナニナニするんだーって台詞は言わないぞ。言ったら死亡フラグが立ちそうだ」


 速達サービスがやたらと高くついたのは、深夜料金のせいだけではない。


 一本、バイク便をオーダーしたのだ。物品の受け渡しは陸斗が行う訳ではないが、時間差で『彼女』の所にあるモノが届くように手配してある。


「……はあ」


 冷たくて硬い、剥き出しのアスファルトに座り込む。一つ一つ、頭の中で必要な項目にチェックを入れていく。まるでジャングルに入る前に武器が揃っているかを確認するような。


 やがて、少年は静かに、深く、そして細く息を吐いた。


 準備が完了する。


 完了してしまう。


「なあ、セレナ」


『ボス』


「……メアリーは、俺から何を得たんだろう」


 何となく天を仰いでみると、満天の星空があった。


 それこそ、毎日、何気なく見かけているもの。

 そこにあるのが当たり前すぎて、もう特に感動なんて覚えない光景。


 これを初めて見た時、自分は何を思ったのだろう。


 もう覚えてもいないし思い出せもしない。生まれた時からこの世界が当然で、必然的に生きていく事を強要された場所。


 サンタクロースをいつまで信じて、いつから真実に気付いて諦めたのか。


 これは、そんなレベルの話であるような気がした。

 いつの間にか与えられて、いつの間にか消えていく。


 メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターが抱えた真実は、ひょっとしたらもっと軽いのかもしれない。


 それでも陸斗が与えたものは、劇的な変化だったはずだ。


 そうでなければ、本来ない回路を0と1で構成された意識に埋め込める訳がない。警備システムでもないメアリーのインストールデータに、自己犠牲などという言葉があってはならないのだから。


 終わらせたい。

 こんな人工知能を中心に据え置いた戦争なんて、さっさと幕を下ろしたい。


「……重たいな」


『ええボス。どの行動が、どんな光景がミスメアリーに影響を与えたのか。わたくし程度のスペックでは演算のしようもありません。これだけは彼女本人にしか分からないものでしょう。いいえ、これはそうあるべき項目です』


「そりゃあ大変だ。だったら是が非でも聞きに行かなきゃな」


『ええボス。対話でしか心は図れません。せっかく言葉が通じるのです、真正面から参りましょう』


 立ち上がる。


 立ち上がれる自分を誇れる。


 ……たったそれだけの事で、何だか世界の一つくらいなら敵に回せてしまえるような気がした。


 手段はある。喧嘩を売る心意気もある。ちっぽけな理系高校生がどこまでできるか、挑戦したい野心も持ち合わせている。


 やがて足りないものは何だろうと考えた時、不足しているものが存在していない事に気づく。充電もできた頼りになるスマートフォンを握り締め、彼は最終確認を取った。


「よし。見落としている事はないな」


『ええボス。物のついでです、わたくしを汚したミスカタリナに少々お礼と参りましょう』


「……ひょっとして、ブチギレてんの?」


『ええボス』


 人工知能の淡泊な返答がまた怖い。


 そんな感想を抱きつつ、結城陸斗はパーカーのポケットからレアメタルを取り出していた。





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