第十七話 退院に向けて

『つーわけで美夜が迎えに行くから、おまえはそれまで大人しくしてろよ?』


 明日の退院について、おれはロビーの通話可能エリアで母親の永久とわと携帯で段取りを打ち合わせていた。

 永久の念押しに唸るように一瞬黙した後、おれは代替案を持ち出した。


「母さんよ、父さんに迎えに来させるのは無理かね?」

『いや、おまえの退院、昼前だろ? 冬夜とうやきゅんは仕事だよ』

「そーか、そーだよな」


 明日は土曜日だ。毎週ってわけじゃないが、親父は月に一回くらい土曜出勤の日があって、運悪く明日がそれにあたる。

 美夜に迎えに来られるのとか、マジ嫌なんだけどな……。


『つーか、どの道、美夜のヤツにおまえの退院より優先される用事でもできねー限り、あいつは行くと思うぞ』

「……デスヨネー」


 おれの代案だと、迎えに来るヤツが一人増えるだけだ。


「じゃあおまえは? おまえが行くから美夜には来ないよーに言い聞かせることはできねーか?」

『わり♪ 明日は競馬行かなきゃなんねーんだわ♪』

「息子の退院より優先される用事かそれは!?」


 電話の向こうでテヘペロでもしていそうな情景が容易に想起され、おれは勢い込んで突っ込んだ。

 つーか初めて聞いたぞ。自分の母親にそんな趣味があるなんて!


「じゃあもう家出る前にあいつを縛って拘束しといてくんねーかな! おれ一人で帰るから!」


 あまり栄えた町ではないとはいえ、さすがに病院の前までバスは通っている。惜しむらくは本数が少ないことと自宅の目の前に通じていないことだが、最寄りのバス停で降りて徒歩十分も掛からない。

 宿泊のための荷物も敷き詰めればリュック一つ分に収まるし、おれももう中三だ。

 迎えの必要性は微塵も感じられない。

 身体にも支障はないだろう。


『あたしはそれでもいーけどよ、後で美夜のヤツがうるせーんじゃねーのか?』

「こっちで小うるさくされるよりマシだよ」


 あまりに入院経験が豊富過ぎるせいで周りもみんな慣れたもので、もはや退院おめでとうと見送ってくれる人間なんてほとんどいないが(行ってらっしゃいと言う人間はいる)、タイミングが悪ければあいつは病室まで来るだろう。

 ちょくちょく見舞いに来ていたので今さら感もあるが、出来るだけ病室の人間におれと美夜の絡みを見られたくない。退院時には退院時の絡みがあるんだから。


『んー、わかった。じゃあテキトーにだまくらかして縛り付けとくわ。気を付けて帰って来いよ』

「あいよ」

『……それはそーとちょっと小耳に挟んだんだが』


 と、要件は終わったはずなのに携帯の向こうからは余談に繋がる気配が伝わってきた。

 おれはどことなく嫌な予感を抱きながらも先を促す。


「なんだよ」

『おまえ、なんかどこの馬の骨とも知れねー入院患者の女の子と付き合い始めたんだって?』


 嫌な予感の的中割合は半々といったところだった。

 別に応答するのに嫌なわけではないがあまり気が進むわけでもない。

 それに、その訊き方に違和感があるのも確かだった。

 

「いや、まぁ間違っちゃいねーけど、聞いたのってそ」

『間違ってねーのかよ! かーっ! つい最近アソコに毛が生えたばっかのくせに一丁前いっちょまえに色気付きやがって。ママは複雑だぜ』

「…………」


 聞いたのってそれだけ? と問い返そうとしたのに、永久はおれが言い終わる前にそれを食いやがった。

 まぁその反応で知りたいことは知ることができたので良しとする。

 ……こいつ、肝心要かんじんかなめの偽装交際って部分までは聞いてねーな? 本交際だと思ってやがる。

 ちょっと面倒だが、ちゃんと説明しておく必要はあるだろう。


「まぁ聞けよ。実はな」

『美夜のヤツが不貞腐ふてくされてたぞ。ミコトに彼女ができた、どうやって別れさせるか一緒に考えてほしいって』

「…………」


 どうあってもおれの母親に聞く耳はないようだった。

 そしておれは二の句を継ぐことができずに閉口する。

 いやだって美夜あいつは事情知ってるよな!?

 ちゃんと説明したよなおれ!?

 それどころか偽装交際が始まるきっかけになったその現場にいたよな!?

 なんで肝心の実情を伝えてねーんだ!?

 伝言ゲームってのは最初と最後でそれなりに間違って伝わるものだけど、それにしたって間違うのが早過ぎんだろ!? 永久に伝わるまで中継一つだぞ!?


「……いや、あのな、それには色々と事情が」

『ったく、冬夜きゅんにどーやって伝えたもんか悩んでるところだぜあたしは。毛が生えたばかりのミコトきゅんが異性交遊なんて始めたって知ったら、あいつはどう思』

「いーから聞けよ! あと毛にこだわんなよ!」


 それに今時、小学生の時分から付き合い始めるヤツらもいるんだぞ!

 どこの誰とは言わねーけど!


『いっそ伝える前に美夜に協力して別れさせよーかとあたしも画策してるところだぜ。あたしとしちゃー、おまえはマキナちゃんと結婚するもんだとばかり思ってたからな』

「またなんか飛躍したな! どっから出たその話!?」

『だってもう同衾どうきんしてんだろ?』


 なんで自分に都合のいいトコしか拾わねーんだその耳はよ!


「間違ってるよーで間違ってねー! でも確実におまえが思ってるよーなのじゃねー!」

『いやその年で一緒に寝てるってだけで十分だよ。責任取んなきゃな? おとこならよ?』


 その後、茅野との交際に関する事情とマキナとの将来について永久を納得させるのに小一時間掛かり、通話を切る頃にはおれは疲労困憊となっていた。

 それだけ時間かけて結局全部事情を知っててからかってただけだっていうんだから、なんかもうホントいやだこの母親……。


 ちなみに美夜は本当に別れさせる手段を考えているようだった。

 どの道、明日にはそーなるんだけど、この分だとあの交換条件は破談にしても良さそーだな。

 良かった良かった。兄弟姉妹と一緒に寝るのが許されるのって小学校低学年までだよな、やっぱりさ。

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