第二章 『―――』と愉快な誘拐犯

第11話 謎のご婦人……と『―――』の著作(誰のことかは分かりません)

 春。いい季節ですよね。この国で、私が一番好きな景色かもしれません。岩山の肌には植物が芽吹き、図書館の周辺の森では鳥や獣の声が聞こえてきます。ただ、寒い季節にはいなかった虫が増えてくるのは難点ですが(私は虫が大嫌いです!)。

 さて、時候の挨拶(?)はここらへんにしておいて。

 今日は、私が目の前にしている、こちらのお客さんについて少し書こうと思います。


「だからね、あなた。私は―――の著作を探しているの。ここは魔導書図書館なんでしょう!? これくらいはすぐ見つかるのではなくって?」


 年配のご婦人でした。少しふくよかで、上流階級らしくきちんとした身なりの、気品のある方です。ただ、何やら焦っているようで、私への態度は横柄でした。


「すみません、誰の、とおっしゃいました?」


 私は、本日二度目の問いを返しました。ええ、『―――』が誰なのか、私には聞き取れないのです。だから、―――なんて書いてるんですよ。文字にしようがありませんから。他の部分は明瞭に聞こえるのです。ご婦人の声は小さいというわけではなく、むしろうるさいくらいでした。滑舌もしっかりしていて、芝居がかったその話し方は、まるで弁士かなにかのよう。街頭演説していたら、つい聞き入ってしまうタイプの声なのです。だから、原因は声量や滑舌にはないと思います。


「『―――』よ。あなた、知らないの? 現代魔術理論の原点とも言われている、有名人のはずなのですけれど」


 すみません、私、聞き取れないものをわかるかどうか判断することなんてできないのです……(これは皮肉のつもりです)。

 聞き取れないのは、私に非があるのでしょうか。いえ、普通であればそう判断しますよ。でも、これはそういう類の話ではないと思うんです。

 だって、おかしいじゃないですか。他に話してる言葉はすべて聞き取れているのに、ある特定部分だけわからない、なんて。


「存じ上げない……というより、お名前が聞き取れないのです」


 私は、正直に白状しました。そうしないと、押し問答が続くだけです。最後には、私が面倒になってしまって、他の魔術師に丸投げすることになるでしょう。それは、仕事に対して無責任というもの。数多くあるカウンターで私の方に来てくださったこの方には、丁寧に対応しなくては。


「聞き取れない? どういうことかしら」

「言葉どおりの意味です。私には、奥様のおっしゃる方のお名前が聞き取れないのです。そうですね……喋っていたことが馬車の車輪の音でかき消されてしまうように、ピンポイントで、その部分だけ」

「……そう、それは困ったわね」


 ご婦人の表情は、困惑と、ある種の同情が入り混じったものでした。私の耳が病気だと思われているなら、それは心外ですが……聞き取れないと言われたら、まずそう思うのが当たり前の反応ですよね。


「いいわ、代わりの人を呼んでちょうだい。私、急いでるの」

「……そう、ですか。申し訳ありません。少々お待ち下さい」


 チェンジされてしまいました。なんだか情けない気持ちです。ただでさえ、ここにはお情けで置いてもらってると言うのに……。


「あのう……」


 カウンターから引っ込み、私は事務室に入りました。そこには、たくさんの(といっても、せいぜい十人程度ですが)同僚や先輩方が待機しているはずでした。


「ああ……そういえば、今日はいろいろ忙しい日なんでした……」

 そこには、ぽつんと一人だけ。私の後輩にあたる人物が、むにゃむにゃと昼寝をしていたのでした。

 今日は王宮で大規模なパレードがあるということで、お師匠様を含め、図書館の皆さんもそれに参加することになっていたのでした。え? パレードになんでそんな人手が必要なのかって? 王宮の方々をお守りするのに、物理と魔術、両方からサポートする必要があるからです。

 軍を司る軍令部と、魔術を司る図書館。この2つの勢力によって、この国の国防は万全なものになっているのだそう。

 まあつまり、おえらいさんの護衛というやつに駆り出されてしまっているのですよ。はあ、おかげで私の仕事は増えるばかり。お給料は増えないのに。


「こら、チェルシー!」


 腹いせ、いえ、先輩として、すやすや寝ている後輩を起こしておきました。


「あぃっ! ななななななんでしょうか!」


 元気なのはいいのですが、いかんせん彼女は仕事ができません。ドジっ子、というやつですね。魔術の才能はお師匠様いわく「ビッグ過ぎて言葉が出ない」ほどなのだそうですが、普段の様子を見ていると、そんなふうには見えません。


「寝ているくらいなら、書庫の点検をしてきてください。危ないことがあったら、応急処置だけして私に言ってくださいね」

「わかりました! いってきます!」


 彼女は勢いよく椅子を立ち、そのまま書架と反対方向へ駆け出していきました。……だめですね、こりゃ。

 憂鬱な気分になりながら、とぼとぼとカウンターに戻ります。ご婦人は、辛抱強く待っておられました。


「あら、戻ってきたの?」と、彼女は不満げです。そりゃそうですよね。

「申し訳ありません。今はちょっと立て込んでおりまして……どのような資料か教えていただければ、私が書庫で探してまいりますが」

「それなら最初からそう言ってほしかったわ。ええと、そうね……」


 ご婦人はしばらく考え込んだあと、


「……どういう本だったかしら?」


 と、つぶやいたのでした。

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