機械でもセクハラです



 起きた。


 薄いカーテンの向こうから、肌寒い空気と一緒に温かい陽射しが差し込んでくるのが分かる。どうやら少し窓を開けたまま寝てしまっていたらしい。


 とにかく目を擦って口をもそもそ動かしてみる。


「……おあよー、セレナたん」


『おはようございます、ボス。たっぷり寝られたようで何よりです』


 枕に顔をうずめたまま、結城陸斗は窓から差し込む陽射しから逃げるようにベッドサイドに広げたノートパソコンに声を飛ばす。


「何時だ?」


『朝の八時です』


「……すでに遅刻確定か。花恋のヤツは?」


『本日はインターホンも鳴らさずに学校へ向かったようです。朝の六時にマンションのエレベーターに乗る姿を確認しています。顔認証の表情分析によると、睡眠を取っていない可能性があります』


「何だ……? あの格闘バカ、一晩中ずっと動画サイトでスポーツ動画でも見ていたのか?」


『流石にミス花恋に対するプライバシーの侵害となります。……まあ、ボスに一言命令されてしまえば、「そういった」タスクも処理しなければならなくなるのですが』


「お前が俺を『そんな事をする』主人だと思っているのはようく分かった」


 暗い顔で言いながら、枕から顔を引っこ抜いて自室からリビングへ向かう結城陸斗。


 何だか重い頭を振りながら、ダイニングキッチンでコーヒーマシンが動いているのを確認する。


『ボス。すでにコーヒーはできています』


「ありがと」


 手首につけていたスマートウォッチから聞こえる女性の人工音声と言葉を交わして、マグカップを手に。


 軽くコーヒーを注いで、ミルクと砂糖を少量入れてかき混ぜる。


「……ふう」


 カップに口をつけてセレナが事前に作ってくれていたコーヒーを味わっていると、嫌でも視界に入ってくるものがあった。


『それ』を見て、陸斗は思い切りため息をつく。


『それ』は言う。


「くーすー」


「……、あの安らかな寝顔を見ていると昨日のアレは夢なんじゃないかって思うんだよなあ」


『ボス。あまり眠っている女性の顔を見つめるものではありません』


「あれは機械だ」


『ではマネキンを見続ける人を見てどう思われますか?』


「頭おかしいのかなと」


『それと同類では?』


「でも彼女は芸術品だろ」


 ダイニングテーブルに腰掛けてコンビニで買い置きしておいた菓子パンの袋を開けつつ、寝ボケ眼の少年は言う。


 その視線はチラチラと白髪ロングの少女・メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターに注がれていた。


「考えもしなかったよ、思いつきさえ。……あんなものを作ろうなんて考えたヤツは本物の化け物だ」


『ええボス。実際にはスパコンを製造しようとするのとは訳が違います。コストはもちろん、歩行のプログラム一つを取っても複雑を極めるでしょう』


「お前と一緒なら作れそうだけど」


『がんばりましょうボス。きっと思い出に残る共同作業になります』


 と、少し甘い菓子パンを頬張っていると、結城陸斗はちょっとおかしなものを発見した。


 何だろうあれ。


「……うん?」


 よく分からない。


 何度見つめ直しても、やや理解が及ばない。


 壁のコンセントにプラグが突き刺さっている。それ自体は何もおかしくないのだが、プラグの繋がっている先、つまりコードの吐き出し口が妙なのだ。


 ソファーの肘掛けを枕にして寝息を立てているメアリー。その……腰? それともお尻だろうか? とにかく下半身と上半身の間にコードが入り込んでいる。


「……いや、ほんとに何だあれ?」


 興味本位でコンセントに近づく。


 テレビのコードも突き刺さっているプラグ部分に手を伸ばす。


「これは、えっと……?」


警報アラート


「あん?」


 唐突に聞こえたセレナの声に眉をひそめるが、動かしていた手はすぐには止まらない。


 そのまま結城陸斗の伸ばしていた手が、コードの表面にわずかに触れた時であった。



 布団を叩く音を何十倍にも膨らませたような、とんでもない音がした。


 直後に、メアリーの顔が少年の至近五センチまで迫っていた。



「がぶふっ!? ……っ、めあっ、り!?」


 一瞬で全身を押さえつけられていた。


 コンセントのすぐ横、壁際に結城陸斗の体がメアリーの細腕によって拘束される。しかも、のしかかるように押さえつけるだけではない。


 数百本の髪の毛がもぞもぞと蠢いていたのだ。


 そう、医療用の針に匹敵する細さの銀や白に近い色の硬質な繊維が、切っ先を少年に向けてシルエット全体を囲むように空中で停止させられていた。まるで意志を持つ蛇のように。妙な動きをすれば、一瞬で髪の毛の嵐の殺到によって串刺しにされそうな殺気を纏うまま。


