第二二話 母親という生き物(6)
この期に及んで
いつもと違って突っ込まずにいるおれを見かねてか、やがて永久はガリガリと後頭部を掻きながら息を吐く。
その顔にあるのは困ったような微苦笑。
「ったく、いつになくシケたツラしやがって。あたしはおまえをそんなふうに育てた覚えはねーぞ」
「……だろーな」
いつも通りにおまえがボケ倒しておれが突っ込んで、そんな緩くて何気ない日常をおれが享受していられるよう、骨身を砕いてきたんだろーから。
「一体なにがあった?」
「別に、最近になってふと気付いただけだ」
「何に気付いた気になってるのか知らねーがそれは勘違いだ。とっとと忘れろ」
エレベーターが昇ってくるのが妙に遅く感じられる。
階数表示がようやく二階になったのを見上げながら、おれはなけなしの虚勢を振り絞る。
「んなわけねーだろ。おれみてーな普通とは違うコンディションのヤツを子供に持つことになっちまって、勘違いなわけがねーんだよ」
チッ、と、隣からは舌打ちが漏れ聞こえてきて、一瞬、おれの胸中に躊躇が生まれた。
が、おれは全力でそれを脇に追いやって追撃する。
「おれみてーなのを子供に持っちまって、嫌気が差したりしたことくらいあるだろ?」
「ねーな」
「……でも他の家じゃする必要のねー苦労を
「ねーなぁ」
これだけおれがご託を並べても、永久は緩く、それでいて余裕さえ感じられる語調できっぱりと否定した。
そうやっておまえは、いつもいつも本当に……おれが罪悪感に苛まれることがないように気を張って――。
でもな、おれももう中三なんだよ。あんまりおれを甘やかすなっつーの。あと見くびんな。
「おれみてーなのが相手だからって、無駄に無理する必要なんかねーんだ。もう子供じゃねーんだし、もっと現実を見せてくれたっていーんだぞ。十分耐えられる」
おれみてーなのの母親になっちまって、面倒なときも手が回らないときも、気が沈むときだってあるだろう。
自分の時間だって途方もなく削ってきたはずだ。
だからせめて。
「おまえはもっと普通に、肩の力を抜いたっていーんだ。無理しないでめんどくせーってときはめんどくせーって顔して、辛いときは辛いって顔して、もっと自然に……」
「ぶっ!」
と、永久は唐突に吹き出した。
せっかくの配慮もそれによって遮られ、怒りと困惑がない交ぜになったような不可思議な感情が胸中に広がる。
そんなおれには委細構うこともせず、ぴしゃりと言う永久。
「ったく、マジで要らんことに気付きやがって。……あーもう、めんどくせーなぁ」
「…………」
まるで心臓を鷲掴みにされたかのような不安感――それは、やっぱり、おれのことを……。
しかし、永久はその面差しを伏せ、あたかも愛しい記憶を掘り起こしかのように目を閉じて告白した。
「確かに他所の家庭と違いを感じることはあった。おまえの言った通り、確かに金も時間も他所よりは掛かるからな。でもあたしが抱いたのは嫌気じゃねー。優越感だ。ウチの子はこんなにすげーんだぞって」
「おれの……どこがすげーんだよ。意味わかんねーし」
どこか恐怖感さえ伴うような戸惑いが胸中に生まれる。
「どこがって、そりゃハンデを抱えてるとこだろ」
「それの、どこが、すげーんだよ……」
永久の振りかざす持論に理解不能なおれは首を傾げるしかない。
こんなのは色々と制限がついて鬱陶しいだけだし、健常者との差異を突き付けられる邪魔物でしかない。
そうやって戸惑うおれに、永久は一片の躊躇もなく、淀みなく言い切った。
「ハンデをつけるっていうのは、圧倒的強者がすることだろーが」
「!」
目から鱗でも落ちたような気分になって、おれは口は反射的に返す言葉を
そう――それはハンデという言葉の用途として。
おれはこういった自分がこういった身の上だから、ただ欠点という意味を持つ使い方のほうに馴染みが深かった。
しかしおそらく一般的には、優劣のある関係で優れた側が劣る側との差異を埋めるものとして用いることのほうが多いんじゃないだろうか。
「あれだな、悟空がすげー重量のアンクルつけて戦ってるよーなもんだな。ま、おまえのその枷は外れることがないわけだが」
「
ハンデというワードにそういった解釈もあったという事実を失念していておれは思わず閉口していたが、しかしそんな親しみやすい喩えを持ち出されたことで冷静になる。
「いや、そんなのは詭弁だろ。やれるスペックがあるけどやらないのと、やりてくてもスペック的に出来ないのとじゃ、わけが違う。おれはどう贔屓目に見積もっても後者だ」
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