第9話

9月21日 くもり


夕斗は二日程眠り続けて三日後の朝に目が覚めた。医者の話だと、内蔵に負担がかかっており、早急に手術をしなくてはこれからの生活において極めて危険な状態になるとの事だ。誠彦は仕事を休んで夕斗の様子を見に来た。

夕斗の母親が来ており、誠彦を見て深々とお辞儀をした。

「あの子から話は聞いています、いつも家に帰るとまさひこがって話してて。あの子、あんなに楽しそうなのが初めてで」

華奢であるのに、しっかりとした母親に思えた。それから夕斗の病気の事や、手術の同意書に著名をした事を教えてくれた。どうやら夕斗は、手術を拒み続けているらしい。

「私、あの子だけが生きがいなんです。あの子に死なれたら、私どうして生きていけば」

夕斗の母は肩を震わせて泣きはじめた。

病室の扉を開き、白いカーテンの隙間からじっと景色を眺めている夕斗の丸い後頭部を見て、生きていることにほっとした。夕斗に近づいて声をかける。

「よ、夕斗。元気そうで良かった」

夕斗は黙ったまま、外を見続けた。

「あ、これ。病院にいると暇だと思ったから」

誠彦は鞄の中から、スケッチブックと色鉛筆を取り出した。夕斗はそれをちらりと見遣るとまた視線を投げ出して無愛想に言った。

「絵なんて書かないよ」

「書いてみようよ、そうだ、夕斗が好きな虹の絵でも描いてみたらどうだ?」

「……いらないよ」

「そんな事言わずに」

「いらないってば!」

スケッチブックと色鉛筆は病室の床へ叩き落とされて転がった。

「俺は本物の虹が見たいんだよ!!見せてくれるって言ったじゃん!嘘つき!!」

夕斗はそう言って布団へと潜り込んだ。誠彦はスケッチブックと色鉛筆を拾って片付けると窓の傍に置いた。

「明日虹が出るって」誠彦は、病室の外から見える晴れ渡った空の向こうを見て言った。すぐ下の庭では清掃員が箒と塵取りを持って掃除をしている。

「うそだろ、騙されないぞ」

「本当。あす雨が降る。だから夕斗、この病室から外を見ててごらん」

「本当に?」

布団から顔を出して問いかける夕斗へ、小さく頷く。

「本当。虹を見れたら頑張れるか?手術」

「……うん」

「よし、じゃあ二人の約束だぞ」

「分かった。約束、する」

「大丈夫、夕斗はきっと大丈夫だから」頭をぽんぽんと軽く叩いて安心させると、夕斗は照れ臭そうに唇を結び、空を眺めてぼんやりと楽しみだなと呟いた。


病室を出て行こうとする誠彦に、夕斗は声をかけた。

「ねえ、まさひこ」

「ん?」

「俺、生きたい」

その声と瞳はとてもか弱く、そしてとても力強かった。


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