戦争の合間の平和2
「保険証に学生証、その他諸々の個人情報に判子。……煩雑なのですね、こちらの世界の契約というのは。インストールされていたデータよりも随分と面倒に感じました」
「ああ、正直メチャクチャ疲れる」
もうインストールデータとかにはツッコミを入れない事にした。気にしたら負けである。
スマートフォンの画面の明るさを調節しながら、結城陸斗はメアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターとエレベーター待ちをしていた。
「陸斗、次はどちらへ?」
「ああ……おいセレナ、SNS系のアプリのインストールから先にやるんだ。アルバムの復元なんかは家に帰ってからでも良い」
『オーダーを承認。しかしWi-Fiが入っていないので通信量をかなり喰いますが』
「適当にWi-Fiを拾ってこのスマホと繋げ。パスワードは力業でクリアしろ」
『
「借りるだけ」
『ダメです』
「どうしても?」
『おっと偶然店内イントラネットを経由してWi-Fiと繋がってしまいました。これは不可抗力の事故です。仕方がありません』
絶対に偶然ではあり得ないルートで、契約した携帯会社とは関係のないアンテナが立つのを見て陸斗はガッツポーズする。と、人工音声と理系高校生がイチャコラしていると、隣で何だかメアリーの目が細くなっていた。
髪の毛がメドゥーサの蛇のように蠢き、瞳がドス黒い色へと染まっていく。
「……陸斗、別に私はもう一度あなたのデバイスを壊したって痛くも痒くもありません」
「えっ、なに、どうして急にブチギレモードだ!?」
『ミスメアリーは先ほどどちらに行かれるのか聞きたがっていました。ボスは空返事でしたが』
「ああそうなのか何も言わなくても教えてくれるなんてやっぱりお前は良い子だなセレナ、ごめんごめんメアリー」
「だからどうして私よりもそいつと話すのですか正直言って不快です……ッ‼」
「痛ぁ!? ごめんって言ったのに蹴り飛ばすか普通!?」
思ったよりもパワフルに尻を蹴られ、その勢いでエレベーターの扉に顔面から激突させられる可哀想な子・結城陸斗。
とはいえ、メアリーはいつだって無表情なので、抗議をしようにも引っかかりがなくて難しい。これで頬を膨らますアクションくらいしてくれていれば理不尽を訴えられやすいのだが。
意外と暴力的なアンドロイド少女は言う。
「もう一度聞いてあげます。次はどちらに行きますか?」
「つ、次はメアリーの服を見に行こうと思っています、ええ……」
「なるほど機嫌が直りました。もうエレベーターという乗り物を待っている時間も惜しいです。こちらに階段がありますさあ行きましょう」
『ボス。店内イントラネットからインストールしたデータをミスメアリーに閲覧されました。階段の位置はそちらで把握したようです』
「……お前が構築してきたファイアウォールを一瞬にして破られた?」
『ええボス。正直超驚きました』
手を引っ張られて階段の方へと引きずられながら、陸斗は片方の頬を引き攣らせる。
まさかキーボードもセレナのようなインターフェイスも使わずにハッキングやクラッキングを成し遂げられるとでもいうつもりか。呪文を唱えず魔法のステッキを振るだけで情報を奪い取られたような印象であった。
『……ボス。これは脅威です』
「ミュートだセレナ、その話は今夜二人でゆっくりしよう」
『ええボス。ベッドの中でたくさんいたしましょう』
そんな会話がメアリーにも聞こえたのか、階段まで引きずられるスピードが上昇する。雑なおばさんに引っ張られる掃除機みたいに体が浮かび、お尻を何度か床に打ち付ける。
どうやら高性能なソフトをその身に搭載するメアリーはご立腹のようであった。
洋服店は三階にまとまって入っていた。
インドア派が五〇段強の段差を踏破しただけで息切れを起こしながらも、スマートフォンに必要なリクエストを飛ばす。
「セレナ、女性服の店舗をピックアップ。俺には何が何だか分からない」
『ええボス。そのタスクはすでに完了しています』
