第3話

 市街地の黒霧を越えれば、石畳は畦道に変わる。空を覆う重い雲が切れていくのを見遣り、鴉頭の用心棒は幌の上で静かに息を吐く。


『星とは難儀なものだな。煌びやかなくせに、手に届かないとは』

「この辺りは空も綺麗だからな。星も近く見えるだろうが、手に取ったやつは居ないよ。俺たちにも翼があればな……」


 荷馬車に積んだ荷物に、傷はほとんど付いていない。用心棒の実力は本物で、鉄火場でも平然と貨物を守り切ったのだ。それも、腰に提げた剣を抜くことなく。

 郊外は鴉も少ない。このまま進めば、安全に仕事を終えることができそうだ。


「本当に凄いな、旦那! 剣を一回も抜かずに、蹴りだけで鴉を追い払うなんて……。その剣は、何のために提げてるんだ?」

『俺は鴉だからな。武器を使うのは誇りに反するんだ。だから、これは俺にとっての宝石や金貨だ。ほら、煌びやかだろう?』


 金属入りのブーツは武器なのではないか、という疑問を呑み込み、俺は曖昧に笑った。

 自らを鴉と名乗る男は、頻りに『誇り』を気にする。恐らく、それは人ならざる者の矜持なのだ。自らの種としてのプライドに根差した言葉なのかもしれない。


「アンタは、なんで鴉を狩ってるんだ? 同族を狩って人間の側に付いてるんだろ?」

『人の側に居るつもりなど無いのだがね。……俺は、許せないのだよ。生きるために略奪を繰り返す下郎共のことが。鴉は誇り高い生物だ。生きるために誇りを捨てるのは、人間の専売特許だからな』

「……耳が痛えよ。だが、それは誇りでメシが食える奴の理論だ。あいつらもきっと必死なんだろうさ」

『……人間のくせに、奴らの肩を持つのか?』

「いや。鴉どもが金持ちを襲ってくれりゃ、気分はスカッとするさ。棲み分けだって出来て、無理な衝突なんて起きない。全部、貧しさが悪いんだよ……」


 痩せた畑を通過し、俺たちは大地主の屋敷へ向かう。

 運んでいる中身は知らないが、時期を考えればこれは種なのだろう。これらは小作人に分配され、俺たちの食糧の原料になると聞いた。痩せた土地でどれだけ育つのかはわからないが、せめて少しでも俺たちの元に届くことを願いたい。


 馬車を止め、貨物を引き下ろす。用心棒は空いた荷馬車の空間に隠れ、息を潜めることにしたらしい。顧客に鴉としての姿を見られるわけにいかない、という彼なりの判断だろう。

 現れた使用人は、血色の悪い顔を静かに緩めた。貨物は待ち侘びた僥倖だったのだろう。


主人あるじがお喜びになります。こちら、報酬で……」

「地主様はご承知でしょうが、これは街から無傷で運んできた物です。国全体を悩ます鴉の跋扈する脅威から、文字通り命を賭けて。恐らく、これは私にしか出来ない所業でしょう。地主様への敬意と、与えられた任務を完遂する使命感が生み出した物です。ですので、わかりますね……?」

「……何を仰りたいのですか?」

「いえ、これからも是非私にご依頼頂けると嬉しい、という意味ですよ。何も、鴉が街にのみ現れるわけではないのですから……」


 使用人の表情が変わったのを確認し、俺は恭しく一礼をした。開け放した扉から見える高級な調度品を確認し、そそくさと荷馬車へ戻る。


「とりあえず、ひと仕事完了だ。今回は銅貨10枚だけだったが、次の仕事はもう少し吹っかける。あの家、相当溜め込んでるぞ?」

『銅貨か、今は要らんな。金貨や宝石は報酬に入りそうか?』

「今後の出方次第だな。俺が稼ぐまで、あの家は狙いに行くなよ?」

『……ずいぶん強かだな、人間!』


 用心棒と俺は、互いに笑った。例え希望的観測でも、報酬が増える見通しは嬉しいものだ。俺にとって未来に希望があるのは久しぶりの感覚で、それはきっと『誇り』に直結するようなことなのだろう。


「俺も誇りでメシが食えるようになるんだ……」

『次の仕事、行くぞ……!』

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