 メアリーが瞬時に起き上がり、ソファーを思い切り蹴飛ばして陸斗に向かって跳躍してきたのだと気付いた時には、すでに関節各所を押さえ込まれていた。


 そして、彼女はおそらく人体構造を完全に把握している。


 重心を押さえつけ、腕や足の筋肉だけではまともに起き上がれない体勢に落とし込まれている……っ⁉


「メア、リー……ッ!」


「……、」


 慌ててメアリーを見つめると、その瞳は信号機のような赤色に輝いていた。


 そもそも彼女の瞳はこんなにも危険を感じさせるほどの赤色だったか。


 ただ、それも五秒ほどの出来事だった。


 不意に彼女の体の力が抜けたのだ。


「……失礼しました」


 静電気によって逆立っていたかのように少年を照準していた白いロングヘアがふわりとたなびいて元の髪型に戻る。


「陸斗でしたか。一言かけてくだされば良いのに」


「きゅ、急に何だ。驚くだろ!」


「驚いたのは私の方です。基幹構造部分に触れられたらどんなマシンだってこうなります」


「ならねえよ」


「寝ている時に性感帯に触られるようなものです」


「例えが最悪。それにお前機械だろ」


「機械です。……陸斗、これ何の確認です?」


 陸斗の腰というか、太腿の辺りにお尻をつけて落ち着くメアリーは、なぜだかいつまでも少年の上から退こうとしない。


「メアリー、ちょっと重い」


「全体重量は九二キロです」


「やたら重いな‼」


「初期設計通りです。リアクターも搭載していますので、そりゃあこれくらい重くなります」


「その動く髪の毛は?」


「そもそもあなた方と髪の毛の概念が異なります。一本一本が筋肉繊維のような役割に近いのです。昨夜のビルからの紐なしバンジーで安全に下降できたのも、この髪の毛をビルに押し付けて減速したからです」


「種明かしされてホッとしているけど、怖いものは怖かったよ」


「……その件については反省しています。私の配慮不足です」


 目を逸らしてメアリーはそんな風に言った。


 謝っているつもりなのだろうか。


 いつの間にか、彼女の目は危険を表す赤信号から温かみを感じさせる柔らかなピンク色に変わっていた。それを見て、機械の少女の瞳がピンクの色を宿しているのだと初めて知る。


 なぜか上から退こうとしないメアリーのその目を見て、陸斗はつい口走ってしまっていた。


「はーあ、綺麗な目だな。視覚情報を取り込むだけのデバイスだとは思えない」


「……、ど」


 そして、そのアンドロイドの少女は訳の分からない表情をした。


 もう一度だけ目を逸らし、頬を瞳よりも赤く染めて仏頂面になったのだ。


「……どうも、です。まあ、その、褒められて悪い気はしません」


 そのまま、彼女は逃げるように少年の上からあっさりと退いてくれた。


 なぜだか顔をこちらに向けようとしない少女に首を傾げる結城陸斗に、なんかさっき警報を飛ばしていた気がするセレナが的確にこうコメントした。


『……ボスはそんなのだからガールフレンドができないのです』


「何だセレナ、今俺をディスる流れがどこにあった?」


 と、メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターの後ろ姿に違和感を覚えた。ようやく寝ボケていた頭が正常に活動を始めていく。


 そう。


 陸斗の体を押さえ込めるその体は……。


「め、ありー? みぎ、うで。右腕は? その右腕はどうしたんだ!?」


「今頃気付いたのですか」


 呆れたような色を器用に声に乗せるメアリーは、きちんと五体満足だった。


 昨夜、地下の謎空間で右腕を吹っ飛ばされたはずの少女は、綺麗な細い右腕をゆるりと動かして、


「電磁性複合細胞です。基幹構造部以外は電気さえあれば回復します」


「……待った、複合細胞? 細胞なのか? 人間の細胞が使われているって事なのか!?」


「あくまでもハイブリッドです。人間は知性ありしといえど、あまりにも生物的に劣ります。ただし一部を抜粋すれば有効利用が可能です」


「その一部だけを都合良く取り込んでるって……?」


「はい。……あの、陸斗、右手をムニムニしないでください」


「……だから感触が人間と変わらない、のか……? いやでもすごいな。電磁性の細胞なんて発想がおかしいだろ……。一体どういうシステムだ、そもそもプログラム組んでどうにかなるものなのか……?」


「あの」


「つまりさっきのコードは電磁性複合細胞を回復させるために家庭電源と繋がっていたのか。プラグの形に調整できるのも便利だな。日本だろうが海外だろうが、どこだって電気を供給できるようにしている訳だ。セレナ、記録してるな?」


『ええボス。一字一句記録し、仮装演算領域での設計予想などのタスクも同時進行中です』


「良いぞ、この手触りなんかも保存したいんだけどな……」


「陸斗。……陸斗?」


 ふむふむ……といつまでも右手をむにゅむにゅする少年には何も聞こえていないらしい。相変わらずの無表情で右手を握られ続けるメアリーだったが、やがて彼女はこう言った。


 まるで一眼レフのカメラレンズのように、その瞳を拡縮させながら。


「陸斗、セクハラです」


「だから機械だろって」





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