Ep.2 おばあちゃんの可愛い子供達
しかし、僕達は駆け込むこともしない。別に僕達にとって大したことではないから、だ。
知影探偵が酷い悲鳴を上げた理由も推測できている。
一〇五号室玄関のすぐそばにある、幾つかの虫かご。正確にはその中でじっとしているものと
僕は玄関の地べたに尻もちをついて、顔を真っ青にさせている知影探偵の前を通り、わざとその中にいる虫達を褒めてみせた。
「タランチュラとこのしましまのゴキブリ可愛いですね。じっとしてるタランチュラは寝てるんですかね……何か模様が黄色と黒のしましまが愛らしいなぁ。あっ、このゴキブリって何だっけ?」
横から部長が飛び出して、虫かごに入っているゴキブリのことを説明してくれた。
「ばっちゃんが言うには、こいつは、アルゼンチンモリゴキブリだそうだ。タランチュラの餌だ」
「へぇ……」
そんな僕達の会話に震えながら、疑問の声を飛ばす知影探偵。
「あ、アンタ達……よく、この蜘蛛とゴキブリを
タランチュラの真っ黒な見た目。ふさふさな体。八本足の
部長に呼び出され、ここに来たときは少々不気味さを感じてしまったが。慣れると、とても可愛らしい子達である。それを分からないとは残念だ。
そもそも、死体は見れる癖にどうして虫はダメなんだと僕は知影探偵に問い掛けた。
「血とかグロいのはいいのに、虫はダメなんだ」
「嫌よ。SNSでも流れてきたら、即ブロックしてるわ! これだけはもうダメなの!」
「訳が分からないな……それじゃ、虫関連の依頼があった時どうしてるの」
「拒否してるに決まってるでしょ! これで……この依頼が誰も引き受けない理由が分かったわ。虫関連の仕事なのよね!? 探偵よ!? 探偵と虫が何の関係があるのよ……!」
もう奥にも虫がいるのではないかと怯えて話にならない彼女は、部長の祖母の手招きにも答えない。プルプルと首を横に振って、動かない状態だ。
僕は厳しめに言う。
「いや、どんな理由があろうと人の玄関で、そのまま座り込むのはやめた方がいいともいますよ。依頼を受けて、その奥に行くか、断って帰るか位はした方が」
「馬鹿! 違うのよ! こ、腰が抜けて、た、立てないのよ! 別に帰りたくない訳じゃないんだからね!」
そんなことでツンデレ感を出されても困る。「アンタのことが好きな訳じゃないんだからね!」的な言葉で居座られても、困惑するだけだ。
見てごらん、今は優しいおばあちゃんだけど、そのうち阿修羅みたいな顔して暴れ始めるぞ、と言いたかったが、ここまで知影探偵を驚かせて、気絶させられても困るのでぐっと我慢する。
部長が奥まで運ぼうかと提案するが、知影探偵は立ち上がろうとする。「男の子に触られるのは、今はちょっと……じ、自分で動くわよ……あっ」と言って、そのまま靴箱に体を摺り寄せたところで動きを停止させた。どうやらまたタランチュラが目に入って、思考が止まったらしい。
触っちゃいけないものは動かせない。
「困ったわねぇ。今の子達は思ったより、足腰が弱いのかねぇ。もっと外で動かなくちゃ、ダメよ」
他人事のように言う部長のおばあちゃん。きっと、彼女は知影探偵が悲鳴を上げたり、気絶したりしてる原因にタランチュラがあるとは思ってもいないのだろう。
仕方がないので、僕が部長の祖母の元へ行く。
「……どうやら、あの人も腰を悪くしてしまったみたいなので、僕が代わりに伝えます」
「そうしてくれるとありがたいわぁ。見てよ、これ」
僕と部長は畳のお座敷に正座をしてちゃぶ台に向かう。出された熱く渋いお茶を飲みながら、ちゃぶ台の上に提示された手紙を覗き込む。
それはワープロで白い紙に黒い字で丁寧に印字されたものだった。
「大変なことになります。もう一度、警告します。大変なことになります。もしも、一〇一号室横にできたアシナガバチの巣を駆除するようなら、貴方を古くから呪いとして語り継がれてきた
何とも不思議な文章だった。
手に取らせてもらって確かめてみる。裏には「管理人へ」と言う宛名だけが書かれているだけ。当たり前だが、何処にも差出人の名前は書かれていない。
そもそもアシナガバチの巣を駆除しないよう、脅迫までしてくるなんて。酷く珍しい。
一応、その要求には答えれば何もされないようだけれど。僕は彼女の選択を聞いてみる。
「で、蜂は駆除したんですか?」
「ええ。住人が出かけてる間に市の人に来てもらって。だって危険でしょう。うちの子が襲われても危険だし、早く蜂を殺してくれとせがむ人もいたからね」
「うちの子って……タランチュラのことですか」
「ええ、タラちゃん!」
部長が僕の隣で「蜂の巣を壊したでーす! 蜂さん怖いでーす!」とどこぞの似てないタラの真似をしているが、それはさておき。
既に犯人の言うことを拒否してしまった。つまりは脅迫された通りのことが起こる、と。
部長の祖母の話を聞いていて、一つ知っておきたいことがあった。
「蜂を殺せって誰が言ってたんです?」
そう言うと、彼女はよっこいしょと立ち上がりそうになる。そこを部長が「ばっちゃん、書くから座ってて」と脅迫状の裏にポケットに入っていたペンを使って、アパートの図面を書き始める。
「大事な証拠に何を!? ちょっと、今ちょっと、部長っておばあちゃんに優しいんだなぁって見直してたのに、何やってんですか!?」
「どうせ、この脅迫状には何の手掛かりもねえよ。なっ、ばっちゃん。どうせ、これ、このアパートの人に見せ回ってきたんだろ?」
彼女は部長に言われた通り、うんと答える。そうか。指紋などが付いていたら、証拠になるが。今回はその手で解決しないらしい。
僕はこの状況を声に出して
「おばあちゃんなりに解こうとはしたんですか……で、その蜂を殺せと言ったのは」
「この左端。二〇一号室に住んでる
「そっか。アナフィラキシーショック……」
そこで終わらせようとしたところでちょいと無知そうな部長が口を
「二回以上刺されると、起こるかもしれないアレルギー反応です。絶対に死ぬとまでは言えませんが、だいぶ危険であることには変わりないですし……」
「そっか。そういうことなのか。鎌切って奴はばっちゃんが何とかしなきゃ、危なかったんだな」
「しかし、そのために蜂を……? ううん……となると、鎌切さんに恨みがある人が……」
「いや、脅迫する可能性がある奴は鎌切に恨みがある人以外にもいるんだ……」
「えっ?」
最初は冗談かと思ったが。部長が深刻な顔で言うのと、彼の祖母に「なぁ!」と確認を取っているところから見て、どうやら本当のことらしい。
脅迫者の可能性がある人とは、一体……!?
そんな時だった。玄関の扉がドカンドカンと勢いよくノックされたのは。
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