第4話

 数週間が経った。穀物の代わりに宝石を積み、俺たちは地主の家から街に帰らんとしている。


「さぁ旦那、どれだけ欲しい? 世話になったし、俺としては全部渡してもいいんだが……」

『その前に、俺の頼みだろ? 街に寄るついでに、行きたい所がある。着いてきてくれ……』


 馬の嗎きが宵闇に響き、蹄鉄の音が街道に響く。慣れた道筋だ。郊外でさえ増えてきた鴉が宝石を狙うことはなく、俺たちの携帯する食糧を狙ってきた連中は用心棒が全て蹴り落とした。もうじき契約が終わることなど考えられないかのような、鮮やかな協力体制だった。


「で、どこに行けば……?」

『“塔”を目指してくれ。街で一番古く、一番高い場所だ。宮殿の近くにある……』

「あの監獄がある所か? なんでまた……」

『言っただろ、決着を付けるって』


    *    *    *


 塔に着いてしまえば、その異質さは肌で理解できた。そこにあるのは、この国の異常の坩堝だったのだ。

 空は黒翼が占拠し、太陽が遮られている。漆黒に染まる空は、ひとつひとつが鴉なのだ。

 群れを成している鴉の拠点なのか、塔の頂上には巨大な巣が築かれていた。その中心から聴こえる鳴き声は、地の底から響くように低い。よく目を凝らせば、普段見る個体とは比べものにならないほどの巨大な黒影が蠢いていた。


『“屍肉喰らい”だ。街の鴉の親玉だよ。かつてこの国の大火の中を生き抜き、飢饉の時代である今、人を襲うことで種族同士の垣根を壊した。化け物だ、奴は』


 幌の上に立つ用心棒は、提げていた剣を俺に投げ渡した。俺が面食らいながらそれを受け取れば、彼は頭上の空を指差して息を吐く。


『暗い所だと輝かないのだよ。それが一番綺麗なのは、光を浴びてこそだろ?』

「預かれ、と……?」

『仕事の依頼だ、運び屋。俺が集めた宝を全部、安全な所に運んでおいてくれ。分配は、その後だ』


 嫌な予感がした。これが明確な別れになりそうで、俺は反射的に首を横に振る。


「断る。俺には荷が重すぎるんだよ」

『誇りはどうした? 与えられた仕事は完遂するんだろ?』

「……もういいだろ。種の誇りなんてなくても、お前はお前だよ。いつもみたいに一緒に働いて、酒飲んで、明日の話すればいいじゃねぇかよ! 少なくとも、俺はお前とこれからもロクでもない街で生きる覚悟はできてんだよ!!」

『話が違うな、人間。これは契約だろ? ……俺を生かす為に、誇りを捨てるのか?』


 念押しするように呟く用心棒に、俺は何も言えなかった。インバネスコートを翻して階段を登る仕事仲間を黙って見送ることしか出来ず、静かに歯噛みする。


 背中を追うのは怖い。普通の鴉でさえ太刀打ちできない俺がその親玉と戦える訳がなく、巻き込まれて犬死にするのがオチだからだ。

 足が震える。受け取った剣の重みを感じ、俺は焦燥感に苛まれる。

 死にたくない。誇りよりも優先すべきは命で、これ以上踏み込むのは危険なのだ。だが、それでも、俺は屋上への階段を登る。登ってしまう。鴉頭の胡乱な用心棒を、本気で助けたいと思っている!


 腹を括らねばならない時がもう一度来たのだ。俺は内心でもう一度コインを積み、賭けに出ることを決心した。


 俺が息を切らして塔を登り切った時、用心棒は屋上の冷たい石畳に伏していた。全身の裂傷が痛々しく、自慢のコートはズタズタに破かれている。嫌な予感が的中し、俺は身震いをする。


「おい、大丈夫か……!?」

『……無敵の用心棒をもっと信頼してくれよ。なんで逃げなかった? お前がいても邪魔なだけなんだよ』


 わかっているのだが、やらねばならない時はある。それは、きっと今なのだ。


「旦那のためじゃない。俺の、誇りのためだ」


 俺は剣を抜いた。騎士が携えるようなサーベルだ。自信過剰で傲慢な鴉よりも、本来なら人間に適した武器である。

 対象は、目の前で蠢く猛禽。その瞳を血走らせ、黒い矢羽を宙に舞わせて警戒姿勢を崩さない、『屍肉喰らい』である!