「……そりゃどうも」
『女性慣れしていない事にご機嫌ナナメになる必要はありません。わたくしはそんな残念なボスでも永遠にお側にいられる自信があります』
「そりゃあどうも‼」
優秀過ぎるというのも考えものなのだった。
ピックアップされた店名を並べるのではなく、セレナは三階のマップに次々と☆のマークを重ねて行く。
だが現在地すらも読むのが面倒な陸斗はスマホの画面をコツコツと爪で叩いて、
「分かりづらい」
『ナビいたします。目の前のお店が良いかと』
通路を進む。
洋服店ばかりが並んでいる光景が家電量販店のビルにいるという事を忘れさせる。家電の値段を見た後に洋服の値段を見れば財布の紐が緩む、というのも道理ではあるが、実の所の利益だの還元だのはどうなのだろうか。
と、途中で緑色の制服を纏う少年と白いお姫様みたいな格好の少女とすれ違った。
「ほらほら旦那様、あっちに素敵なドレスがありますわよ! 白一色の眩しい輝きがわたくしを呼んでいますわ‼」
「待って、これ以上買わされたら俺は経済事情が崩壊する‼ エマ、一度落ち着こう。俺は制服とチェリーボムを売って女性服を買うのは嫌だっ‼」
……おそらく関わらない方が良い人種だったので、少し距離を取ってから店に向かう。
と、店に入るやいなや、陸斗は腰に手を当ててため息をついた。
「参ったな、俺に女性服の良し悪しなんて分からないぞ」
「陸斗は全体的にセンスがなさそうです」
「メアリーうるさい。これでも理工学関係については大学の先生から抜群のセンスありと認められてるんだ」
『その通りですボス。ただしこの世の何パーセントの女性がそのセンスに目を奪われるかは考えた事はありますか?』
「ふっ、考えないようにしてる。なぜなら答えが出たら絶望するしかないからだっ‼」
人生の課題ではなく目の前の問題に集中しよう。
結城陸斗は片手を離そうとしない隣のメアリーに視線を移す。
「メアリー、何か着たい服はあるか?」
「ノー。私には服を着るというデフォルト設定が想定されていません。あまりにも洋服のチョイスには不向きです」
「よく俺のセンスとか馬鹿にできたな」
「陸斗の場合は服を着るのに分かっていないのです。前提条件が違います」
「いや女性服はそもそも着ない!」
「女性と親密な関係を築けばそれ相応の知識はつくはずです。やはり陸斗の異性との友好はたかが知れて……」
「ああそうか、だったら花恋のヤツを参考にすれば良いのかな。それならこんなオーバーオールとか休日はあいつがよく着ていてだな」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………むっすー」
わざわざ擬音を口で表現して不満を訴えてくる辺り、今度のご機嫌ナナメは重度のものらしい。長くて白い髪の毛がメドゥーサみたいにザワザワ揺れる。
デリカシーのない馬鹿野郎は続ける。
「ほらメアリー、これなんか良いんじゃないか? 花恋もこんなシャツにオーバーオールを合わせていた気がするし! もうこれで決定で良いんじ」
「良い訳ありません。さっさと別のを選びましょう」
「全否定!?」
もはや店自体が気に入らなくなったのか、手首の関節技をキメられて再び掃除機みたいに引きずられる理系高校生。
隣の女性服売り場に乗り込むメアリーは言う。
「陸斗」
「な、なんか目が怖いよメアリーさん?」
「陸斗。ここであなたが一番魅力を感じる、もといその花恋とやらが着ない洋服をピックアップしてください」
問答無用らしい。
おそらく否定した瞬間にもう一度ケツを蹴り飛ばされるので、陸斗は店内を見回ってから、
「セレナ……を使うのはナシだよな」
「逆に聞きますが、使っても良いと思いますか?」
「どうなっても知らないぞ……」
陸斗は頭を軽く掻いてから、
「じゃあこういうワンピースかな。花恋の馬鹿はほとんど格闘家みたいなもんだから、あいつがスカート穿いてるトコなんて見た事ないし」
「ではこれで」
