第二二話 母親という生き物(5)
……はぁ。
思わず溜め息も漏れる。
頭の位置をおれより低くするほどに腹を抱え、息子をネタにしてまで
こいつこれ本当に演技なのかな…………。いや、たぶん両方だな。趣味と実益を兼ねるっていうヤツか。
あるいは演じている内に本当に楽しくなってきてしまった可能性もある。
昨日のことを思い出す。
『ちゃんとサポートしていくからね』
茅野母は娘に向けて気遣わしげにそう言った。
しかし思い返してみれば、永久はおれに対してそういった言葉を放ったことはなかった。
もう疑う余地なんて欠片もなく、茅野の母親とこいつには雲泥の差が存在する。
けれど、それは別にこいつが身体の弱い息子を
むしろその逆。
こんなやり取りを繰り広げつつも、この掴み所のない母親の胸中には並々ならぬ気遣いが込められていることを、おれはつい昨日悟った。
昨日の夕方。
茅野のところに母親とあの幼馴染み君が見舞いに来ていたのをこっそり覗き見したとき。
あの二人は重い病を背負っていくことになった茅野に対して、重箱の隅をつつくような細心の気遣いを向けていた。あるいはそれは特段間違ってはいないのだろう。茅野に自身の立場を自覚させるという意味では。
しかしそれは同時に、自分がこれからどれだけの人間にどれほどの迷惑や面倒を掛けていくことになるのかという事実を突き付ける行為に他ならない。
そりゃあ茅野もあんな態度を取りたくなるだろう。そんな周囲に、それ以上に自分に、嫌気が刺すのも無理はない。
常人以上に
自己嫌悪。
自己肯定感の低下。
いや、おれも永久や美夜から受ける扱いに対してあんな態度を取ることはままあるが、あの二人の場合、病人扱いというより子供扱いだからな。あるいはペット扱いといったところか。
だからこれまでおれは、身近なこいつらに対して面倒を掛けているという引け目や後ろめたさを抱くことがなかったわけだ。
そういったものを覚えかねないような気遣いの言葉は一切口にすることなく、態度に見せることもなく、ただ当たり前のようにおれのサポートを――。
無言実行。
おれがそういう罪悪感に苛まれずに済むよう、永久はそのぶっ飛んだ明るさとふざけた態度、掴み所のない飄々とした振る舞いでそういう材料をすべてぶっ潰してきたわけだ。
そしてそういった母親のこれまでの振る舞いを思い返したときに、競馬に行くとかほざいていたあの戯れ言にも疑念を抱いたのだった。
意表をついたり突拍子のない行動に出たりして、おれを驚かせたり困らせたりすんのを至上の喜びにしてるよーなヤツだからな。
良く言えばサプライズ、悪く言えば嫌がらせ。
競馬に行くとかいう言葉をおれに信じ込ませ、何の予告もなしに迎えに来るんじゃないかと思っていた。
そこに悪意は……たぶんほとんどないだろう。ないと思いたい。あるのはおそらく、身体の弱い息子に対する繊細な気遣いと、僅かな稚気といったところか。
「…………」
けれど、それはまだ憶測の域を出ない話。
もしかしたらおれが都合の良いように解釈しているだけかもしれない。
でもきっと、たぶん違う。
おれはそれを、ここで明るみに晒す。
恐れに
腹を抱えて笑っている……ように見える母親に。
「なぁ……疲れないか? 別にいーんだぞ、無理してアホみたいに振る舞わなくても」
ピタリと、永久の笑いが止まった。
一階へと向かうエレベーター前。
ボタンを押して呼び出したはいいものの、階数表示は一階になっている。
「おいおい、アホとはなんだアホとは。失礼な。あと〝無理して〟ってなんだよ。まるであたしが意図的にアホやってるみてーじゃねーか」
これ見よがしな笑いは引っ込めたものの、その顔には今だに薄い笑みが張り付いている。
……苦労してないわけがないんだ。
こんなハンデのある家族を抱えることになっちまって。
そりゃ、おれが抱える疾患の特性上、今はもう、昔ほどは手が掛からなくなったかもしれない。
でもこいつはその時から何も変わらない。
おれが物心ついた頃からずっとこんな調子だ。
家でも外でも、おれが引け目や罪悪感なんて抱く隙もないくらいに。
尚もシラを切ろうとする母親のレスポンスは脇に追いやって、おれの口は追及の疑問を返す。
「おまえは自分の息子の心臓に難があるって知ったとき、どんな気分だった?」
「ソッコーで息子の弱味を握った気分だったな。その場で思わず飛び上がりそーになったぜ♪」
「…………」
……息子の弱味を握ってどーするつもりなんだこいつは……。
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