第12話 本探しと、誰かのいたずら
「どういう本だったかしら?」
ご婦人は、思い出そうとしています。ぶつぶつと、小さな声で、ああでもない、こうでもない、と。
うーん。やっぱり、変です。
私は、彼女の言う筆者の名前を聞き取れませんでした。
加えて、彼女は筆者の名前は知っていましたが、一度たりともタイトルを口にしていません。
そして、内容も知らないときました。本当に、彼女はその本を探しにきたのでしょうか。
「あの……お探しの本のタイトルは?そういえば、まだお聞きしていませんでした」
試しに聞いてみることにしました。返ってきた答えは私の予想通りでした。
「わからないのよ。うーん、出かける前はたしかに覚えていたはずなのだけれど……」
「ご自分の意思で、ここに来られたのですか?」
私は質問を続けます。
「ええ、そうよ。私、『―――』の本を読みたくなって、それでここに来たの。でも……」
「でも?」
「なんにも思い出せないの。タイトルも、内容も、どうして読みたくなったのかも思い出せないわ。それでも、書いた人の名前だけはわかるのよ。『―――』……」
相変わらず、その名前は聞き取れませんでした。しかし、このご婦人も何やら事情がある様子。
自分の意思で、ここに来たのではないような気がします。根拠ですか? いえ、具体的に言葉にはできないのですが。話を聞いていれば、どう考えても変でしょう? これ、普通の感覚だと思います(違いますか?)。
「でしたら、思い出せるまで見て回ってみるのはどうでしょうか。私の付添が必要ですが……」
私は、好奇心八割、親切心二割でそう申し出てみました。
この人がどういう理由でここに来たのか、知りたかったのです。
「……そうね。そうさせてもらうわ。私としても、自分が何を探していたのか知りたいですもの」
目的は一致しました。
さて、図書館の構造について、軽く書いておきましょう。
魔導書図書館とはいえ、蔵書全てが魔導書であるはずはありません。地下一階、地上三階の四層構造のこの建物には、古今東西問わずあらゆる書物が収蔵されています。
地下は禁書庫であり、一般人の立ち入りは認められていません。それどころか、職員ですら自由な出入りは禁じられています。私のような平職員では、閲覧は許可されることはほとんどないでしょう。
一階には、事務室、カウンター、相談室、閲覧室、実験塔への『門』があります。そして十万冊ほどの書籍。魔導書の割合は一割ほどで、教本のようなものがほとんどです。この階だけは、営業時間中に限り一般へ開放されるよう、魔術的な仕組みが整えられています。書架をすべて見るのに、この階だけで一日はかかるでしょうね。
二階からは職員のみが立ち入れます。魔導書のみが収蔵された書庫になっていて、ここの本がまた面白いんですよ。時々魔導書から漏れる魔力で、不思議な現象が起こることもあるんだとか。これは噂ですけどね。
で、とにかく、私はまずこのご婦人を、一階の魔導書スペースへと案内しました。
「ここに、一般向けの魔導書が安置されています。貸し出しは禁止されていますが、閲覧なら可能です」
「ありがとう。いくつか見てもいいのよね?」
ご婦人は、ここに来て少し不安げな顔を私に向けました。
「構いませんよ。ここの魔導書はどれも無害ですから」
「無害……それは……誰にとって無害なの?」
不思議な言い方でした。
「……?」
私は思わず首をかしげてしまいます。誰にとってって、それは自分に対してに決まっているでしょう。
「奥様自身に対して、ですよ」
「あら、そう。それはよかったわ」
ご婦人はうなずいて、本棚へ向かいました。さて、せっかくですし、私も探すのを手伝おうと……したところで、異変に気づきました。
「……汚れてる?」
そう。
本が、汚れているのです。
ホコリとか塵とかではなく、もっと液状のもので。背表紙だけ汚れているものもあれば、ページに液体が染み込んでいるものもありました。
水、でしょうか。
今さっき汚れた、という感じではありませんでした。数日、あるいは一週間以上は経っているかも。
「チェルシーったら……」
今週の点検の担当は彼女――私の後輩のチェルシーという女の子――でした。報告書にはこんなこと、書かれていませんでした。
異常があったら些細なことでも報告するよう普段から言ってあるのですが。困った子です。
とにかく、これはお師匠様と館長に言っておかないと。誰かのいたずらでしょうか? 魔導書、高いんですからこういうことはしないでほしいものです。
ああ、張り紙も出しておかないと……。
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