「オイ待った、即決か? 自分で言うのも何だけど、きっと店員さんと決めた方が良いものが着れると思うぞ」
「こちらで構いません。カラーはどうしますか?」
「白かな。メアリーの肌と髪に合いそう」
「……やや気持ち悪いです、陸斗。もしやさっきすれ違った少女に引っ張られているとかそういうのじゃないでしょうね?」
「あれっ、ドン引きされている!? 肌と髪の話をしたからか!?」
「冗談です。……しかし陸斗、インストールデータには白い肌には黒色も似合うという情報があります」
「へえ、別に二着買えば良いんじゃないのか。所詮はワンピースだし」
そして二着のワンピースと白と黒の低いヒールを二足、レジに通した瞬間に後悔した。
占めて一二万円なり。
「セレナちゃん!? いつもの警報はどうした!?」
『いいえボス。ボスが男を見せる瞬間なんてこれくらいしかありませんもの。恐縮の極みですが、わたくしが稼いだお金です。これくらいの額ならば日常生活には大したダメージはありません。どうぞドドンといきましょう』
「お前さては高いお店ばっかりピックアップしてたな!?」
『ここまで高い店はわたくしもびっくりです。ミスメアリーが店を移動したのが主な原因ですと主張させてください』
レジのお姉さんの笑顔がつら過ぎる。
おっかなびっくりカードを取り出し、暗証番号を電卓みたいな機材に打ち込んでワンピースとヒールを二つ購入完了。
「……俺の持っている服を丸ごと全部買い直せるんじゃないか……?」
『きっと後悔はいたしません。わたくしを信じてくださいボス』
そう、隣のメアリーの尻尾が左右にひゅんひゅん振れていた。
無表情なので分かりにくいが、何だかご馳走を目の前に置かれた犬みたいに見えなくもない。
「陸斗、陸斗」
「ああ、試着室は借りられるはずだから、タグを切ってもらって着たら良いんじゃないか」
「お言葉に甘えます」
試着室に突進していくメアリーを見て、くすりと笑ってしまいそうになる。
どうやら見た目の年齢よりも、少し設定年齢は低めに調節されていそうであった。そして、試着室にメアリーが入っている間に陸斗はスマートフォンの画面を叩く。
「セレナ、OSの方はどうだ?」
『ええボス。設定完了です。オーダーがあれば何なりと』
「スマホが元通り使えるようになったらWi-Fiを切っておけ。スマホ一つのデータのやり取りなんか大した事はないだろうけど、それでも気は進まない」
『オーダーを承認。確かに「偶然」繋がってしまったとはいえ、あまり良い事ではありませんね』
「それと回収業者。たぶん学校には間に合わない。渋滞でも起こしてやれ」
『オーダーを承認』
「やり過ぎるなよ」
『ええボス。気を付けます』
いけしゃあしゃあ、といった具合なのだった。
そしてそんな事をしている間に、シャーッとカーテンの開く音がする。
試着室の奥が覗ける。
見知った少女の顔が見えた。
「……陸斗、いかがですか?」
着ているのは白いワンピースに白のヒール。冬用なので首元がモコモコしており、スカートから飛び出した尻尾がだらんと下がって左右に揺れていた。
そのアンバランスな印象がどこか可愛らしい。
『ボス』
小さなボリュームでスマートフォンから人工音声が飛んでくる。
『ここは素直にどうぞ。特段うまく言う必要も奇をてらった表現も必要もありません。どうぞ思った事を率直に伝えて差し上げてください』
「あ、あー」
目の前の美少女の形をした芸術品に言葉を失っていた事に気づいてから、彼はかぶりを振ってこう告げた。
「あー、美人っぷりが増したな。その、すごく可愛いと思う、けど……」
『……四五点です、ボス』
が、褒められたメアリーの方は満足してくれたらしい。
シャーッとカーテンが再び閉まり、白髪ロングの少女が奥に引っ込む。
ただ、何度も左右に振れる尻尾がブラインドの布地を引っかけ、カーテンが何度も開閉を繰り返していたのが、分かりやすくそれを示していた。
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