2nd Season

一章

第零話 夜、空き地にて(1)

「あん? 何だよ、牛乳切れてんじゃねーか。ったく、空けたの誰だよ、ちゃんと言えよな」


 冷蔵庫を覗き込みながら不機嫌さを滲ませてそう言ったのは、我が星名家の大黒柱を尻に敷く大家長、母親の永久とわだった。


 そのとき、おれは折悪しく夕食後のリビングでくつろいでいて姉の美夜も同じ空間にいたのだが、どちらも当たり前のように声の主に反応することはなかった。おれはテレビのバラエティ番組、美夜は少し伸びてきたおれの髪で遊んでいてうんともすんとも応えることはなく、永久のほうを一瞥いちべつすらしなかった。

 実際おれに心当たりはなかったし、美夜であれば素直に申し出て謝る。であれば犯人は、現在絶賛入浴中の大黒柱だろう。正直、大黒柱の土下座なんて物心ついてから週イチで見てきたから、もう見飽きてんだよなー。


 星名家は基本的にというスタイルで常に牛乳を切らさないようにしているのだが、たまに注意を怠って今回のようになってしまうことがある。

 それに気付くのが昼間だというならまだしも、夕食も過ぎたほどの夜更け時となると少々問題だった。最寄りのスーパーもそろそろ閉まる頃合いだ。


「ったく、今から牛乳買うためだけに外出なきゃいけねーのかよ。めんどくせーなー、チラッ。あーあー、誰か代わりに買って来てくんねーかなー、チラッ。母親思いの息子とかが立ち上がってくんねーかなー、チラッ」


 冷蔵庫を閉めてネチネチと思わせぶりな愚痴を吐く永久の視線が後頭部に突き刺されているような気がして、おれは全力で素知らぬフリを装った。

 と、どこか芝居がかったような落胆の溜め息。


「はー、我が愛息子まなむすこの身長もここまでか。まったく残念でしょーがねーぜ。愛する息子の成長をこれ以上見ることができねーなんてな」


 おまえ普段からおれにこれ以上成長すんなっつってんじゃねーか。都合のいいときだけ成長を望みやがって。大体、牛乳を飲めば身長が伸びるなんつー都市伝説はとっくに切り捨ててんだよ。


「チッ」


 おれが無反応を貫いているからだろう、この上なくこれ見よがしな舌打ちが聞こえてきた。なおもネチネチと子供のような駄々が聞こえてくる……さて、どうしたもんかね。

 おれとしてはパンのほうが手軽だというだけで、別にそれ以外でもいーんだけどな。


「お母さん、たまには朝は和食でもいいと思う」


 ついに母親の相手を買って出たのは、おれの髪で遊んでいた星名家の長女だった。しかし家長の意思は堅い。


「やーだー。パンがいーのー。あたしは朝はジャムパンに牛乳じゃないとヤなのー」


 いやマジで子供かっ。


「ったく、今日日きょうび五歳の子供でも商店街まではじめてのおつかいに行けるっつーのに、ウチの息子ときたらちょっとそこのコンビニまで牛乳一つ買いに行くことも出来ねーのか。かーっ、ママは恥ずかしいったらねーぜ」

「よーし行ったろーじゃねーか。おれが五歳児の子供とは一線を画す立派な高校男児だってトコを見せてやるよ」

「ミコトは煽り耐性を身に付けるべき」


 母親にあるまじき息子への挑発に対して秒で乗ったおれに、美夜は呆れたように額に手を当てた。

 しかし判断は早く、おもむろに立ち上がって庭に面した窓を開けると、やや身を乗り出して宙を掻くようにその手をさまよわせる。そんな奇行も数秒ほどで切り上げると、おれにすれ違い様言った。


「外は適温。でも長く居ると冷えるかもしれない。着るものを持ってくる」


 ゴールデンウィーク前半の夜更け。日中はだんだんと夏に向けて年間最高気温が上昇を始めている。一定を越える暑さも寒さも身体に障るおれとしてはそろそろ気を遣い始める必要があるのだが、夜の外気はまだまだ薄ら涼しく、昼とは真逆の気の遣い方をしなければならない。

 夏でも冬でもないこの時期はそれが面倒でしょうがなかった。

 

「まさかとは思うけど、同行するつもりじゃねーだろーな」

「同行する。ミコトと夜のおさんぽ」

「散歩じゃねーっつーの」


 崇高な使命を帯びて夜闇の只中ただなかへとこの身を投げ出すのだ。たとえこんな時間にでも一人で買い物くらい行けるということを証明するために。……えーと、何を買いに行くんだっけ? まぁいーや。適当に何か買ってこよう。

 ともかくそんな使命のためには同行者などあってはならないのだが、美夜が上着を取りに二階へと上がった隙に出てしまおうと思ったのも一瞬、財布がないことに気付く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る