 大鴉は矢羽を旋回させ、曲芸めいて飛ばす。それは空中で硬質化し、鋭利なナイフと化すのだ。

 俺は辛うじてサーベルを振り、飛来物を叩き切る。打ち漏らした矢羽が頬をかすめ、一筋の血が垂れた。

 踏み込む。斬り払う。撃ち抜かれる。斬り込む! 俺は一歩一歩歯を食いしばって進みながら、大鴉の猛攻を必死に押し留めていた。


 大鴉は吼える! 羽ばたくことで突風を巻き起こし、俺を転倒せしめるのだ。さらに、速度が乗った矢羽は俺の手からサーベルを振り落とす!

 思考が徐々に鈍化していく。疲労が見せる幻か、死を覚悟した者が見る夢想の境地か。俺は眼前に飛んでくる矢羽の速度が急激に遅くなっていくのを感じた。

 逃げなければ。それは真っ直ぐに俺の心臓を狙っているのに、身動きが取れないなんて。これでは、じわじわと嬲り殺しにされているようなものだ。恐怖を体感する時間が引き延ばされ、俺はゆっくりと告解めいた呟きを漏らす。


 最期に格好付けることはできただろうか。無謀な賭けは二度も成功するわけがなく、俺は誇りのために死ぬ。馬鹿な人生だった。選択肢に後悔はないが、きっと慣れないことをした罰なのだろう。このまま痛みを感じて、死んで、死んで、死んで——。


『違う、生きるのだよ。俺も、お前もな』


 中空を直線軌道で飛来するサーベルが、交錯するように矢羽を斬り裂く! そのまま速度を増す剣は、『屍肉喰らい』の巨大な翼に深々と突き刺さった!


 立ち上がった用心棒が、自らの足元に転がっていた剣を蹴ったのだ。吹き出す血に染まる刃を眺めながら、鴉頭は挑発的に鳴く。


『それは餞別だ。地獄に落ちな、化け物鴉!』


 彼は塔の縁に寄りかかり、跳んだ。飛翔ではなく、跳躍だ。鉛の埋め込まれたブーツで蹴り落とすのは、敵の翼に突き刺さったサーベルの柄だ!

 砕き、貫き、刺し穿つ! 断末魔に似た咆哮を響かせ、巨大な猛禽は緩やかに地上へ落ちていく。

 上空の鴉たちは、突如不在となった王の座に向けて一斉に飛来する。新たな王をその場で決めるつもりなのか、お互いに嘴を打ち鳴らし、牽制しあっていた。闘争に負けた個体は大鴉と同じように地面に墜落し、黒く覆われた空は徐々にその姿を晒し始めていた。


『……見ろ、星だ。この国で一番高い塔でもまだ手の届かない、憎たらしい輝きだ!』


 ボロボロの身体で、用心棒は空に手を伸ばす。煙突が吐く黒煙は全て塔の下の世界で完結していて、曇りのない空にはぽつぽつと星が点在していた。

 俺も同じように冷たい石畳に座り、流れる星を眺める。思い出したのは、自らの稼業についてだ。


 蒸気機関の発達により、近頃は上り坂を登ることのできるトロッコが開発された。荷馬車が不要になる日も近い。機関車とか云う巨大な鉄塊が街を走るのだ。

 積み貨を運んで、遠方へ届ける。そんな物が世に出回れば、まさしく廃業の危機だ。だが、それも仕方ないのだ。これこそが時代の変化であり、俺の誇りは何も揺らぐことはない。


 いつか人が飛べるようになり、星に手が届くようになる頃、鴉頭はどのように生きているだろうか。願わくば、彼が生きているうちに望みが叶うことを。


 俺は静かに祈り、怪我をした鴉頭の用心棒の肩を支える。剣の分、身体は軽いのかもしれない。

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怪鴉紳士インバネス・レイヴン @fox_0829

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