第三話 執筆少女(4)

 茅野はおれの予想を寸分違うことなく、その名前を口にした。


「あんた、マキナと知り合いなのか?」

「ううん?」

「じゃあ何で知ってんだ……」

「ミコトクンと並んでこの病院の有名人じゃない。ミコトクンとマキナちゃん、この病院の二大巨塔」

「何が巨塔だ……。おれもあいつもそんな身長高くねーし」

「あははは。身長の話じゃなくて存在感の話かな。色々耳に入ってくるよ? この病院きっての問題児だっていう噂もあれば、二人がいなかったらこの病院は今ごろ潰れてたなんていう看護師さんもいる。看護師間でも患者間でも一番噂されてる二人。もちろん付き合ってるなんて話もある」

「……別にあいつとはそんな関係じゃねーよ」

「同じベッドで寝てるって聞いたけど」


 誰だ言いふらしたヤツは。

 ……いや別にまったく隠せてるわけじゃないから人の口を伝播するのは当然の成り行きなんだろーけど。

 おれは額に手を当てて嘆息した。

 マキナというのは、今回の入院でおれが知り合った同い年の異性だ。

 結構大きな交通事故に遭って入院する運びになったらしく、おれが入院することになった何日か前からここにいるらしい。

 なかなかに苛烈で奇天烈なヤツで、まさに問題児と称するに相応しい女だ。

 ……まぁそれも、入院のきっかけとなった交通事故とやらが原因なのかもしれないが。

 聞いてる限りでは、自棄やけを起こすのにも納得してしまうような事故だったみてーだしな。

 ……その後の成り行きも含めて。


「たまにあいつが勝手に潜り込んでくるんだよ……」

「うわぁ、仲良い~」


 こいつがどこまであいつのキャラクターを知っているのか定かではないが、茅野は他人事のようにはやし立てる。


「おれがあいつに振り回されてるだけだし、入院してる間だけの一過性の繋がりだよ」

「つまりワンナイトラヴってことね」

「中学生になんて言葉使ってんだ!」


 こいつ、ラヴってワードが付けば何でもいーのか!?

 モラルって大事だと思うぞ!


「つーか間違ってもあいつを前にして不幸だとか言うなよ。たぶんブチギレるから。『ワタシの幸不幸こうふこうをオマエが決めるな。ワタシは幸せだ』とかいってな。下手したらそのパソコン壊されるぞ」

「え、そんなにぶっ飛んでるの……?」

「やっぱりまだ認識が甘かったみてーだな。あいつに関してはあんたが今想定してる五倍はデリケートでデンジャラスだと思った方がいい」


 それくらい警戒してし過ぎるということはないだろう。

 そういう気持ちから向けた忠告だというのに、当の茅野はノートPCに目を向けながら唸った。


「うーん、だったらこの話のモデルには使えなさそうだなぁ」

「……あんたもたくましーな……」


 確かに、あいつみたいなヤツをフィクション作品に登場させるなら、それはもうサイコサスペンスかスリラーだ。しかもそういった本性を隠そうともしない人格破綻者でもある。故にミステリーにもなり得ず、十三日の金曜日のような殺人鬼ホラーになってしまうオチが容易に想像できる。

 ……ここから退院させる前に一度どこかの更正施設に入れた方が良いと思うんだけどな、おれは。

 と、何かに気づいて視線を明後日の方向に向けた茅野にならうと、両手で化粧ポーチを提げて近付いてくる一人の看護師の姿があった。

 思ったよりも早かったような、遅かったような。


「お待たせ致しました、ミコト様」

「いや、全然いーよ」


 現れて早々、うやうやしく一礼した桜崎は、おれの隣にいる少女と会釈を交わした後に問いかけてきた。


「密会、でございますか? ミコト様」


 ほとんど人の寄らない穴場的スペース。

 院内の静かな喧騒からはにわかに距離が置かれ、日常の流れから解き放たれた一時ひとときを過ごすことのできる秘密の場所。

 そこで話し込む一組の男女――。


「いや、どーいう意味でその言葉を使ってんのか知らねーけど、おまえが思ってるのとは違うからな、絶対」

「これは失礼致しました。しかしミコト様がどういった心積もりであるにせよ、このことが万が一にでもマキナ様の耳に入るようであれば我々は医療に従事するどころではなくなってしまう可能性がございます。何かしらの対策が必要かと愚行いたしますが……」 


 医療に従事する気概というものをまだこの看護師が持ち合わせていたことに軽く眼をきかけたが、それはさて置いてもその可能性を即座に否定できないのが恐ろしいところだった。

 何せ院内の一部とはいえ、あいつの取り乱した行動で一時的にでも、そして少なからず医療体制が崩れた前例が実際にある。

 あいつが問題児たる所以ゆえんがそこにはあった。

 ――が。


「え、対策とか要る?」


 おれはあいつの普段の素行をかんがみつつ桜崎の忠告を脳内で反芻はんすうしてみるが、ちょっと何言ってるかわからない。

 おれが茅野と話してるとあいつがキレるってことか? なぜ?

 そんな疑問顔を隠せずにいると、桜崎が小さく嘆息した。

 次いで、茅野はこれ見よがしに溜め息をいた。


「ミコト様、もう少し女心というものにご配慮くださいませ」

「ミコトクン、やっぱりキミは私のラヴノベルを読むべきだよ」


 いや、たぶんそのラヴノベルは恋愛シミュレーションゲームばりに参考になんねーよ。

 そしてさすがのおれもそこまで言われれば察しはつくというものだが、果たして傍若無人なあいつにそんな感情があるのか疑問なのも確かだった。

 ……対策ねぇ。


「ま、あいつの耳に入る前にこっちから明かしておけば問題ないだろ。……何かしら代価が必要になるかもしれねーけど」


 こういうのは下手に隠蔽しようとしたり黙ったままにしておくから一悶着ひともんちゃく起こるわけで、こちらから『何も後ろめたいことはないよ』とばかりに、さも雑談であるかのように機先を制して打ち明けてしまえば意外と何も責められたりはしないものだ。

 ……う~ん、やっぱりなんかおかしーよな。

 何でカップルの浮気疑惑みてーにおれが頭を悩ませなきゃいけねーんだ?

 あいつとは別に付き合ってるわけでもねーのに……。


「承知致しました。わたくしのほうでもそれとなくきを配っておきます。……ではミコト様、御首おくびの方を……」


 そこでようやくここでこの看護師と待ち合わせていた目的を果たすべくネックウォーマーをズラすと、そこに隠されていたものを覗き込んだ茅野が頬を紅潮させて声を上げた。


「え! ちょ、何それミコトクン! 何でそんなのつけてるの!? もしかしてホントにワンナイトラヴしてるの!? 意外と恋愛上級者なの!? 見た目は子供でも中身は大人なの!?」


 どこかの小学生探偵のようなコピーを間違った用法で持ち出してきた茅野に、はてさてここは中学生らしく頬を赤らめて否定するべきか、それとも見栄を張って背伸びしてみるべきかとおれは逡巡した。

 が、やっぱりどっちも無理だった。


「『見た目は子供』って余計だよな!」

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