第三話 執筆少女(3)
おれは眼前に突き付けられたノートPCに迂闊に手を伸ばすような真似はせず、とりあえず視線だけを画面に向けてみる。
さっきと違って一ページ目にスクロールされたと思われるそこには、「俺と付き合わない?」という台詞から書き出される冒頭があった。
「……それ何ていうラブコメ?」
「は? 何言ってんの? 純愛モノよ純愛モノ! ラヴノベル! この洗練された書き出しが理解できないの?」
少なくともおれには洗練されているとは思えなかった。
一応、二行目にも目を向けてみたが、感想は変わらなかった。
つーかラヴノベルってなんだ……。
恋愛小説をラヴノベルって言うヤツ初めて見たわ……。
ちゃんと発音がVになってるし。
「先に訊いときたいんだけど、それどんくらい書き進めてあるんだ? 文字数で」
「七万文字くらいかな」
よし。
それならイケる。
おれはスイッチを切り替えた。
「いやー、おれって読むのに時間掛かるタイプなんだよなー。それだけの分量をこの場で読み切るのはちょっと無理なんじゃねーかなー」
つまるところ、遅読であることを理由にこの場を乗り切ろうという魂胆だった。
ここでの滞在時間と、ことラヴノベルというジャンルであることを考えれば読みきれない可能性は十分にあり得るが、しかし実のところ、おれはそれほど読むのが遅いタイプでもない。
つまりは虚言。
そしてそれを悟らせまいと振る舞うおれの迫真の演技。
俳優の才能があるね。
これがもしもまだ一万文字とか二万文字だったりしたらこの手は使えなかっただろうが、七万文字ならイケる。振り切れる。
……姑息? 知るか、何とでも言え。
「そうか、ミコトクンは読むの遅いタイプか。……だったらこのパソコン貸したげるから、退院するまでに読んで感想聞かせて!」
食らいついてきた!?
この女、そんなに読者に飢えてたのか!?
こういう反応を示されることは想定済みだったものの、その熱量は軽く想定を越えていて、思わずたじろいでしまったことを責められるヤツはいないだろう。
しかし返ってきたのがそのカウンターであればまだこちらにも返す手はある。
「いや、おれがこのパソコン持ってったらあんたが書けなくなるんじゃねーの? まだ途中なんだろ?」
「あ、そっか」
きっと誰かに自作の小説を読んでもらうということがなかったからそこまで頭が回らなかったんだろう。
茅野は失念していたとばかりに頭を抱えたが、すぐに代案を繰り出してくる。
「じゃあミコトクンのスマホに送るよ。メアドでもLINEでもいいから交換しよ」
ふっ、勝った……。
悪手を打ったな茅野とやら。
おれは勝利の笑みが溢れるのを抑えきれず、思わず弾むような声で返した。
「あー、残念、おれまだガラケーなんだよなー。たぶんそれ無理なんじゃねーかなー。いやー残念、ホントマジで残念だ。あんたが書いたラヴノベル、ぜひ読みたかったのになー」
「…………」
さすがに芝居が過ぎたか、隣をちらと見遣るとひどく粘りけのある視線がおれに向けられていた。
だがおれが未だに折り畳みのガラケーに甘んじているのは事実だ。
正直に言えばおれがスマホに変えることに許可を下さない美夜を疎む気持ちが今までにはあったが、この時ばかりはあいつに感謝した。
おれは自分の折り畳みケータイをジャージのポケットから取り出して茅野の目の前に晒して見せる。
驚愕に見開かれた目が返ってきた。
「うわ、ホントだ……。おじいちゃんおばあちゃん以外にまだガラケー使ってる人いたんだ……」
「いや、おれはスマホにしたいんだよ? でも家族にそれを許可しないヤツがいてだな」
「じゃあノートPCとかiPadは? さすがに持ってきてるよね?」
今現在ここにないことは明白なので、これは入院するにあたって、という意味合いだろう。
意図は汲み取れたが、しかしおれの口からは否定の言葉が出る。
「いや、持ってきてねーな。別に必要ねーし」
「嘘でしょ……。キミ、私より長く入院してるって聞いてたけど、どうやって時間潰してるの……」
「だから読書と勉強だよ。あとは他にもまぁ、色々と退屈しないで済むんだよ。……この病院に限ってはな」
「むぅ、じゃあどうしよう。何か方法はないかな」
「そんなにおれにそのラヴノベルとやらを読ませたいのか……」
「ミコトクンこそ、そんなに読むの嫌なの? 私のラヴノベル」
バレバレじゃねーか、おれの本音。
色々と芝居を打ってきたのに、まったくその甲斐がなかった。
どーやらおれに俳優の才能はないらしい。
「ラブコメならいざ知らず恋愛モノなんて読んだことねーし、こーいう感情っていまいち理解できねーんだよなー」
「もう、ラヴノベルの一つも読んだことないなんて、誰かと恋愛することになった時どうするの?」
「いや、ラヴノベル読んだことなくても恋愛してるヤツはいくらでもいるだろ……」
ラヴノベルに対する信頼とリスペクトがすごい。
「だったらミコトクンは学校で好きな子とかいるの?」
と、茅野は頬杖をついて大人びた笑みと共に問いかけてきた。
……出たよ、コイバナ。
おれは自分の顔が渋面になっていることを自覚しながらも付き合ってやることにする。
「いねーな。そもそも友達もいねーし」
言葉にした途端、脳裏にそれをイジり倒してくる永久の顔が浮かんで、全力で掻き消した。
「一回も話したことがなくても、あの子カワイイなーっていう子とかいるでしょ」
「まぁいるっちゃいるけどよ。別に
「おぉ、今のポイント高いよ、ミコトクン」
「どれだけ顔立ちが整っていてもキャラが立ってなかったら意味がねー。いーか、キャラの濃さがすべてなんだよ」
「……うん?」
直前の評価とは一転、首を傾げた茅野の顔は不理解を示していたが、今のおれは止まれない。
「要するに奇抜さだ」
「……それを内面って言い換えていいのなら本当にポイント高いんだけど……」
「内面だろ。そこにどこにでもいる埋もれるよーな個性しかねーヤツは遠慮させてもらうね」
「うーん、つまり宇宙人とか未来人とか超能力者とか?」
「肩書きとかスペックの話じゃねー。人格とか性格の話だ」
おれがそこまで話すと、茅野は「ふぅん」と例の大人びた笑みをこちらに向けてくる。
そこからは関心を前面に押し出したような好奇の色が見て取れて、それを正面から受けたおれは我に返り、冷静になる。
少し熱くなっちまった。
「今何の話してんだ一体……」
思わず
隣からは苦笑混じりの質問が飛んできた。
「じゃあやっぱり、ミコトクンの好みは不幸系無口ヒロインなのかな?」
なんだその系統は。初めて聞いたぞ。
そう思うと同時に、おれの脳内は急速に冷え渡っていく。
茅野のセリフに含まれていた明らかに特定の個人を指したワードで、思い浮かぶ顔は一つ。
「……なんだよ、不幸系無口ヒロインって」
「あれ? マキナちゃんってミコトクンの想い人じゃないの?」
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