第零話 夜、空き地にて(2)

 そうこうしている内に美夜が自室から自分とおれの分の上着を持って降りて来る。薄手のパーカーだった。美夜はまるで夫の出勤を見送る甲斐甲斐しい主婦よろしく、おれが袖を通しやすいようにこちらに広げて構えたが、おれはそれを引ったくって自分で肩に通した。

 

「財布は?」


 スマホでもいーけど。

 訊ねると、自分のスマホを出して見せてきたので、もう完全に同行させるしかなくなってしまった。……いや、これもう美夜がメインでおれが同行者になってね? むしろおれ要らなくね?

 とはいえ、美夜のほうがもう二人で行く気満々だったので、仕方なく二人で家を出た。

 当然のように手を握ってきた姉に一瞬だけ辟易へきえきとしたものの、既になかなか遅い時間だ。ここは眠らない街、東京というわけでもない。この都会とも田舎ともつかない半端な発展具合の小さな町では、こんな時間になるとめっきり人が減る。明かりも減る。

 つまり、誰かに見られる心配など限りなく低いわけだ。

 なら別にいいかと、おれは無言でシェイクハンドを許可した。


 最寄りのコンビニに到着すると、真っ先に雑誌コーナーに足を向けて何か面白そうな雑誌は出ていないかと視線を滑らせる。が、特にめぼしいものはなさそうだったので、はて何を買いに来たんだったかと美夜に確認しようとしたら、既に牛乳ブツを持って会計をしているところだった。そうそう、牛乳、牛乳を買いに来たんだった。もちろん忘れてなかったよ? いやマジマジ。

 そうやって無事に崇高な使命を果たした帰路のことだった。


 道中にこじんまりとした空き地がある。

 バスケットゴールとサッカーゴールが一つだけ設えられていて、ボールが敷地外に出ないようにそれなりの高さのフェンスと申し訳程度の夜間照明があるだけの狭い空間なのだが、そんな中で一人、不十分な照明の下でバスケに興じている小柄な人影があった。コンビニに向かう途中には見られなかった光景なので、おれたちがここを通りすぎた後に始めたか、あるいはどこかの薄暗がりで休憩でもしていたか。

 おれは思わず足を止めて、そのプレーを何とはなしに鑑賞する。


 当然のように手を繋いでいた美夜も遅れて止まり、二人揃って空き地の中に視線を向けた。

 光源に乏しいせいでその姿の細部までが見えるわけじゃあなかったけど、髪が短くて背の低い、おれが好感の持てそうな中学生くらいの体格に見えた。おれたちのいる場所からでは照明の当たる角度が悪く、ほとんど逆光になっていて性別の判断はつかない。少年のようにも少女のようにも見えるシルエット。

 この辺りはたまに近くの道路を通り過ぎる車の走行音を除けば、至って静けさの広がる一帯だ。ゆえに地面にボールを突く音やリングがボールを弾く音、そしてそこに混じって荒くなった呼吸までもがくっきりと切り取られたように聞こえてくるのだが、その息遣いからも性別はわからない。

 そんな少年ないし少女のプレーは、お世辞にも上手いとは言えなかった。プレーと呼ぶのもはばかられるような、拙いボール捌き。

 そもそもゴールが一つしかないし、一人だし、そんな中で出来ることは限られるのだが、がむしゃらにシュートを打ったり時々ドリブルをしたりしているその様は、どこかぎこちない。

 まだ部活に入りたての、中学一年生といったところ……っていうのとも何か、違うんだよなー。

 確実にぎこちなくてつたないフォームとボールさばきなのだが、しかし自然と素人感はない。バスケに限らずスポーツ全般の番組の視聴を趣味とするおれの私見からすると、なんと言うか、慣れている感じがする。


「ミコト」


 くいっと手を引かれて我に返る。

 おれの手を握る相手の顔を見遣ると、感情の読み取れない無味乾燥とした顔がそこにある。


「ああいうのを見ると自分もやりたくなるのはミコトの悪い癖。早く家に帰る」

「別にそんなんじゃねーよ」


 そう反論するが、特段ここに根を張る理由もないので、おれは手を引かれるままに帰宅を再開した。

 最後に一瞬だけ、空き地の中を振り返って。

 ま、そもそもの運動神経が良かったりしたら経験値が少なくてもあんな感じになる、かもな。

 ゴールデンウィーク中、この不思議なプレーヤーを思い出すことは二度となかった。

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