第四話 夜
もうすぐ日付が変わろうかという時間の病室は照明が落とされ、静寂に満ちている。
聞こえるのは時折同室の誰かが寝返りを打つ際の衣擦れの音と、他愛のない寝言だけ。……幸い、いびきのうるさい患者はここにはいないようだった。
もう幾度となく経たこの夜にも昔はむず痒いような緊張感に
身体ができてきて心臓のステータス異常に悩まされる機会も減り、大部屋になったせいかもしれない。
なんだかんだで人がいるというのは安心できてしまうものなのかもしれないと、おれは現金にもそう思っていた。
そんな中、おれの手元にあるのは、ガラスと金属で構成された憎き板状の物。
ガラスの面に指を滑らせながら、そこに表示された文字の羅列に渋面を向ける。
それは
ったく、桜崎のヤツ、余計なことしやがって……。
こんなものがどうしてここにあるのか。
その原因は今日のあのやり取りの後にあった。
『ところでミコト様、こんな場所で何の話をしておられたのですか?』
羞恥心も虚栄心も発揮することができず、だからといってキスマークの主を明かすこともできずに(母親に付けられたとか言えるか!)途方に暮れていると、おれの首元を
変えた先はおれにとってあまり好ましくないものだったが。
そしてそれは茅野にとっても同じことだったらしい。
同年代でなくともこの趣味を明かすことに一抹の躊躇を覚えるのは何ら不思議なことではない。
顔を伏せて
『ちなみにiPadで
『聞いてたんじゃねーか! つーかどっから聞いてたんだ!?』
こいつがこっちに近付いてきたタイミングには既に話題はマキナのことに移っていたはずだが。
果たして返って来たのは、答えになっているのかなっていないのかよくわからない妄言だった。
『看護師間の情報網を舐められては困ります。すべてはミコト様のお役に立てるためにあるのですよ』
おれはそんな大層な人間ではないのでそんなはずはないし、どんな情報網を持っていたところで盗聴器でも仕掛けていない限りは腑に落ちないんだよなぁ。
あまりにもタイミングが良過ぎる。
茅野は思わぬ朗報に真夏の太陽もかくやという程に顔を輝かせていた。
おれは最後の悪足掻きとばかりに、
『恋愛モノ読んだことのねーヤツに恋愛モノ読ませてもまともな感想なんて返って来ねーぞ』
と憮然とそう言ってみたのだが、返ってきたのは
『別にそれでもいいの。どんな感想でもいいから貰えれば。あと誤字脱字の指摘とかよろしく』
などという、どこか含みのある反応だった。
『何かの賞にでも応募するのか?』
『……まぁね』
『そんならネットで公開でもした方がよっぽど有意義な感想もらえんじゃねーの?』
『うーん、それがそうでもないみたいなんだよね。ちょっと調べてみたけど、建設的な意見ってほとんど見られないみたいで。……あとネットで公開するのは怖い。誹謗中傷とか』
ま、顔が見えない分、何でも言えちまうからな。
『おれはそーいうこと言わないとでも?』
『キミはたぶん面と向かって批難とかする子じゃないんじゃないかと思って』
『初対面の人間に対してどこにそんな根拠があるんだ』
『看護師さんたちから聞いたキミの人となりから、かな』
『……人を風評で判断すんじゃねーよ』
とまぁそんなわけで、原稿データを移されたこのiPadでヤツのラヴノベルをちまちまと読み進めているわけなのだが。
うーん、これは、なんかな……。
どーにもきな臭い。
内容としては昨日、作者自身が言っていた通り、恋愛を主軸としたものだ。
コミカルな描写などほとんど見当たらず、台詞も少なめ。
ちらほらと文学的な表現も散見されて、エンタメというよりも文芸色が強い。
問題はそれに添えられたキャラ設定とストーリー展開にあるように思われた。
問題――といっても、それは小説としての問題点を指しているわけではないが……。
とにもかくにも、あらすじとしてはこんな感じだ。
主人公は高校二年生の女子高生で、ある日、とある重い病が発覚して入院することになる。
その際、少し前から交際していた幼馴染みの男子に一方的に別れ話を持ちかけて――。
と、まるでどこかの誰かの実体験をそのままストーリー化したような展開。
そしてまぁ、まだ途中なので何とも言えないが、作風や筆致からしてバッドエンドになる結末が濃厚なこと。
こんなのはおれの浅いのか深いのかよくわからない読書経験から来る下手な勘繰りでしかないが。
……いや、読書経験、プラス人生経験だな。
後者は間違いなく浅いが。
それでも二つ合わさればそれなりだろう。
静寂の支配する深夜の病室、隣のベッドから寝返りを打つ気配が伝わってきた。
おれの口からは溜め息が溢れ出る。
……はぁ、やだやだ、めんどくせーなもう。
だから恋愛モノってのは嫌いなんだ。
いやホント、どーしてこんなもんをおれに読ませるかねー。
今おれが思い描いている想像が、どーか思い過ごしでありますよーに。
おれは心底そう祈りながら、おれは眠りについた。
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