第6話

9月14日 はれのちくもり


ベランダの柵に寄りかかりながら変わりない風景を見下ろしていたが、この前のいじめっ子たちはやって来なかった。きっとこの前の一件で懲りたのだろう。向こう側から彼が自転車に乗って走ってきて、こちらに向かって手を振ってきた。今日は少し色褪せた紺色のキャップを被っていた。

「はやく土手に来てよ!」

誠彦はまた近所を出かけるだけの軽い格好で、土手のベンチへと向かった。ベンチにはすでに夕斗が座っていた。となりに腰を掛けて、道すがら自販機で買ってきたオレンジジュースを差し出し、自分は缶コーヒーを開けた。

「ありがとう。俺もそっちが良かったな」

「コーヒーなんて飲めるのか?大人だなぁ」

「うん、でも飲んじゃいけないんだ」

「どうして?」

「お母さんにそう言われた。コーヒーは体に悪いからって」

「そっか。世の中体に悪いものだらけだぞ。大人になったら、好きなだけ有害を飲みこめばいい」

「早死にするよ」

「大人は吐き出せない代わりに飲み込むんだ、有害を。毒を持って毒を制すって事。意味わからないか」

「へー、大人って大変だね」

夕斗はオレンジジュースをストローに刺して、一口飲むとうまっと呟いた。

「この前は虹を見れた?」

「ううん。あの後太陽が雲に隠れちゃって、全く」

「そっか、残念だったな」

黙り込んだので、ふと夕斗の方へ視線を降ろすと、何か言いたげに唇を結んでいた。

「ねえ、秘密を知りたい?」

「なに、夕斗の秘密?」

「うん、そう……」

「夕斗が教えたいなら、知りたい」

夕斗は一旦誠彦の顔を見てから再び視線をさまよわせ、結んだり開いたりする唇から、呼吸と一緒に声を発した。

「俺ね、入院するんだ」

「え。どこか悪いのか?」

予想を反した言葉に、声が詰まりそうだった。

「俺さ、昔から体が弱くて入院を繰り返してたんだ。でも一度体が調子良くなって退院してしばらくは普通の学校生活を送っていいって。もちろん体育は出来なかったけど。でも最近また調子悪くなってきて、お母さんにまた入院しなさいって言われた。俺は卒業まで絶対入院したくないって言ったんだ」

「……そうだったのか」

「お母さんは俺の事心配してくれるってよく分かってる。俺もお母さんを心配させたくない。でも──」

段々と声は掠れていった。夕斗は俯いて、鼻を啜って続ける。

「怖くて。失敗したらどうしようっていつも考えてる。俺、死ぬのかな」

小さな体は震えながらも、必至でそれを堪えていた。夕斗はいつも見えない所で、踏んばって闘っていたのだ。その様子を見て、胸の内側が熱くなった。

「だから虹が見たかったんだ。虹を見たら手術が成功するんだって自分に言い聞かせてた」

いつも通りの笑顔を無理に作っていた。雨上がりの晴れた空模様によく似ている。誠彦は自分の存在がとても恥ずかしく思えた。自分よりも何年も年下の少年は、自分の命を紡ぐ為に頑張って前を向こうとしている。

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